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ミャンマーのつぼ~ミャンマーから西垣がお届けするブログ

短期視覚障害者マッサージコース1期生の結婚式

視覚障害者マッサージ普及を目的に開講した、3か月短期集中視覚障害者マッサージコース。GENKYのスタッフが中心となり、視覚障害者マッサージ師として自立できるよう、2010年から盲学校に通えなかった視覚障害者を対象、現在は9期生のコースが行われています。

その記念すべき1期生の結婚式に出席してきました。ミャンマー伝統音楽団が演奏する華やかな結婚式で、お相手は、同じく視覚障害者マッサージ師でもある視覚障害者の女性。お二人とも幸せそうで、盲学校の職員もうれしそうでした。

思い起こせば、2008年5月、死者・行方不明者13万人以上出したサイクロン・ナルギス取材コーディネートや当時管理していた400名の縫製工場被災処理に疲れ、きちんとしたマッサージ店を探していた時に偶然出会った、盲学校内にあった視覚障害者マッサージ。1時間500チャットという考えられない値段で施術していました。当時はヤンゴン市内にはきちんとしたマッサージ店はほとんどなく、これを盲学校の中だけに置いてはいけない、施術料金を引き上げないといけないと思い、チャイナタウンに一号店をオープンさせたのが2009年3月のことでした。

視覚障害者マッサージ店という新しいマーケットを創造し、今では視覚障害者がマッサージするのは当たり前になったミャンマー。寄付がなくても運営できるモデルを構築できたのが、普及した大きな要因と思っています。とはいえ、当時は10年後に全国100店舗にまでなるとは全く想像できませんでした。
新婚夫婦をみて、いいプロジェクトだとあらためて感じた結婚式でした。

余談ですが、同じテーブルには、占い師の先生がおられました。アウンサンスーチー氏も見る有名な先生で、全国で占い師を育成しています。生活自立支援の一環として、視覚障害者や戦争孤児にボランティアで占いを教えてるそうで、今日結婚した女性も教え子で、彼女は占い当たりますよー と話してくれました。なるほど、ミャンマーでの占い師育成は、自立支援に最適ですね!

 

タイ盲人協会からポンチャイ先生再び!

タイ盲人協会から来て頂いたポンチャイ先生。

ゲンキーには過去何度か来て頂き、足マッサージを主として、技術移転してもらっています。

ポンチャイ先生はミャンマーは戦車があって危険なところと長年思っていたようですが、スデダゴンパゴダをはじめ、素晴らし場所と素晴らしいミャンマーの人に感動して、今ではミャンマーをとても気に入って頂いています。

今回からは、ゲンキーに新しく入った新人らを中心、細かな技術指導を行ってもらいました。

ポンチャイ先生は英語もミャンマー語もダメですので、タイ語⇔ミャンマー語の通訳に来てもらっての指導。タイ国境出身で、普段はタイ人観光客のガイドをしている隣人が喜んでやってくれています。

今後も半年を目安に来緬してもらい、ゲンキーのスタッフ技術向上を支援して頂きます。

ゲンキー3号店はサクラタワーから徒歩3分!

2009年3月に営業開始した視覚障碍者が働くマッサージ店『GENKY(ゲンキー)』
ゲンキーの成功により、当時視覚障碍者マッサージは、盲学校内にある2店舗のみから、今や全国に広がり100店舗以上になりました。

ゼロから作り上げた立役者の二人が今回、独立して店舗を運営することになりました。

この二人は店舗を引っ張って来ただけでなく、マッサージ訓練センターでも積極的に指導に関与し、多くの視覚障碍者に技術を伝え、社会で活躍できるよう育成してきました。

今回ゲンキーの名前で独立したいと申し出があり、暖簾分けし頑張ってもらうことになりました。店舗は彼らが捜してきました物件。サクラタワーから徒歩3分!
とても便利な場所にあります。

店舗名は Genky Kyal Sin.
名前の由来は、オーナー2名の名前、Thet OO と San Lin Aung の 『S』 と 『T』 から来ています。そこから『STAR』。ゲンキースタッフの希望の”星”。

