J-SATは25年間ミャンマーにて事業を行う実績と経験からミャンマー進出における

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ミャンマーのつぼ~ミャンマーから西垣がお届けするブログ

社外活動で孤児院に寄付してきました。

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社員が寄付に行きたいということで、社員らが場所を見つけアレンジ。会社として終日休みにして社外活動してきました。

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希望者47名、各自が給料から積み立ててきた寄付金を渡すため、サクラタワーに5時集合。15分前には多くの人が集まり3分前には全員揃い出発。
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場所はヤンゴンから片道5時間、ピィへ行く途中のGyobingaukの郊外と聞いていた情報とは異なり、ひたすら村へ続く牛車用の道。

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49名乗りの大型バスが通れる道ではなく、案の定、途中からバスを置き去りにし徒歩。

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僧院からトラックを持ってきてもらい、全員トラック荷台に乗り移り孤児院を目指すこと45分。

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ヤンゴンから大変な道中、約8時間かけて到着したThin Kha Yine Myittar Yeik 孤児院。

到着したら、まずはご飯を頂きました。

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小学4年生以下216名の孤児が生活するここでの一番の出費は食費。
50キロの米袋を一か月で45袋、一日の食費は11万チャット(約1万円)とのこと。運営は大きなお寺からの寄付で賄っているそうです。
5年生以上は中学校のある村にいるそうです。

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貧しく人々の支援で大学まで行った29歳の僧正。
多く人々の善意で育てられたので恩返しをしたいと教師を目指すも給料が安く社会に恩返しができない現実。
そこで思いついたのが僧侶になり孤児院を作ること。
大学卒業し僧侶になり、21歳のときに孤児院を現在の地に開いたそうです。

支援できる資金がある限りは拒否せず受け入れていきたいと話されています。
子供の境遇や僧院のことなど話して頂く間、泣いている社員も数名いました。
そして、最後に説教を一つ頂きました。

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「私は働きたくても働けない。働ける人は是非給料のすべてをお菓子などに使ってしまうのではなく、一部を寄付に回してください。」
と話されていました。
自ら貧しく、働きたくても働けない。稼ぎたくても稼げない、そんな境遇がこういった言葉を生んでいるのかもしれません。

生まれて両親がなくなり身寄りなく預けられた子供。学生で子供ができちゃって育てられなく捨てられた子供、出産後貧しく育てられないので病院に置き去りにされた子供。
そんな子供らが集まっている孤児院。
生まれた環境だけで、子供らには全く罪もない。不公平な現実。

働く環境がある我々。その環境を当然と思うのではなく、働きたくても働けない、努力したくても努力の先は何もない。そんな多くの人々の変わりに働くのが我々の役割。

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弊社のスローガン
「ガンバる人には先を見せてあげる。夢が見れる国に。Raise Your Dream」

この理念を実現するため、2016年も走り続けます!

【余談】
突然僧正が、この裏は戦時中日本軍が来ていた場所で・・・と案内してくれました。
バゴー山脈を越えて逃れてきた敗走ルート。近くには大きな湖。
そういえば、サイクロン・ナルギス到着2日前にこの場所近くでロケしていた番組のロケ中、戦時中の日本軍の話を聞いたことを思いだしました。バゴー山脈を命からがら越えてたどり着くも、湖に毒を盛られて多くの日本兵が死んだという話でした。
突然僧正がそんな話をし始め…、ミャンマーでどこか訪問するときは必ず理由があります。

【余談2】
施設内にあるパゴダ。以前はパゴダの真ん中当たりから水が出ていたそうです。施設に人が集まれば集まるほど多くの水が出る不思議なパゴダとして有名になり、一時は多くの人が集まったとのこと。ただ、2年程前にパゴダのための寄付金を誰かが騙し取ったそうで、その時から突然水が出なくなってしまったらしいです。

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