J-SATは25年間ミャンマーにて事業を行う実績と経験からミャンマー進出における

人材支援、市場調査、会社登記等、会社運営をトータルサポートします。

ミャンマーのつぼ~ミャンマーから西垣がお届けするブログ

隣国バングラデシュ ダッカの衝撃。

なかなか行く機会がなった隣国バングラデシュ。
3年前にダッカに赴任した大学時代からの友人の帰国が近づきそうなので、その前にと社員研修を兼ねてダッカへ行ってきました。

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私が社員、特にミャンマー人スタッフを連れて行くのは、私が見て感じたことを彼女らに理解してもらい、そして落とし込んで欲しいからです。自国のことは他国から見ないと見れないですし、ミャンマーでの経営の主役はあくまでもミャンマー人。というのがサネイ・ジェイサットのスタイルです。

で、ダッカ。

いやー、いろんな意味で衝撃でした。

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○ダッカの可能性

1億6千万人という人口と英語を母国語としない国としてはTOEFL1位という英語力。
また電気もネットもミャンマーと比べれば雲泥の差でほとんど問題ない状況、家賃も外国人用であっても物価相応に安い。
大学進学率も18%とのことで、大卒人口はミャンマーの6倍いるってことです。
ハングリー精神も旺盛でちょっとミャンマー人とは違うなあと感じました。

世界No.2の縫製工場があるので、本物ブランド品のアウトレットも豊富で格安!
海外旅行で食糧以外で初めてたくさん買い物しました!

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そうそう、こんなにおしゃれな雑貨店があるとは。しかも安いっ。

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女性は今も縫製工場以外ではほとんど働いていないとのことで、ただ女性の進出が最近少しづつ出てきたようで、街中には2時間離れても人だらけですがほとんど男性ですので、これに女性が加わればすごい状況です。

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○想定外な回答

・休みは金・土。土曜日は半日。
・コンピュータ大学は9割が男性。(ミャンマーの真逆)
・ホテルもレストランもバスの中も男性ばかり
・人材採用でもどことも困っていなく、ネットで公募すれば英語人材でも大卒でも500人ぐらいすぐ集まる。
・とにかく英語が皆話せて、発音が聞き取りやすい。しかも人件費が安い。
・停電はほとんどなし。
・日本語検定受験者、N2以上は毎年一桁人数。。。

○あらためて気づいたこと

バングラデシュでできることはミャンマーでやっては勝ち目はない。つまり、バングラデシュでできないことをやること。
英語が抜群のバングラデシュの人は日本を見ないで欧米や中東に向かい、日本へのプライオリティが上がることはあまりないと思われます。
日本語人材や日本への実習生などなど。この辺りはミャンマーに勝ち目があるのかなぁ。と。いずれにしても、今後は人材に合わせた企業がそれぞれの国に進出、分業される流であることをあらためて確信したダッカ視察でした。

○そんな中で一番の気づき。

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日本の最高学府を卒業されダッカに住みつき8年目になる日本人の方へ間抜けな質問しました。
何でバングラデシュで一生暮らそうと思うのですか?
何がいいんですか?大変じゃないですか?

あれっ、思い起こせば いつも私が 何でミャンマー20年近くも住んでいるですか?って 聞かれてる言葉でした。
ミャンマーに住んでる張本人はそんなに違和感もなく・・・。

タイ在住20年の人にとってはミャンマーもダッカも同じみたいです。
当の本人にとっては全然違うんですが・・・。

ダッカの最新スーパーに行って感動したけど、ダッカに住んでいる人にとっては何ともないことで。それはヤンゴンのスーパーで感動されている日本人みたい。ヤンゴン在住者にとっては何でもないことで。

ああ、なるほどなーーーーと これまで感じたことのない感動した ダッカ視察旅行でした。

チャイナタウンにできたベトナム料理店

チャイナタウンにいつの間にかベトナム料理店ができていました!
ベトナム人経営のホテルに併設していますが、ホテル同様看板は出ていません!

