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ミャンマーのつぼ~ミャンマーから西垣がお届けするブログ

支援活動の終わりとは・・・。

通常、被災地支援活動は被災前の状態に戻すことを重点に活動を行うと思います。
しかし、今回のサイクロン被災地は、被災前からその日暮らしの生活で学校に通えない子供も多く、被災支援活動を「被災前の状態に戻す。」と設定しても将来が見えてこないところに、今回のサイクロン支援の難しさがあると感じられます。
つまり、被災を受けた水田を直すだけではなく、根本的に村が自立できる仕組みづくり、プラスαの収入をもたら事柄を考え出さなければならないのではないでしょうか。
内職の仕事を取り入れるのか、家畜業を始めるのか、収入に直結する植物を植えるのか、、、
現実は家が被災し借金をして家を再建、今は父親とともに出稼ぎにいくため学校には通えない子供達。
村の水牛のほとんどが死に水田には雑草が生い茂り、とにかく収入がいるので、農民は近くの村や街に出稼ぎに行き、水田は。。。
まだまだ復興には時間がかかりそうです。。。

1ヶ月以上が経過した被災地の村の現実

見た目には復興してきたかに見える被災地の村。
倒壊した学校の代わりに寄付されたテント内で学校が再開され、田園は雑草が生え緑色に染まり、復旧されているかに見えます。
「今では被災直後と異なり、ある程度食料支援が行き渡り、次は村人の将来のことを考えあまり食料支援は続けない方がいい」という話さえ聞こえてきます。
しかしながら、少しヒアリングすると現実は深刻な状況は変わらず、被災直後からあまり進歩していないのに驚かされます。
被災地の村の多くは水牛がほぼ全滅しているなど、復興作業のメドは立っていません。企業や政府などから各村に耕運機などが支給されていますが、1期作の村も多く、通常6月田植えで10~12月頃収穫。これから耕し田植えを行って順調に収穫できても、収入になるのはまだまだ先の話。
1ヶ月経過した今でも被災直後に政府や企業、民間から寄付された食料で何とか生きている状態。1ヵ月後はどう食べていくのか、、、被災者の方々はまだまだ絶望の日々を過ごしています。
今でも支援が入っていない村には支援が多い村が送り届けている状況ですが、日に日に自発的に行われた市民ボランティアや一般企業の支援も減り続けている状況。被災直後の支援物資により、今は米の備蓄が少しできたようですが1ヶ月持つかどうかという村も少なくないと聞きます。
収入のメドは立ったとしても数ヵ月後。村人が自立できるように・・・という支援は彼らが生き続けられたらというのが大前提であるわけで、食糧支援と同時進行でなければなりません。
被災した村人に聞けば、飲料水、服や麺類なども必要ではあるが、雨季なので雨水があり、被災した村の多くは川沿いで魚はあるので、とにかく米が欲しいと言います。
支援活動はまだまだ先は長いです。

NGOの本来の活動とは。

大企業と小企業。事業内容、戦略は自ずから異なってくる。小企業が大企業の事業、戦略を行えば自ずと姿を消していく。しかし、NGOの世界では一概にそうではないように思える。小団体も大団体と同じような事業をしても、予算と内容が伴わない活動をしていても、宣伝がさえよければお金は集まるようなのである。
今回の被災のような大規模な場合、突如として援助団体がたくさん乱立する。一般の人はどこに寄付をしたらよいか分からず、結局名前の通った大きな団体、小団体でもいかにもやってます!と大団体のように振舞っているところに寄付が集まってしまうのだろうか。小団体は政府の目があるから。と言い訳するかもしれない。しかし、団体の名前を出さなければ活動できる幅は大きく広がるし、そういった活動をするのが本来のNGOの役目ではないだろうか。そんな活動のため、大団体ではなく小団体に寄付している人が多いと思える。
自ら個人のお金を自らの団体に寄付しようと思える活動を行っているNGOはどれほどあるのだろうか?
医療NGO団体「ジャパンハート」の報告書に以下のようなものがあった。
「最近はヤンゴンからのドナーも減ってきた。あと一ヶ月後が怖いとお坊さんも言っていた。みんな一回だけで何度も来てくれるのはうちだけだ・・・」「UNICEFの先生のお話を伺ってやっぱり我々のような団体にもできることがあることは実感できた。しょうがない、やっぱり走り回るしかないか。」
このような団体には自らのお金を寄付しようと思うし、また援助が集まってほしいと願う。