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ミャンマーのつぼ~ミャンマーから西垣がお届けするブログ

15軍司令部

インパール作戦の中心となった15軍司令部として使われていた建物です。日本軍が作る前はイギリス軍が司令部として使用していました。
現在は将校学校として使用されており、戦時中とそれほど変わらない状態で今も現役で使用されています。
ピンウールイン(メイミョ)にありますが、軍の施設の内部にありますので一般者方が見ることは難しいかもしれません。

終わらない戦争

サンペイさんが番組「絵手紙と郵便兵」で呟いた一言。「俺にとってはまだ戦争は終わっていないんだ。」
日本ですと毎日が忙しいですし、戦争の体験をした話というのは自らの意思で求めないと入らなくなっていますが、ここミャンマーで生活すると生活の一部として戦争関連を感じます。
サンペイさんも近年病に倒れ体調不良で、戦争体験者の高齢化が進んでいます。後世にそして日本で生活する人々にこれらを伝えていかねばと強く感じます。

マウンテン大佐

93歳という年齢にも関わらず、今でも頻繁に国内旅行に出かけられるマウンテン大佐。ビルマ独立義勇軍のメンバーで、戦後日本の遺骨収集にも尽力を尽くした功労者。
「アウンサン将軍らとともに日本に行く予定だったが、ちょうどヤンゴンにいなく一緒に行けなかった」とつい最近の出来事のようにお話されます。
先日も市内を案内してあげよう。と、ヤンゴンに残る戦時中の建物など説明して頂きました。
友人を紹介するということで大佐と一緒にBIA本部があったという今に住む友人を訪ねましたが、すでに他界されていました。友人の息子と戦時中の話をしていましたが、通訳していた弊社スタッフも、学校で習った人物が次々出てきて皆それらが知り合いで、つい最近の出来事のように話すというすごい会話に驚いていました。
戦時中ある程度の地位にあった方は90歳以上になっており、なかなかこういった話を直接お聞きする機会もなくなってきました。今のうちに色々話を聞いておかねば!

女優 テテモウ(Htet Htet Moe Oo)さん

仕事の関係で女優テテモウさんの自宅に訪問した時のエピソードです。自宅ということもあってほぼスッピンの彼女でした。最近は少なくなりましたが少し前まではまさしくCMの女王の名に相応しく、テレビをつければテテモウが出てくるという印象でした。しかもその小太りとメイクの濃さに、何故人気があるのか不思議に感じる人も多かったと思います。
そこで、メイクの話を聞いてみると、彼女はテレビでは一般の人々の好みに合わせる為、わざと濃い化粧にしているのだそうです。一度一緒に食事させて頂きましたが、薄化粧で日本の女優さんのようなメイクでした。
彼女は数え切れないほど自分が出演したCMをほぼすべて覚えており、それぞれの特徴や演出の目的を即座に回答されました。本当に頭がいい方だという印象を今も持っています。