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チャイナタウンのタンゼイの前。Mr.LEE という看板が目安です。


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ベトナムのサンドウィッチ、バインミーもあります!1000チャット。

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もちろんフォー 1500チャット、ベトナムコーヒー 900チャット。

ホーチミン出身のようで、そちらの料理がメインみたいです。
シェフはベトナム人ですので、いわゆる普通のベトナム料理。
これまで3度行きましたが、ベトナム人客ばかりで、ミャンマー人は一人も見ませんでした。
そんなにヤンゴンに来られてるんですねー。

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ほとんどの料理が2000~4000チャットぐらい。
今のヤンゴンだと、とても安く感じます、オススメです!!!

Mr.LEE Vietnam Restaurant
129 Lanmadaw Street, Lanamdaw Township
TEL:01-251069

スタッフパーティー2014 今回もいろいろありました!

半年遅れでようやく開催できたJ-SAT・サネイ・GENKYのスタッフパーティー2014
前回は2013年2月に開催したので1年半ぶり。
J-SAT・サネイ・GENKYで50名だったのが今年は81名。
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現在は家賃高騰もあって、事務所が3カ所、店が2ヶ所 計5ヶ所に分かれており、それぞれお互い顔も行っている事業の詳細もわからないということで、各事業部から現在の事業内容や今後の抱負などをそれぞれ発表してもらいました。
(パーティー1時間前ギリギリに司会担当の Ma MAI HNIN AYE MONの発案により実現!)

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そして、サネイ・J-SATを引っ張る Ma EI KAY THWE KHINE のスピーチ。

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これはよかったですねー。
これからの想い、現状。そしてそこで思い出しましたが、1年半前のスタッフパーティーでワインを飲み、母親に怒られたAPRIL。癌が進行し20歳の若さ急死。交通事故で急死したロンロンさん。いずれも弊社を退職してからの他界ですが、ミャンマーでの命の軽さをあらためて感じました。
そんな彼女らも会場にいて一緒に楽しんでいるようでした。(日本的ですが・・・)

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3ヶ月インターンで頑張ってくれた不動田さん。J-SAT人材紹介の部分や日本語教育でがんばってもらいました。ありがとうございました、そしてお疲れ様でした。

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食事が始まったら、各テーブル入り混じって、写真撮影大会やらお決まりのカラオケ大会!
盛り上がって、「30万チャット争奪じゃんけん大会!」をやる予定が、タイミングを失いできませんでした。

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もう一人のインターンの松永くんはというと・・・視覚障害者同士の夫婦が歌っているのに感動して号泣。いじられキャラなのか、ミャンマー人スタッフに飲まされていました!毎日感動の連続らしく、いいインターン生活を過ごしていると思います。

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最後は、恒例のGENKY軍団の歌。踊って終わりました。


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勤続18年のマベピィ。今年が初めての参加でしたが、50数年の人生で一番楽しかったと感動していました。他にも数名から同様に、生まれて一番楽しい時間でしたと言ってもらえました。

本当に本当に楽しいひとときでした。
皆が楽しんでいるのをみて、幸せな気持ちでいっぱいでした。
ミャンマーでの事業はいろいろ問題はありますし、だまされることもありますが、それでもこの瞬間を思い出したら、すべて乗り越えて行けそうです。

来年は大型バス3台借り切って、ヤンゴン以外の地でスタッフパーティできるよう、がんばりましょう!