 

店内は清潔で技術は保証済み。ダウンタウンで働く方々やダウンタウンにお越しの際はぜひお立ち寄りください。

 

営業時間:年中無休(09:00-21:00)
住所:No.241,35st. Upper Block.
電話:09-427273939

 

今年も国立ヤンゴンチミダイン盲学校から夕食招待されました。

今年も国立ヤンゴンチミダイン盲学校から夕食招待されました。

今年も視覚障碍者が働くマッサージ店 「GENKY」 の売り上げ運営し、GENKKYスタッフらが指導する「社会人向け視覚障碍者マッサージ育成コース」を盲学校で行います。
今年で9回目となります。

その感謝という意味で、今年も盲学校から夕食をご紹介受けました。
昨年は、この夕食会からブランドサッカーへとつながりました。
今年はというと、、、今年もとても興味深い会合となりました。

もともと視覚障碍者マッサージがミャンマーにやってきたのは95年頃。
私費ボランティアで、ある日本人が盲学校にきて半年間マッサージ技術を5名に教えたそうです。うち1名は今もうちのGENKYで働いています。

今回一緒に食事をしたのはその5人のうちの一人、タンゼンさん。

彼のこれまでの人生の道のりは非常に興味深いものでした。

彼はもともと軍人で、20歳の時に戦地で地雷が爆破し、その破片が目に入り全盲になりました。負傷後ヤンゴン郊外の病院に入院、戦地で突然視力を失った彼は、人生に絶望し、何度も入院していた4階から飛び降り自殺しようと考えたそうです。当時の看護師が、生きてるだけでありがたい。生きてることに感謝しないといけないと何度も励まされ、ヤンゴンチミダイン盲学校を紹介されました。この学校は設立100年以上の歴史を持ちます。

彼はチミダイン盲学校を紹介され、1975年に入学しました。
入学すると、彼は一人の全盲の先生に出会いました。
彼は全盲ですが、籐製品を作るスペシャリストで視覚障碍者の生徒にその技術を教えていました。結婚もし子供も4人いました。全盲なのに家族を作っていることに感銘を受け、生きる希望を再びもち、自分も家族を持とうとがんばったそうです。

ちなみに、その先生の4人の子供のうちの一人、アウンソーウィンさん(写真左)も今回食事会に参加しました。彼はボランティアで父親の仕事を盲学校で子供のころから手伝い、その後盲学校に就職、現在は副学長として働いています。

タンゼンさんは運動神経がよかったことから、パラリンピックの選手にも選ばれ82年には日本にも競技で訪問したことがあるそうです。

そんな彼が95年に視覚障碍者マッサージに出会い、そして学校内で細々とマッサージを続けていました。そこに2008年私が盲学校にやってきたそうです。

2008年に私がGENKYを設立しようと決意し、当時の校長にマッサージ師数名集めてもらうことを依頼したとき、彼にも声がかかったようですが、彼は参加せず、その後シュエチャーというレストランを経営するところがGENKY同様、視覚障碍者マッサージ店をすることになり、そちらで働くことになりました。

2009年に私が、盲学校に通えず大人になってしまった視覚障碍者の方々のためのトレーニングスクールを開講することを決意し、その開講式を迎えた日、彼もその場にいたそうです。
その時、私が開講式のスピートこう話したようです。

「マッサージ技術を覚え、みなさんが独立するためのコースです」

それまで10年以上マッサージを学校内でやってきて、まさか学校外にお店ができるようになるとは夢にも思わなかったそうですが、そのときの私の言葉に感動し、それを心の支えにがんばってきたそうです。

そして3か月前。彼はついに独立を果たしたそうです。お店の名前は最初にマッサージを教えてくれた日本人への感謝を込めて彼の名前。(今は他界されているそうです。)

彼の年齢は現在61歳。4人の父親でもあります。

店のオーナーは大変で、最近は忙しく、家に帰れず店に泊まることが多くなってると、嬉しそうに語ってくれました。

GENKYができたのち、視覚障碍者マッサージがミャンマー全国に普及し、今では全国で100店舗以上できました。「視覚障碍者が働くマッサージ店」というだけで客が集まるまでにブランディングにも成功しました。

