2005年08月18日
93歳という年齢にも関わらず、今でも頻繁に国内旅行に出かけられるマウンテン大佐。ビルマ独立義勇軍のメンバーで、戦後日本の遺骨収集にも尽力を尽くした功労者。
「アウンサン将軍らとともに日本に行く予定だったが、ちょうどヤンゴンにいなく一緒に行けなかった」とつい最近の出来事のようにお話されます。
先日も市内を案内してあげよう。と、ヤンゴンに残る戦時中の建物など説明して頂きました。
友人を紹介するということで大佐と一緒にBIA本部があったという今に住む友人を訪ねましたが、すでに他界されていました。友人の息子と戦時中の話をしていましたが、通訳していた弊社スタッフも、学校で習った人物が次々出てきて皆それらが知り合いで、つい最近の出来事のように話すというすごい会話に驚いていました。
戦時中ある程度の地位にあった方は90歳以上になっており、なかなかこういった話を直接お聞きする機会もなくなってきました。今のうちに色々話を聞いておかねば!
2005年08月02日
仕事の関係で女優テテモウさんの自宅に訪問した時のエピソードです。自宅ということもあってほぼスッピンの彼女でした。最近は少なくなりましたが少し前まではまさしくCMの女王の名に相応しく、テレビをつければテテモウが出てくるという印象でした。しかもその小太りとメイクの濃さに、何故人気があるのか不思議に感じる人も多かったと思います。
そこで、メイクの話を聞いてみると、彼女はテレビでは一般の人々の好みに合わせる為、わざと濃い化粧にしているのだそうです。一度一緒に食事させて頂きましたが、薄化粧で日本の女優さんのようなメイクでした。
彼女は数え切れないほど自分が出演したCMをほぼすべて覚えており、それぞれの特徴や演出の目的を即座に回答されました。本当に頭がいい方だという印象を今も持っています。
2005年07月02日
戦前タウングーでニッコウという写真館を経営されていた大熊さん。2年前89歳という年齢にも関わらず、夜便で到着してすぐビールを飲んでおられた姿が目に焼きついています。
戦前、ビルマへ出稼ぎに来る日本人は多かったらしく、マンダレーには2000人程の日本人がおられたそうです。(現在ヤンゴンには約500名ぐらいの日本人がいると言われていますので今の4倍の人数です!)
カレン族のメイドが家事は一切してくれるので連日イギリス人や日本人仲間でダンスしたり昼間からビール飲んだりマージャンしたりして楽しかったと、つい最近の出来事のように話されていました。ビルマでお金を稼いで世界一周して日本に帰る予定が戦争に突入、混乱の中写真館を従業員に渡し日本へ逃げ帰ったそうです。
昨年大熊さんは他界されました。ご冥福をお祈り申し上げます。
(写真提供:島村 浩さん)
2005年06月24日
昨年テレビ東京系列で放映された番組を見られた方もおられると思います。昼間に放送されたにも関わらず高視聴率を記録し反響の大きかった番組です。ウィン君のその後をよく聞かれることがあるので、国際医療奉仕団 ジャパンハートの吉岡医師に最近の様子を聞いてみました。
先月ウィン君にお会いしたそうで、元気に遊んでいるそうです。手術前からあった右側の顔面マヒはかなり回復してきたそうで顔面神経麻痺の後遺症のほうは徐々に良くなってきたのか、右顔面にも表情がでるようになって来ているそうです。また手術前からマヒがあった右足も手術後に比べるとかなり動くようになってきたそうです。歩行訓練の方は少しサボっているようで、まだまだ一人で立つことも出来ません。移動はハイハイでしており、以前よりは行動範囲も拡大しつつあるようです。
吉岡医師に出会わなければ今頃はこの世にいなかったと思うと運命の不思議をあらためて感じます。
(写真提供:ジャパンハート 2005年6月18日撮影)