ミャンマー映像産業セミナー・試写会 in TOKYO のご案内

かつてアジアのハリウッドと呼ばれるほど映画産業が盛んで国内各所に多くの映画館が存在していたミャンマーがですが、長い間、すっかり影を潜める状態が続いておりました。しかし最近の民主化の動きは文化面にも及び、新聞や雑誌だけでなく娯楽産業も活発化が進んでいます。
今回はミャンマーから日本で映画制作を学んだ映画監督とミャンマー映画協会およびミャンマー映画公社から役員らをお招きし、同国の映像産業の現状を紹介します。ミャンマーの経済以外の側面に触れていただける良いチャンスです。
会場では招聘監督の映画、[Kayan Beauties]で着用された本物のカヤン族(首長族と言われている)の首輪や腕輪などを展示いたします。
日  時   2013年11月13日(水) 13:30~15:30
会  場   共同通信社 本社22階会議室  ※2階総合受付前に専用受付を設けます。
講  演  「ミャンマー映画の歴史」(ミャンマー語→日本語逐次訳)
U Thein Htun Aung ミャンマー映画公社理事
「ミャンマー映画の現状および映画協会の活動」(ミャンマー語→日本語逐次訳)
Daw Grace Swe Zin Htaik(ミャンマー映画協会国際関係委員会事務局長)
「なぜKayan Beautiesを撮ったのか、ミャンマー映画産業には何が必要か」(日・英)
Aung Ko Latt氏(映画監督) Hector Carosso氏(共同プロデューサー)
会  費  無料
参加申込   お申込書をFAXまたは下記のメールアドレスにファイル添付でご返信ください。講演会開催日に近くなりましたら、参加状をお送りします。
※ ご欠席の場合は、前日までに事務局までご一報願います。
※ 申し訳ありませんが、個人の方のご参加は受け付けておりません。
11月14日(木)に六本木シネマートにてAung Ko Latt監督による長編映画「Kayan Beauties」の試写会を行います。
参加ご希望の方は次のサイトよりお申し込みください。
https://data.asean.or.jp/invest/seminar/app_seminar.aspx?id=19319730
【お問い合わせ】メールアドレス:kki.myanmar-k@kyodonews.jp
〒105-7208 東京都港区東新橋1-7-1 汐留メディアタワー
株式会社共同通信社 ミャンマー経済クラブ事務局 藤本、橋本
TEL:03-6252-6044 FAX:03-6252-6051

「ミャンマーを知るための60章」(明石書房)発売されました。

「ミャンマーを知るための60章」(明石書房)発売されました。

内容紹介
2011年3月の新政権発足以来、世界の耳目を集めているミャンマーとその魅力を、ミャンマーに長期滞在した日本人、また日本に留学や仕事で長く暮らしているミャンマー人の執筆者が、その経験と知識にに裏付けされた視点から紹介する一書。
私は第58章 物価の現実と所得水準 を担当させて頂きました。
このすごい執筆者の方々の中に混ぜて頂き光栄です。
1.歴史、2.自然、3.社会、4.文化、5.政治、6.経済
と、まさしくミャンマーを知るための60章の濃い内容です。
是非ご一読くださいませ!

ベネッセコーポレーションが全国のミャンマーの小学校に教具を寄付。

日本の最大手の通信教育企業である「株式会社ベネッセコーポレーション」と、ミャンマーに多くの系列会社を有し、今回のコラショ教具の開発生産パートナーであるEARTH GROUPの、「EARTHINDUSTRIAL(M)CO.,LTD.」の学びへの思惑が合致。

加えて、グローバルに商物流開拓を積極的に推進し躍進し続ける「株式会社住友倉庫」様の支援を得て、”途上国教育支援への民間連携”活動で、ミャンマーにある全国の僧院校に対して日本の小学生向け教具15万米ドル相当分を寄付しました。

 

地球儀(世界を観る)や、目覚し時計(時計の見方)、顕微鏡(微細の世界)など、ミャンマーの小学校には不足している教具が多く、現地から感謝され、有名な高僧が来られセレモニーが行われました。

企業進出サポートし、さらに地元に還元できる、ミャンマーで行う理想的な仕事です。
だからミャンマーを離れられません!