ただ、少し心配なのは、視覚障碍者を雇用するばかりで、育成を考えてくれるとこが少ないと校長は嘆いていました。

このマッサージコースの修了証書があれば、どこでも就職できる力があるようで、マッサージコースに参加したいと全国から候補者が集まるようになりました。ただ、教える指導員に限りがあるので、すべて受け入れることができません。数名は両親とヤンゴンにやってきて落胆して地方に戻るそうです。

まだまだやるべきことは山盛りですが、今回もたくさんのやる気を頂いた食事会でした。

ゲンキークリニック 2017年1月1-14日まで移転リユーアルプロモーション!

ゲンキークリニック 2017年1月1-14日まで移転リユーアルプロモーションを行います!

2017年12月23日 GENKY・ゲンキークリニックがボーアウンチョーストリートから50ストリートへ移転しました。

新しい住所と電話番号は下記の通りです。電話番号に変更はありません。

2017年1月1-14日まで移転リユーアルプロモーションを行います。

特典1:1000チャット割引
特典2:Wスタンプ
特典3:VIPメンバーに特別プレゼント

ぜひゲンキークリニックにお越しくださいませ!

新住所:No.83, 50St(Middle Block), Pazundaung Township, Yangon
電話番号:09-8615036
公式サイト:http://genkyclinic.com/

ボディマッサージ 45分6000チャット 60分7000チャット 90分 10000チャット
フットマッサージ 45分6000チャット 60分7000チャット 90分 10000チャット
*VIPカードの方は1000チャット割引

視覚障害者マッサージ短期集中訓練コースの修了式

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マッサージ店「GENKY」の売り上げ、J-SATグループからの寄付とゲンキーのスタッフによる指導で開催されてきた視覚障害者マッサージ短期集中コース。今年で7回目を迎えました。

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毎年、盲学校の夏休みになる3-5月までの3か月間を利用して行っています。今年は12名が無事卒業しました。

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うち3名はゲンキーへの内定が決まっており、残り9名も全員就職が内定しています。

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今年もヤンゴン管区社会福祉相にご出席頂き、またMRTVも取材に来られました。

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ゲンキーがなければ今の弊社の成長はなく、また介護人材育成事業もありませんでした。本業が忙しくゲンキーの経営に力が入っていませんでしたので、来年3店舗目の出店を計画しています。

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ミャンマーに来て20回目の記念すべき仕事納めは12月31日ではない!

2016年12月28日。
ミャンマーに来て20回目の記念すべき仕事納め。
(正確には明日から一泊二日の海外出張で一件仕事がありますが、ほぼ終わり)

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12月31日以外の仕事納めは20年で初めて。
今年は、明日12月29日はカレン族の正月で祝日。
12月31日は土曜日で1月1日が日曜日。
12月30日を臨時休日にし本日が仕事納めとなりました。
仕事始めは1月2日になります。

昨年の仕事納めをブログで見てみました。

「そして、2015年の仕事納めは…
政権交代が実現した総選挙が終わり、2016年4月は新政権が始動。
弊社も2016年4月を目標に、ついに動き出します。
事務所はついにサクラタワーに統合され各事業部が同じ事務所内に入り、2016年1月ー3月まではシステム再構築。そして4月に突入!
新政権同様、2016年1-3月に最終チェック、そして4月から本格的にスタートできるよう最終準備に入りたいと思います。」

と書いていました。

実際本格的にスタート、9月には事務所を拡張、300m2を超える広さになりました。さすがに1年前はここまで予想していませんでした。

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1年を振り返り、大学セミナーも21大学を越え、ついに大学内に日本語授業も受託することになりました。本日現在、ミャンマーのトップ理系4大学で日本語講座を持つまでに成長。さらに機械CADクラスも受託。
そして、2015年7月からスタートさせた介護人材育成センターが順調に立ち上がり、法案も通過。いよいよ来年から送り出しがスタートします。

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ここまでは拡大、拡大、拡大で来た3年間。
その集大成として単独誘致で行った、ブラインドサッカー普及活動。

