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ミャンマーのつぼ~ミャンマーから西垣がお届けするブログ

カチンのシャーマンその1

カチンのシャーマン。シャーマンの中でも最も上位の階級にあるジョイワー。現在カチンで確認されているジョイワーは2名しかおられないようです。キリスト教に改宗した人も精霊信仰は根強く残っています。しかしキリスト教に改宗したといっても、生贄の儀式は行い、冠婚葬祭でも精霊信仰のものと大差ない彼らは果たして本当にキリスト教徒なのかなあ。と思ってしまいます。
余談までフリージャーナリストの吉田氏がカチンを旅した際に出会ったというシャーマンは他界してしまったそうです。

新スタッフ

テレビ東京の特番のカチン族ロケで驚異的な働きを見せたカチン族1名を、先月から弊社ヤンゴン事務所に招き入れ働き始めました。
山では驚異的な働きをするもさすがに突然のヤンゴン、電話にFAX、E-MAIL、インターネットと訳がわからない世界のようですが、都会での活躍を見守りたいと思います。

カチン族ロケ

ようやく取材ロケから戻ってきました。(こちらのブログは実はしばらく自動更新にしておりました。)
今回の舞台はカチン州の山奥、カチン族の中でも古くからの精霊信仰が残る人々が住む村。ナガ族やチン族の首狩りは有名ですが、源流はこのカチン族。今回の取材でそのことを再認識致しました。カチン族といえば祭りで刀片手にフォークダンスのように踊っているぐらいのイメージの方が多いと思いますが、さすがは元祖首狩族。すごいです!
ほとんど紹介されていなかった森の民、カチン族の本来の生活、文化、風習、本当に興味深いものです。
11月3日 21時~2時間特別番組のドキュメンタリーとして全国放送される予定です。詳細が決まりましたらご報告いたします。必見です!!!

15軍司令部

インパール作戦の中心となった15軍司令部として使われていた建物です。日本軍が作る前はイギリス軍が司令部として使用していました。
現在は将校学校として使用されており、戦時中とそれほど変わらない状態で今も現役で使用されています。
ピンウールイン(メイミョ)にありますが、軍の施設の内部にありますので一般者方が見ることは難しいかもしれません。

終わらない戦争

サンペイさんが番組「絵手紙と郵便兵」で呟いた一言。「俺にとってはまだ戦争は終わっていないんだ。」
日本ですと毎日が忙しいですし、戦争の体験をした話というのは自らの意思で求めないと入らなくなっていますが、ここミャンマーで生活すると生活の一部として戦争関連を感じます。
サンペイさんも近年病に倒れ体調不良で、戦争体験者の高齢化が進んでいます。後世にそして日本で生活する人々にこれらを伝えていかねばと強く感じます。

マウンテン大佐

93歳という年齢にも関わらず、今でも頻繁に国内旅行に出かけられるマウンテン大佐。ビルマ独立義勇軍のメンバーで、戦後日本の遺骨収集にも尽力を尽くした功労者。
「アウンサン将軍らとともに日本に行く予定だったが、ちょうどヤンゴンにいなく一緒に行けなかった」とつい最近の出来事のようにお話されます。
先日も市内を案内してあげよう。と、ヤンゴンに残る戦時中の建物など説明して頂きました。
友人を紹介するということで大佐と一緒にBIA本部があったという今に住む友人を訪ねましたが、すでに他界されていました。友人の息子と戦時中の話をしていましたが、通訳していた弊社スタッフも、学校で習った人物が次々出てきて皆それらが知り合いで、つい最近の出来事のように話すというすごい会話に驚いていました。
戦時中ある程度の地位にあった方は90歳以上になっており、なかなかこういった話を直接お聞きする機会もなくなってきました。今のうちに色々話を聞いておかねば!

女優 テテモウ(Htet Htet Moe Oo)さん

仕事の関係で女優テテモウさんの自宅に訪問した時のエピソードです。自宅ということもあってほぼスッピンの彼女でした。最近は少なくなりましたが少し前まではまさしくCMの女王の名に相応しく、テレビをつければテテモウが出てくるという印象でした。しかもその小太りとメイクの濃さに、何故人気があるのか不思議に感じる人も多かったと思います。
そこで、メイクの話を聞いてみると、彼女はテレビでは一般の人々の好みに合わせる為、わざと濃い化粧にしているのだそうです。一度一緒に食事させて頂きましたが、薄化粧で日本の女優さんのようなメイクでした。
彼女は数え切れないほど自分が出演したCMをほぼすべて覚えており、それぞれの特徴や演出の目的を即座に回答されました。本当に頭がいい方だという印象を今も持っています。

大熊さんと鈴木さん

戦前ともにビルマで生活されていた二人。お互い1914年大正3年生まれと同い年。大熊さんは戦争の混乱の中、日本へ帰国。鈴木さんは戦時中もビルマに残り、今現在も元気にヤンゴンで生活されています。
この時が初めてのお二人でしたが、戦前のビルマでの生活に話が盛り上がっていました。
(写真提供:島村 浩さん)

戦前にあった日本人経営の写真館

戦前ビルマ国内にあった日本の写真館を探したことがあります。メモした紙を忘れてしまい正確な数字は忘れてしまいましたが、確かヤンゴンに5件、マンダレーに3件、タウングーに1件、ピィに2件、パテインに1件、モールミャインに2件ぐらいだったような、とにかく結構たくさんあるその数字に驚いたのを覚えています。
戦前ビルマ国内では日本の写真館は品質が高いと評判だったそうで人気があったそうです。今おられる多くの老人に聞いてみましたが皆そのように話されています。
(写真提供:島村 浩さん 戦前タウングーで大熊さんが経営されていたニッコウ写真館)

大熊幾代さん

戦前タウングーでニッコウという写真館を経営されていた大熊さん。2年前89歳という年齢にも関わらず、夜便で到着してすぐビールを飲んでおられた姿が目に焼きついています。

戦前、ビルマへ出稼ぎに来る日本人は多かったらしく、マンダレーには2000人程の日本人がおられたそうです。(現在ヤンゴンには約500名ぐらいの日本人がいると言われていますので今の4倍の人数です!)

カレン族のメイドが家事は一切してくれるので連日イギリス人や日本人仲間でダンスしたり昼間からビール飲んだりマージャンしたりして楽しかったと、つい最近の出来事のように話されていました。ビルマでお金を稼いで世界一周して日本に帰る予定が戦争に突入、混乱の中写真館を従業員に渡し日本へ逃げ帰ったそうです。
昨年大熊さんは他界されました。ご冥福をお祈り申し上げます。
(写真提供:島村 浩さん)