高谷秀司さんミニライブ&講演 in ヤンゴン日本人学校

高谷秀司さんミニライブ&講演 イン ヤンゴン日本人学校
日本を代表するブルースギタリスト「高谷秀司」さんが、ヤンゴン日本人学校終業式でミニライブ&講演を披露されました。

校歌をギターで表現されたり狂言を琴も交え披露されるなど、プロフェッショナルな演奏に生徒も感動。教員免許ももたれる高谷さんに、「夢」を持つことの大切さ、それをあきらめない大切さを学びました。


こんなことができるヤンゴン日本人学校は本当に素敵が学校です。
高谷先生ありがとうございました。

ミャンマー国立交響楽団の復活公演とU KO KO 氏


ミャンマー国立交響楽団が昨日、国立劇場で復活公演を行いました。指導するのは、日本人指揮者の福村芳一さん。このミャンマー国立交響楽団、実は10年以上前に一度結成され、当時番組企画にしようと追っかけていた記憶がよみがえりました。
5年前、79歳で他界された、Gita Lulin U Ko Ko氏がそのときの中心者。当時、何度も彼のところに通いヒアリングしたものです。

彼は若い頃からミャンマーのオーケストラを作ろうと考えていました。1963年に一度オーケストラができかけたことがありましたが、個人ベースであったため消滅。ソ連に勉強にいった人もいたそうですが、帰国後職もなく途絶えてしまいました。92年に政府の許可で文化大学が作られ、彼が音楽を担当し音楽家の育成とミャンマー音楽の保存と普及に力を注いでいました。
学校の送別会でストリングスが入った演奏会に偶然同席したキンニョン元首相から「今すぐオーケストラを作ることは無理だが、今から準備すれば5年10年先にはできるかもしれない。あなたが死んでも若い人々に伝わり音楽は死にません。ですので、オーケストラを作ってください。」と言われ、それに共感したU KO KO氏が2000年に個人個人バラバラになっている人たちを集めて作ったのが今回のオーケストラの原型になります。
また、ミャンマーはアセアンに加盟したにもかかわらず、シンフォニーオーケストラがなく、クラシック音楽をほとんど知らない国民を恥ずかしく思い、これらを国内に広めるため、今回オーケストラの仕事をしています。と話しておられました。
将来の夢を聞いたメモがありました。

「ミャンマーオーケストラをアジアや他の各国と比べて遜色のないレベルの演奏を死ぬまでに見たい」
U KO KO 氏は今回の初公演をどういう心境で見ているのかな。と、そんなことを考えながら音楽を聴いていました。

柔道家の山下氏、ヤンゴン日本人学校での講演を聴いて。

柔道家の山下泰裕氏がヤンゴン日本人学校を訪問されるということで、今期役員を担当していることもあり、山下氏の講演をお聞きする機会を持ちました。
ヤンゴン日本人学校に通う子供らに向けての講演でしたが、「夢」を持つことの大切さを子供らにお伝えいただきました。

弊社の企業理念では国民が夢を持って希望を実現できる社会を作る一助になることをあげています。
ミャンマーの子供、特に田舎の子供らに「将来の夢は何ですか?」とインタビューしても、ほとんど回答はありません。将来を考えること自体、まだほとんどないのが現実です。
地方の子供らが、将来の夢は・・・です!と即答できるような社会作りを「誇り」を持って、当地で活動していければと再認識した今日一日でした。
貴重なお話ありがとうございました。

ODA関係プロジェクトで駐在されていた橋本さんのエッセイ

先月、日本政府は対ミャンマー(ビルマ)ODAの再開の検討を表明しました。ODA(政府開発援助)はここミャンマーが世界最初の地。
今回、1970年代後半に日系商社駐在員として、ODA関係プロジェクトで駐在されていた橋本さんの貴重なエッセイを掲載させて頂くことになりました。
ミャンマーに訪れる日本人のみならず、多くの日本人に読んで頂きたいエッセイです。
是非ご一読ください。

「サンペイさん往訪」
「日本人戦没者慰霊碑再訪」
「もうひとつのビルマの竪琴」

~橋本裕一さんプロフィール~
1947年(昭和22年)生まれ。現在、大阪在住。
1970年代後半に日系商社駐在員として、ODA関係プロジェクトにてPyu(旧名Prome)市対岸のSinde地区に駐在。
その後、1980年代半ばから後半と、1990年代半ばにも首都に駐在。合計3回、通算10年余りの駐在経験あり。
1988年の民主化騒動を肌で体験、また国家と首都の名前が変更されたのも経験した。