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ミャンマーのつぼ~ミャンマーから西垣がお届けするブログ

ヤンゴン日本人学校50年記念祭と今後果たすべき役割。

ヤンゴン日本人学校50年記念祭が大々的に行われました。
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第一部は在校生を中心にし、国立劇場を借り切ってのイベント。

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聾学校や盲学校などの生徒も参加、在校生が編集した過去50年を振り返るスライドショーなど、支えているのは教職員だろうが、一切表に出ず、生徒らが司会、英語・ミャンマー語、日本語を交えた、すばらしいイベントでした。

ヤンゴン日本人学校のすばらしさを改めて実感したイベントでした。

第二部は「石塚まみ」さんの鎮魂ピアノコンサート。

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校長先生から戦争について、石塚さんについての解説があり、そして始まったコンサート。霊感のない私ですが、空気全体がざわつき、そして突然鳥が鳴きだしたり風が吹いたりと・・・すごい雰囲気で感動と一言では表現できないコンサートでした。

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第三部は懇親会。

懇親会の中で少し話してください。と事前に校長先生から依頼されていたのですが、呼ばれていた方々を見てびっくりしてしまいました。
ヤンゴン日本人学校開設当時(50年前)の教員でおられた方、ミャンマーの灌漑アドバイザーとして長年ミャンマー政府のアドバイザーをされていた方、学校校舎建設をされている方、そして私と、すごいメンバーと一緒に、ステージに上がらせて頂きました。

ステージ正面には大使や私もりずーっと長く滞在され学校に貢献されている方を前に、さて何を話そうかと、みなさんはスーツ姿にスピート原稿を持たれていて順番が来るまで思案してました。

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で、私の順番前に、ピィのサンペイさんの話が出てきました。
サンペイさんは、10年ほど前、今回ピアノ演奏して頂いた 石塚まみ さんの番組ロケの際にお会いしていた関係でもあり、私も何度かお会いしています。
石塚さんにとっても印象に残っている方で、それを引き合わせた私がこの場で呼ばれたのかなと ふと思いました。

そして、このロケで思い出されたのは、残留日本兵の吉岡さんのご子息のこと。
ロケハン時では、吉岡さんのご子息は、日本人とも会いたくないしもちろん取材にも出ないということでした。
ところが一転、ロケのときは、そろそろ伝えないと・・・と「自分が日本兵の父親を持つビルマ人として生まれてきて、幼少期から現在までの苦悩」について話されました。
残念ながらそのシーンは放送されませんでしたが、とても印象に残っています。

そのこともスピーチの中で伝えようとしましたが、なぜか途中で言葉が出て来なく、話せませんでした・・・ということで ブログを久々に書こうかと。

来年は戦後70年。すでに戦争経験している人もほとんどいなくなり、番組制作も困難な状況にあります。
語り次ぐべきことではありますが、とはいえ本人から伝えられないのではなかなか伝えていくのあが難しい。

そんなことを考えて、私があのマイクを渡された理由はただ一つ。

「日本とミャンマーの両国関係再構築」

サンペイさんに代表されるようなミャンマーの方は、戦時中から、そして戦後まで90年代後半まで。40代前後のミャンマーの方はまだ数名おられますが、その以前の若い方にはそれらがストップしているように思えます。

今 テレビでは毎朝「おしん」が再放送されています。
ミャンマーで日本人の有名な俳優は誰ですか?と質問したら答えは今でも「千葉真一」「真田宏之」となります。

つまり、ここ20年以上、新しい関係が構築されていないのではと感じます。

「これまでの過去は遺産として、我々若い世代が、次の新しい関係を作っていかないといけない。」

それを言うために私のところに マイクが渡ったのだと感じました。

「前日に参加したのは、国立盲学校の100周年祭。ヤンゴン日本人学校はまだ50周年。これまで50年間は過去の遺産。明日から100周年に向けて、新しく作り上げていきましょう!未来へ!」

そう締めくくりました・・・と思います。ちょっとお酒飲んでからのスピーチでしたので・・・。

最近、私の周りでは、「卒業」というキーワードがついて回ります。

・サクラタワー事務所移転
・GENKY移転
・マッサージ国家資格化プロジェクトのアドバイザー
・15年いたニャウンピンレイプラザからの事務所移転(12月から)
・1年半ぶりに来緬した家族

そして、PTAや日本人会の役員として関わった日本人学校でのスピーチ。

すべてが新しいステージに移行してきている最近の、その集大成という感じの昨晩でした。

ということで、

「まだまだ、やるべきことはたくさんあるから心しておけ!」

と言われたようで

一つ一つ、それらを実行して実績を積み重ね、次の世代に託す。

新たな使命を果たすべく、まだまだ ミャンマーで走り続けたいと思います。

校長先生 本当にお疲れ様でした。

石塚さん コンサート終了後そのまま羽田⇒バンコク⇒ヤンゴン そして そのままコンサートとハードなスケジュールにも関わらず、すばらしいコンサートをありがとうございました。

また一つ、伝説が生まれた夜でした。。。

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「広げよう 世界へ 地球はひとつの家族
輝こう 未来へ 日緬の永遠の絆」

ピィのサンペイさんについてはこちら・・・
http://www.yangonow.com/jpn/magazine/essay/hashimoto/essay01.html