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ミャンマーのつぼ~ミャンマーから西垣がお届けするブログ

ラジオ出演

先程、TBSラジオの「ストリーム」(平日午後1時から3時半)という国際ジャーナリストの小西克哉さんとDJの松本ともこさんがパーソナリティを務める情報番組に出演し、10分間ほど、ミャンマーについてお話させて頂きました。
6月28日の放送は、特番形式で「150分バカニュース世界一周スペシャル」と銘打ち、世界各国からバカニュースをレポートするということで、中々お話するネタが見つからず四苦八苦しました。
苦労話や真面目な話ならいくらでもあるのですが、バカッぽい話というのはミャンマーでは本当に難しかったです。とにかく無事終了してひと安心です。

映画「True Love」

6月17日に封切りされた「True Love(英語名)」。日本でロケが行われた話題の映画でミャンマーでは初めてとなる英語字幕と日本語字幕がつけられています。先日私も見てきました。
この映画の企画そして脚本は1988年ミャンマー国内の民主化デモで日本へ逃れ、難民認定第一号を受けた「ミャミャウィン」さん。彼女については賛否両論ありますが、今回それは置いておいて、長年日本で生活している彼女が脚本したこともあり、日本を扱う映画にありがちな、日本人から見ておかしいという場面はほとんどなかったと思います。
映画では「ミャミャウィン」さんが日本滞在中にお世話になった日本の人たちがエキストラ役で登場し、舞台も彼女の住んでいた伊豆を中心に展開されます。また、ミャンマー人女性と恋に落ちる日本人役は「ミャミャウィン」さんの息子が演じています。彼は日本人でミャンマー語は全くわからない設定で、片言ミャンマー語で会話し会場に笑いをもたらします。彼の現在の職業は俳優。ただミャンマーではまだまだほとんど知られていない(売れていない)俳優で、日本で育ったということもあり日本人のような日本語を話されるので、多くのミャンマー人は日本人だと思っているようです。
ストーリーは出稼ぎで日本にて働く父親を娘が日本を訪ねます。そこで父親は昔訳ありで別れた彼女に再会、娘は保証人になってくれた日本人社長さんの息子と恋に落ちます。
そして、最後は水戸黄門さんが印籠を出すように、ミャンマー映画ではお決まりの「主人公が死ぬ!」という映画展開になり、あっという間に父親が死んでしまい、恋も終われせ娘はミャンマーに帰ってジ、エンド。
ストーリーはともかくミャンマーと日本の交流を深める映画として、それぞれの文化や景色、習慣等をおり交ぜながら、ストーリーは展開していきます。
映画が封切りされた初日は国営のミャンマーテレビ局もかけつけ、ニュースで大きく報道されました。私も映画館で見終わった人々にどうしてこの映画を見にきたのですが?と聞いてみました。すると最も多い答えが日本で撮影したから。でした。普段映画を見ないという人も日本を見たいからという理由で見にきている人も結構おられました。
少しの情報しかなかったミャンマー人が日本でどういった生活しているかが、わかったのでよかった。という意見が結構ありました。日本は彼らにとって出稼ぎの場所としても憬れですが、詳しい情報はなかなか入らず、知っているのは鎌倉の大仏と富士山といったところです。そんな中、ストーリーにお寺がたくさんある、祭りがある等ミャンマーと共通する文化等を紹介し、それらが共感を得ていたようでした。

娘の一時帰国

先月、4歳になった愛娘が2年ぶりに日本に帰国しました。彼女の一生のうちミャンマーで過ごす時間の方が圧倒的に長く、日本に帰ると言って、『日本にはお寿司があるの?』と、トレーダースとグランドプラザにしかないと思っている日本についての知識レベルです。日本についた当時は、自動で水が流れる洗面所や自動改札など驚きの連発で最初の2日間ぐらいは呆然と過ごしていました。極めつけは1週間ぐらい経って、『何でこの家は停電がないの?』でした。
ミャンマーが彼女にとってスタンダードで、風呂の水を飲んでもお腹は壊さず、地方に行っても、地元のご飯を白ご飯のまま何もつけずバクバク食べている娘ですが、あまり日本に慣れてしまうのも困りものと親として少々心配しています。

ウィン君のその後

昨年テレビ東京系列で放映された番組を見られた方もおられると思います。昼間に放送されたにも関わらず高視聴率を記録し反響の大きかった番組です。ウィン君のその後をよく聞かれることがあるので、国際医療奉仕団 ジャパンハートの吉岡医師に最近の様子を聞いてみました。