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しかし、ここまで拡大できたのは、競業他社がほとんどいなかっただけ、20年がんばってきたご褒美。
それを象徴して、事務所にあった幸福の木が開花。

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5年に一度咲くか咲かないかという珍しい花で、甘美な香りで1週間咲続けました。
その花も今日仕事納めと同時に終わりました。

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ご褒美は今日で終わり。
2017年からは新たな戦いとステージが待っています。
これから大手競業他社がくることが予想され、2016年までの成功体験は過去のもの。気を引き締めていかないと、アッという間に崩壊してしまいます。
「信をもって、社内充実」

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これをキーワードに2017年は100名を超えた社員の底上げに重点を置き、地に足つけて頑張っていきたいと思います。

今年一年本当にご支援誠にありがとうございました。
来年もご指導宜しくお願いいたします。

よいお年をお迎えくださいませ。

大成功に終わったブラインドサッカー普及活動

NPO法人日本ブラインドサッカー協会の招待で、2016年12月13日~15日までの4日間にわたり、ミャンマーでブラインドサッカーの普及活動を実施。日本選手権4連覇中のAvanzareつくばに所属し日本代表キャプテンの川村選手と福永選手にミャンマーまでお越頂きました。

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民政移管後、海外からの投資が入ってくるも視覚障害者を取り巻く環境はあまり変化なく、そこでチミダイン盲学校の校長やGENKYスタッフらと相談しブランドサッカーを提案。GENKY設立時からお世話になっている、筑波技術大学形井教授に相談したところ、筑波技術大学教員で日本代表でコーチをしている福永選手をご紹介頂きました。そして、福永選手から日本代表キャプテンの川村選手をつないで頂き、今回ボランティアでミャンマーにお越頂くことになりました。

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ミャンマー社会福祉・救済再復興省からスポーツ省に交渉してもらいフットサル競技場の使用許可をもらいました。また、フェンスは試行錯誤を重ね、水道官をつかったもので代用。

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ブランドサッカー用ボールを20個発注、ユニフォーム、ソックス、シューズなどすべてJ-SATグループ各社が稼いだ利益で準備、J-SATグループでの単独スポンサーで実施致しました。

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ミャンマー社会福祉・救済再復興省とスポーツ省からも開会式に参加。ミャンマーの経済発展とともに、視覚障害者を取り巻く環境も改善させていきたいというスピーチもありました。

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すべて手作り、弊社スタッフが動き回り準備、開会式も手配。自画自賛ですが、J-SATチームキビキビ動きました。

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ミャンマー地元からの注目度も高く、テレビ局は全局、雑誌も数社来られました。日本のメディアも来られ、広く告知できたこと、あらためてお礼申し上げます。

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NHK「ブラインドサッカー日本代表 ミャンマーの若者と交流(2016年12月13日放送)」

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mitv – Soccer Training: 1st Time For The Visually Impaired People【2016年12月15日放送】

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Myanmar Times 誌
今回は、チミダイン国立盲学校(政府系代表)、カワイジャン盲学校(キリスト教系代表)、ゲンキーマッサージ店(マッサージ店代表)と3つ組織団体から各チーム10名づつ選抜して行いました。

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ブラインドサッカーのルール説明から始まり、ドリブル練習、ディフェンス、攻撃練習などに続き、最終日にはミニゲームもできるほどに上達しました。

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各校長からの評価も高く、視覚障害者スポーツがほとんどないミャンマーに、ぜひ継続的にブラインドサッカーが普及できるよう指導者を定期的に誘致して欲しいというリクエストもありました。継続していくことが大切ですので、ここからが勝負です。
今回の結果を分析し、今後につなげていきたいと思います。

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川村選手や福永選手によれば、ミャンマーの視覚障害者選手層は厚く、また視覚障害者を取り巻く環境が厳しいことが、逆に身体能力を上げているようで、10年先は日本代表も危ういという話もありました。(確かにうちのGENKYスタッフは、晴眼者でもつまづくダウンタウンを一人で歩きバスにのって移動できます・・・)

