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ミャンマーのつぼ~ミャンマーから西垣がお届けするブログ

マウンテン大佐

93歳という年齢にも関わらず、今でも頻繁に国内旅行に出かけられるマウンテン大佐。ビルマ独立義勇軍のメンバーで、戦後日本の遺骨収集にも尽力を尽くした功労者。
「アウンサン将軍らとともに日本に行く予定だったが、ちょうどヤンゴンにいなく一緒に行けなかった」とつい最近の出来事のようにお話されます。
先日も市内を案内してあげよう。と、ヤンゴンに残る戦時中の建物など説明して頂きました。
友人を紹介するということで大佐と一緒にBIA本部があったという今に住む友人を訪ねましたが、すでに他界されていました。友人の息子と戦時中の話をしていましたが、通訳していた弊社スタッフも、学校で習った人物が次々出てきて皆それらが知り合いで、つい最近の出来事のように話すというすごい会話に驚いていました。
戦時中ある程度の地位にあった方は90歳以上になっており、なかなかこういった話を直接お聞きする機会もなくなってきました。今のうちに色々話を聞いておかねば!

女優 テテモウ(Htet Htet Moe Oo)さん

仕事の関係で女優テテモウさんの自宅に訪問した時のエピソードです。自宅ということもあってほぼスッピンの彼女でした。最近は少なくなりましたが少し前まではまさしくCMの女王の名に相応しく、テレビをつければテテモウが出てくるという印象でした。しかもその小太りとメイクの濃さに、何故人気があるのか不思議に感じる人も多かったと思います。
そこで、メイクの話を聞いてみると、彼女はテレビでは一般の人々の好みに合わせる為、わざと濃い化粧にしているのだそうです。一度一緒に食事させて頂きましたが、薄化粧で日本の女優さんのようなメイクでした。
彼女は数え切れないほど自分が出演したCMをほぼすべて覚えており、それぞれの特徴や演出の目的を即座に回答されました。本当に頭がいい方だという印象を今も持っています。

大熊さんと鈴木さん

戦前ともにビルマで生活されていた二人。お互い1914年大正3年生まれと同い年。大熊さんは戦争の混乱の中、日本へ帰国。鈴木さんは戦時中もビルマに残り、今現在も元気にヤンゴンで生活されています。
この時が初めてのお二人でしたが、戦前のビルマでの生活に話が盛り上がっていました。
(写真提供:島村 浩さん)

戦前にあった日本人経営の写真館

戦前ビルマ国内にあった日本の写真館を探したことがあります。メモした紙を忘れてしまい正確な数字は忘れてしまいましたが、確かヤンゴンに5件、マンダレーに3件、タウングーに1件、ピィに2件、パテインに1件、モールミャインに2件ぐらいだったような、とにかく結構たくさんあるその数字に驚いたのを覚えています。
戦前ビルマ国内では日本の写真館は品質が高いと評判だったそうで人気があったそうです。今おられる多くの老人に聞いてみましたが皆そのように話されています。
(写真提供:島村 浩さん 戦前タウングーで大熊さんが経営されていたニッコウ写真館)

大熊幾代さん

戦前タウングーでニッコウという写真館を経営されていた大熊さん。2年前89歳という年齢にも関わらず、夜便で到着してすぐビールを飲んでおられた姿が目に焼きついています。

戦前、ビルマへ出稼ぎに来る日本人は多かったらしく、マンダレーには2000人程の日本人がおられたそうです。(現在ヤンゴンには約500名ぐらいの日本人がいると言われていますので今の4倍の人数です!)

カレン族のメイドが家事は一切してくれるので連日イギリス人や日本人仲間でダンスしたり昼間からビール飲んだりマージャンしたりして楽しかったと、つい最近の出来事のように話されていました。ビルマでお金を稼いで世界一周して日本に帰る予定が戦争に突入、混乱の中写真館を従業員に渡し日本へ逃げ帰ったそうです。
昨年大熊さんは他界されました。ご冥福をお祈り申し上げます。
(写真提供:島村 浩さん)