先月ウィン君にお会いしたそうで、元気に遊んでいるそうです。手術前からあった右側の顔面マヒはかなり回復してきたそうで顔面神経麻痺の後遺症のほうは徐々に良くなってきたのか、右顔面にも表情がでるようになって来ているそうです。また手術前からマヒがあった右足も手術後に比べるとかなり動くようになってきたそうです。歩行訓練の方は少しサボっているようで、まだまだ一人で立つことも出来ません。移動はハイハイでしており、以前よりは行動範囲も拡大しつつあるようです。
吉岡医師に出会わなければ今頃はこの世にいなかったと思うと運命の不思議をあらためて感じます。
(写真提供:ジャパンハート 2005年6月18日撮影)

日本兵の生まれ変わり?

調査の際はよく地元ジャーナリストにコンタクトをとります。以前、その彼が私に対しパコックを知っているか?パコックは日本兵が最も生まれ変わっている地域だ。と言い切りました。検閲の厳しい国内であってもこの道数十年のベテラン。ミャンマーの生き字引みたいな方が話すので、信憑性はさておき気になる話ではあります。日本兵の生まれ変わりについてまとめた本があるらしく(もちろんミャンマー語)今探してもらっています。誰かご存知の方おられますか???

ちなみにこの話をしたのは、ミャンマー全国紙の編集長です!

キンワンさん

キントゥーさんのお兄さんで歌手であった故キンワンさん。私は残念ながら一度もお会いしたことがありませんが、キンワンさんのお話を聞かせて頂きましたうちのエピソードを一つ。
キンワンさんは日本人のハーフということもあり、長渕剛の歌などミャンマー語に吹き替え発売しようと、日本のレコード会社等と権の交渉していたそうです。著作権の問題がクリアできず結局歌わなかったそうですが、現在ミャンマーで発売されている音楽の多くは著作権を無視しているのではと思われる状況下、感心するエピソードです。
余談ですが、弊社に掲載している音楽はすべて掲載に関して発売元等の許可の上掲載しています。最近日本の音楽をよく聞くので日本のコピー曲をまとめて掲載しようと発売元と交渉したのですが、著作権の問題があり日本のサイトにはこれ以上掲載しないでほしいと言われ企画倒れになってしまいました。ミャンマー音楽に詳しい方に頼んでリストは出来上がっているのですが、、、。

税金

昨日ホテル観光省が行うミャンマーの旅行社向け定例ミーティングがありました。その中で『現在ミャンマーには700社以上の旅行社があるが、そのほとんどは活動をしていないため今後整理を行う。ついては過去のツアーレポートを今月中にホテル観光省へ提出するように』との報告がありました。
ミャンマーで旅行業を経営する場合、毎月ツアーレポートをホテル観光省に提出しなければなりません。このツアーレポートには売上げやその詳細、事務所経費等すべて含まれています。
SANAYトラベルは真面目に毎年会計報告し税金を納めています。日本では当たり前なのですがここミャンマーでは結構珍しい方ではないでしょうか。外資系金融機関の方からミャンマー政府は実際の数パーセントしか税収を得ていないという話を聞いたことがあります。
ジョイントベンチャーですと支払われているところが多いと思いますが、100%ミャンマー会社では支払っていないところが多いと思います。この税金も以前までは支払うと言わないと支払えないとても変な仕組みになっています。最近は少し変わってきましたが、、、。

キントゥーさん

ついにブログをはじめることにしました。
ヤンゴンナウの西垣が中心となってミャンマーからブログを発信していきます。ミャンマー便りやエッセイのコーナーには、、、というようなネタを発信していければと思っております。宜しくお願い致します。
日本兵としてビルマの地で戦い戦後ミャンマー人女性と結婚しそのままビルマに残った故吉岡さんの次男キントゥーさん。長男故キンワンさんは歌手、三男キンスリーさんは日本人と結婚し現在日本で生活されています。私が初めてお会いした時はほとんど会話して頂けませんでした。ビルマを占領していた日本兵の子供だ、ファシストだと差別され育ってきた彼はこれまで意識的に日本人とは距離をあけてきたそうです。もし結婚して子供が生まれたら私のように苦労させたくないとの理由で結婚はしないそうです。
今年『今私が伝えないと誰も知らないままだ。伝えなければならない。』とキントゥーさんは取材に応じてくれました。

番組「郵便兵と絵手紙~孫娘が語り継ぐ祖父の戦争」は5月4日中京テレビで放送されかなりの反響でした。8月に日本テレビ系列で全国放送の予定です。是非ご覧下さい。