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当初は最終日にPK戦でもできればという打ち合わせでしたが、彼らの身体能力が予想より高かったことで、ミニゲームを行うことになりました。

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かなり激しいスポーツで、当日は頭を切り出血する選手も出ましたが、無事大きなケガなく終えることができました。

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ミニゲームはすべて0-0に終わり、最後はPK戦に。

ミャンマー代表チームがオリンピックに出場するのは正直難しいですが、パラリンピックであれば十分可能。2020年東京パラリンピックでブランドサッカーミャンマー代表が活躍となれば、国内中が大騒ぎになることは間違いなく、視覚障害者への理解や環境が変わることは間違いありません。
これは楽しみになってきました。

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最終日は各盲学校そして、メリーチャップマン聾学校、ヤンゴン日本人学校も訪問しました。

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今回ご協力して頂いた関係者の方々、本当にありがとうございました。
これをぜひ継続していきたいと思いますので、引き続きご支援宜しくお願いいたします。

NPO法人日本ブラインドサッカー協会が協力し ミャンマーで普及活動を実施

NPO法人日本ブラインドサッカー協会が協力し ミャンマーで普及活動を実施

「ミャンマーの視覚障害者に新たな夢と希望を」

NPO法人日本ブラインドサッカー協会(以下、JBFA)は、2016年12月13日~16日までの4日間にわたり、ミャンマーでブラインドサッカーの普及活動を実施し、日本選手権4連覇中のAvanzareつくばに所属する川村怜と福永克己を派遣いたします。ミャンマー社会福祉・救済再復興省の招致でミャンマーの中心都市ヤンゴンに来緬。日本代表の選手およびスタッフとしても活動する2人がミャンマーの視覚障害者らにブラインドサッカーの基礎技術を伝えることで、普及を目指します。

ブラインドサッカー
ブラインドサッカー

■ミャンマーにおけるブラインドサッカー普及活動実施の経緯
ミャンマーでは統計上で視覚障害者は約18万人、実際には30万~40万人いるとも言われており、家に閉じ籠もりがちの者も多く、ほとんどの者は社会的・経済的に自立していないのが現状です。
2009年から視覚障害者支援を行う株式会社ジェイサットコンサルティング社代表の西垣充が、2011年民政移管後、ミャンマーが急速に発展するも視覚障害者を取り巻く環境はあまり変わっていない現実から、視覚障害者らにも経済発展の恩恵を受ける事業をミャンマー政府側と協議しブラインドサッカー普及活動を提案。視覚障害者支援開始当時から、献身的に協力、指導頂いている、筑波技術大学形井教授及び緒方教授、そしてJBFAの協力により、今回の普及活動が実現しました。今回の日本人指導者2名の費用やヘッドギア、マスク、ゴールポスト、ボール、会場使用費及びミャンマー政府、筑波技術大学との交渉はすべて、株式会社ジェイサットコンサルティング社が単独で負担、コーディネートしています。

■ブラインドサッカーの具体的取り組み予定
ヤンゴン国立チミダイン盲学校、ヤンゴンチミダイン盲学校、ゲンキーマッサージ店の3チームから10名を選出。ブラインドサッカーのルールからパスの仕方など基本的な技術を伝え、各学校、マッサージ店にブラインドサッカーの楽しさを伝え、今後の本格的な普及活動に活かします。最終日は3チーム対抗PK戦を行う予定です。

■ミャンマーでのブラインドサッカーの現状
視覚障害者5人制サッカー(視覚障害者サッカー、通称:ブラインドサッカー)とは、視覚に障害を持った選手がプレーできるように考案されたサッカーです。
これまで、ブラインドサッカーのミャンマー代表は2年前のアセアンパラゲームズ(東南アジアパラリンピック)で、タイ代表、マレーシア代表と戦っていますが、2015年末にシンガポールで開催されたアセアンパラゲームズには不参加でした。また、IBSA(国際視覚障害者スポーツ連盟)には加盟しておらず、近年、視覚障害スポーツではパラリンピックには出場していません。
安倍総理は「ODAなどでスポーツ支援を行っていきたい」と述べ、スポーツ分野の発展途上国支援に積極的に取り組む姿勢を示しており、2020年東京パラリンピックのミャンマー出場も見据えています。

