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ミャンマーのつぼ~ミャンマーから西垣がお届けするブログ

NPO法人日本ブラインドサッカー協会が協力し ミャンマーで普及活動を実施

NPO法人日本ブラインドサッカー協会が協力し ミャンマーで普及活動を実施

「ミャンマーの視覚障害者に新たな夢と希望を」

NPO法人日本ブラインドサッカー協会(以下、JBFA)は、2016年12月13日~16日までの4日間にわたり、ミャンマーでブラインドサッカーの普及活動を実施し、日本選手権4連覇中のAvanzareつくばに所属する川村怜と福永克己を派遣いたします。ミャンマー社会福祉・救済再復興省の招致でミャンマーの中心都市ヤンゴンに来緬。日本代表の選手およびスタッフとしても活動する2人がミャンマーの視覚障害者らにブラインドサッカーの基礎技術を伝えることで、普及を目指します。

ブラインドサッカー
ブラインドサッカー

■ミャンマーにおけるブラインドサッカー普及活動実施の経緯
ミャンマーでは統計上で視覚障害者は約18万人、実際には30万~40万人いるとも言われており、家に閉じ籠もりがちの者も多く、ほとんどの者は社会的・経済的に自立していないのが現状です。
2009年から視覚障害者支援を行う株式会社ジェイサットコンサルティング社代表の西垣充が、2011年民政移管後、ミャンマーが急速に発展するも視覚障害者を取り巻く環境はあまり変わっていない現実から、視覚障害者らにも経済発展の恩恵を受ける事業をミャンマー政府側と協議しブラインドサッカー普及活動を提案。視覚障害者支援開始当時から、献身的に協力、指導頂いている、筑波技術大学形井教授及び緒方教授、そしてJBFAの協力により、今回の普及活動が実現しました。今回の日本人指導者2名の費用やヘッドギア、マスク、ゴールポスト、ボール、会場使用費及びミャンマー政府、筑波技術大学との交渉はすべて、株式会社ジェイサットコンサルティング社が単独で負担、コーディネートしています。

■ブラインドサッカーの具体的取り組み予定
ヤンゴン国立チミダイン盲学校、ヤンゴンチミダイン盲学校、ゲンキーマッサージ店の3チームから10名を選出。ブラインドサッカーのルールからパスの仕方など基本的な技術を伝え、各学校、マッサージ店にブラインドサッカーの楽しさを伝え、今後の本格的な普及活動に活かします。最終日は3チーム対抗PK戦を行う予定です。

■ミャンマーでのブラインドサッカーの現状
視覚障害者5人制サッカー(視覚障害者サッカー、通称:ブラインドサッカー)とは、視覚に障害を持った選手がプレーできるように考案されたサッカーです。
これまで、ブラインドサッカーのミャンマー代表は2年前のアセアンパラゲームズ(東南アジアパラリンピック)で、タイ代表、マレーシア代表と戦っていますが、2015年末にシンガポールで開催されたアセアンパラゲームズには不参加でした。また、IBSA(国際視覚障害者スポーツ連盟)には加盟しておらず、近年、視覚障害スポーツではパラリンピックには出場していません。
安倍総理は「ODAなどでスポーツ支援を行っていきたい」と述べ、スポーツ分野の発展途上国支援に積極的に取り組む姿勢を示しており、2020年東京パラリンピックのミャンマー出場も見据えています。

■プロフィール
<川村怜(かわむら・りょう)>
1989年生まれ、大阪府出身。Avanzareつくば所属。
筑波技術大学在学中よりブラインドサッカーを始め、2013年さいたま市ノーマライゼーションカップで日本代表デビューし、世界王者ブラジルから初ゴールを奪う。インチョン2014 アジアパラ競技大会、世界選手権2014、アジア選手権2015などに出場。アジア選手権では、チーム最多となる7得点をマーク。得点力と豊富な運動量でチームを牽引する。

<福永克己(ふくなが・よしき)>
1973年生まれ、大阪府出身。Avanzareつくば所属。
2007年筑波技術大学赴任後よりブラインドサッカーに関わり、2009年GKとして日本代表選出。2010年より日本代表コーチ。現在はAvanzareつくば代表を務める。

■筑波技術大学及びAMINについて
学校名:国立大学法人筑波技術大学
所在地:〒305-8521 茨城県つくば市春日4-12-7
TEL  :029-852-2890(代表)

筑波技術大学とは、聴覚または視覚に障害を持つ人が学ぶ4年制国立大学。筑波技術大学が中心となり、アジア医療マッサージ指導者ネットワークAMIN:Asia Medical Massage Instructors Network.の活動も行っています。主にアジア太平洋地域の途上国に、視覚障害者が、医療マッサージの専門家として就業できる体制を整備することを目的としており、2009年からミャンマーにも定期的にセミナーを行い、普及活動を行っています。

視覚障害者マラソンと孤児院への寄付

11月15日は白杖の日。ここミャンマーでは視覚障害者マラソン大会の日です。ヤンゴンとマンダレーで行われましたが、ヤンゴンは第25回目を数えています。

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朝5時半YCDC(ヤンゴン市開発委員会)をスタート。

沿道では市民や市の職員がお菓子やジュースなど視覚障害者らに寄付をしています。

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今回はうちのゲンキー視覚障害者スタッフが、市民らからの寄付されたお菓子などと社員らからの寄付を合わせ孤児院に寄付したいと発案。
これをYCDC(ヤンゴン市役所)に伝えたところ、バスを無償で提供するとの申し出を受けました。

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マラソンはサクラタワー事務所のスタッフらも参加し、ゲンキースタッフだけでなく、サポートのいない視覚障害者らもサポートしながら完走。

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マラソン後、シャワーを浴びて、YCDCのバスで約3時間、孤児院へいきました。
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孤児院はまだ設立されて1年8ヶ月。村から寄付された土地1エーカーの上に立てられ、周辺の人々の寄付で運営されています。
ここから村の学校へ通っている子は、約70名、小僧は40名ほど。

現在の110名から将来は200名ぐらいまで受け入れる予定。孤児院ではヤンゴンからとミャンマー国境地帯からの孤児らが生活していて、孤児院内の塾講師5名。1人当たり1ヶ月に80000チャットを払っています。

この孤児院を始めた僧正はまだ30代。
2008年、10万人以上死者を出したと言われるサイクロン・ナルギスで彼の村も被害にあい、村人128名が亡くなり、村で生き残ったのは彼を含め2名のみ。僧正の親戚25名とほとんど身内は亡くなり孤児になりました。それ以来ミャンマーの国境などの村へ行き、勉強できない子供らに勉強を教えていたそうです。国境では軍隊に入れられる子が多く、ビルマ語が話せない子が多かったそうで、その後、自身で孤児院を作ろうと寄付金を募り設立されました。

現在は男の子だけ受け入れていますが、今後は女の子も受け入れる予定とのこと。
孤児院をもっと大きくして女性寮も作り、信頼できる尼さんに管理してもらうのが僧正の希望です。

僧正から視覚障害者の方から寄付を受けて、お言葉頂きました。

「生きている限り希望がある。人間が発達(Human Development)してから国が発展できる(Country Development)。子どもたちを支援しましょう。」