ラジオ出演

先程、TBSラジオの「ストリーム」(平日午後1時から3時半)という国際ジャーナリストの小西克哉さんとDJの松本ともこさんがパーソナリティを務める情報番組に出演し、10分間ほど、ミャンマーについてお話させて頂きました。
6月28日の放送は、特番形式で「150分バカニュース世界一周スペシャル」と銘打ち、世界各国からバカニュースをレポートするということで、中々お話するネタが見つからず四苦八苦しました。
苦労話や真面目な話ならいくらでもあるのですが、バカッぽい話というのはミャンマーでは本当に難しかったです。とにかく無事終了してひと安心です。

ウィン君のその後

昨年テレビ東京系列で放映された番組を見られた方もおられると思います。昼間に放送されたにも関わらず高視聴率を記録し反響の大きかった番組です。ウィン君のその後をよく聞かれることがあるので、国際医療奉仕団 ジャパンハートの吉岡医師に最近の様子を聞いてみました。

先月ウィン君にお会いしたそうで、元気に遊んでいるそうです。手術前からあった右側の顔面マヒはかなり回復してきたそうで顔面神経麻痺の後遺症のほうは徐々に良くなってきたのか、右顔面にも表情がでるようになって来ているそうです。また手術前からマヒがあった右足も手術後に比べるとかなり動くようになってきたそうです。歩行訓練の方は少しサボっているようで、まだまだ一人で立つことも出来ません。移動はハイハイでしており、以前よりは行動範囲も拡大しつつあるようです。
吉岡医師に出会わなければ今頃はこの世にいなかったと思うと運命の不思議をあらためて感じます。
(写真提供:ジャパンハート 2005年6月18日撮影)

日本兵の生まれ変わり?

調査の際はよく地元ジャーナリストにコンタクトをとります。以前、その彼が私に対しパコックを知っているか?パコックは日本兵が最も生まれ変わっている地域だ。と言い切りました。検閲の厳しい国内であってもこの道数十年のベテラン。ミャンマーの生き字引みたいな方が話すので、信憑性はさておき気になる話ではあります。日本兵の生まれ変わりについてまとめた本があるらしく(もちろんミャンマー語)今探してもらっています。誰かご存知の方おられますか???

ちなみにこの話をしたのは、ミャンマー全国紙の編集長です!

キンワンさん

キントゥーさんのお兄さんで歌手であった故キンワンさん。私は残念ながら一度もお会いしたことがありませんが、キンワンさんのお話を聞かせて頂きましたうちのエピソードを一つ。
キンワンさんは日本人のハーフということもあり、長渕剛の歌などミャンマー語に吹き替え発売しようと、日本のレコード会社等と権の交渉していたそうです。著作権の問題がクリアできず結局歌わなかったそうですが、現在ミャンマーで発売されている音楽の多くは著作権を無視しているのではと思われる状況下、感心するエピソードです。
余談ですが、弊社に掲載している音楽はすべて掲載に関して発売元等の許可の上掲載しています。最近日本の音楽をよく聞くので日本のコピー曲をまとめて掲載しようと発売元と交渉したのですが、著作権の問題があり日本のサイトにはこれ以上掲載しないでほしいと言われ企画倒れになってしまいました。ミャンマー音楽に詳しい方に頼んでリストは出来上がっているのですが、、、。

キントゥーさん

ついにブログをはじめることにしました。
ヤンゴンナウの西垣が中心となってミャンマーからブログを発信していきます。ミャンマー便りやエッセイのコーナーには、、、というようなネタを発信していければと思っております。宜しくお願い致します。
日本兵としてビルマの地で戦い戦後ミャンマー人女性と結婚しそのままビルマに残った故吉岡さんの次男キントゥーさん。長男故キンワンさんは歌手、三男キンスリーさんは日本人と結婚し現在日本で生活されています。私が初めてお会いした時はほとんど会話して頂けませんでした。ビルマを占領していた日本兵の子供だ、ファシストだと差別され育ってきた彼はこれまで意識的に日本人とは距離をあけてきたそうです。もし結婚して子供が生まれたら私のように苦労させたくないとの理由で結婚はしないそうです。
今年『今私が伝えないと誰も知らないままだ。伝えなければならない。』とキントゥーさんは取材に応じてくれました。

番組「郵便兵と絵手紙~孫娘が語り継ぐ祖父の戦争」は5月4日中京テレビで放送されかなりの反響でした。8月に日本テレビ系列で全国放送の予定です。是非ご覧下さい。

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