■プロフィール
<川村怜(かわむら・りょう)>
1989年生まれ、大阪府出身。Avanzareつくば所属。
筑波技術大学在学中よりブラインドサッカーを始め、2013年さいたま市ノーマライゼーションカップで日本代表デビューし、世界王者ブラジルから初ゴールを奪う。インチョン2014 アジアパラ競技大会、世界選手権2014、アジア選手権2015などに出場。アジア選手権では、チーム最多となる7得点をマーク。得点力と豊富な運動量でチームを牽引する。

<福永克己(ふくなが・よしき)>
1973年生まれ、大阪府出身。Avanzareつくば所属。
2007年筑波技術大学赴任後よりブラインドサッカーに関わり、2009年GKとして日本代表選出。2010年より日本代表コーチ。現在はAvanzareつくば代表を務める。

■筑波技術大学及びAMINについて
学校名:国立大学法人筑波技術大学
所在地:〒305-8521 茨城県つくば市春日4-12-7
TEL  :029-852-2890(代表)

筑波技術大学とは、聴覚または視覚に障害を持つ人が学ぶ4年制国立大学。筑波技術大学が中心となり、アジア医療マッサージ指導者ネットワークAMIN:Asia Medical Massage Instructors Network.の活動も行っています。主にアジア太平洋地域の途上国に、視覚障害者が、医療マッサージの専門家として就業できる体制を整備することを目的としており、2009年からミャンマーにも定期的にセミナーを行い、普及活動を行っています。

視覚障害者マラソンと孤児院への寄付

11月15日は白杖の日。ここミャンマーでは視覚障害者マラソン大会の日です。ヤンゴンとマンダレーで行われましたが、ヤンゴンは第25回目を数えています。

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朝5時半YCDC(ヤンゴン市開発委員会)をスタート。

沿道では市民や市の職員がお菓子やジュースなど視覚障害者らに寄付をしています。

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今回はうちのゲンキー視覚障害者スタッフが、市民らからの寄付されたお菓子などと社員らからの寄付を合わせ孤児院に寄付したいと発案。
これをYCDC(ヤンゴン市役所)に伝えたところ、バスを無償で提供するとの申し出を受けました。

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マラソンはサクラタワー事務所のスタッフらも参加し、ゲンキースタッフだけでなく、サポートのいない視覚障害者らもサポートしながら完走。

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マラソン後、シャワーを浴びて、YCDCのバスで約3時間、孤児院へいきました。
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孤児院はまだ設立されて1年8ヶ月。村から寄付された土地1エーカーの上に立てられ、周辺の人々の寄付で運営されています。
ここから村の学校へ通っている子は、約70名、小僧は40名ほど。

現在の110名から将来は200名ぐらいまで受け入れる予定。孤児院ではヤンゴンからとミャンマー国境地帯からの孤児らが生活していて、孤児院内の塾講師5名。1人当たり1ヶ月に80000チャットを払っています。

この孤児院を始めた僧正はまだ30代。
2008年、10万人以上死者を出したと言われるサイクロン・ナルギスで彼の村も被害にあい、村人128名が亡くなり、村で生き残ったのは彼を含め2名のみ。僧正の親戚25名とほとんど身内は亡くなり孤児になりました。それ以来ミャンマーの国境などの村へ行き、勉強できない子供らに勉強を教えていたそうです。国境では軍隊に入れられる子が多く、ビルマ語が話せない子が多かったそうで、その後、自身で孤児院を作ろうと寄付金を募り設立されました。

現在は男の子だけ受け入れていますが、今後は女の子も受け入れる予定とのこと。
孤児院をもっと大きくして女性寮も作り、信頼できる尼さんに管理してもらうのが僧正の希望です。

僧正から視覚障害者の方から寄付を受けて、お言葉頂きました。

「生きている限り希望がある。人間が発達(Human Development)してから国が発展できる(Country Development)。子どもたちを支援しましょう。」