J-SATは25年間ミャンマーにて事業を行う実績と経験からミャンマー進出における

人材支援、市場調査、会社登記等、会社運営をトータルサポートします。

ミャンマーのつぼ~ミャンマーから西垣がお届けするブログ

日本は外資系作るのが世界一難しい国!?

昨年、ジェイサット日本法人を作りました。
本社シンガポールですので、シンガポール法人の子会社という形式での設立で外資系。私が代表ですので、在ミャンマー日本大使館から必要書類を発給してもらい手続きを行いました。

日本法人解説には、大阪外国企業誘致センター O-BIC(Osaka Business and Investment Center)を利用させて頂きました。大阪府、大阪市、大阪商工会議所が共同で設立した外国企業のビジネス立ち上げを支援するところで、外資系設立を多く経験持つ行政書士の先生の紹介と補助金、レンタルオフィスや事務所などの物件情報、そして、半年間無料利用ができるインキュベーターオフィスなど、かなり便利なサービスです。

大阪市の起業支援用インキュベーターオフィス

これがなければ弊社日本法人は設立できませんでした。本当にありがとうございました!

支援団体を使ったとはいえ、ミャンマーで作るより日本での外資系設立はハードルは高いです。行政書士の先生曰く、どの国の人も日本での会社設立は難しいと話され、日本は世界でも有数の外資系設立が難しい国とのことでした。

では何が難しいのか。

大阪市の起業支援用インキュベーターオフィス

 

 

 

 

 

 

 

ハードルになるのは、個人口座開設 と 法人口座開設 そして 住所。
法人設立申請書類の一つに、個人口座に資本金が振り込まれたという証明書があります。私は個人口座は持っているので問題はないですが、初めて日本に来た外国人の方が個人口座作るのは至難の業のようです。個人口座作るには、住所が必要。もちろん登記にも住所が必要。個人口座もない外国人が住居を借りるのも大変。
さらには、法人口座を作る難しさも、この調子ですので難易度がわかるかと思います。
住所が借りれないので、アパートを購入してしまう人も少なくないそうです。

ミャンマーで法人を作る場合は、まずは書類申請し、仮登記がおりてから、その書類で法人口座開設。そこに資本金を振り込みますので、理に適っています。日本の法人手続きの順序は、どうもおかしいように思います。
日本は外資系誘致策を打ち出していたと思いますので、会社設立の仕組みを少し変えた方がいいように感じます。

弊社日本法人は、日本で営業活動する訳ではなく、ミャンマーから日本へ行く人材のサポート、そしてミャンマーの人を受け入れる企業をサポートするのを主な事業の柱にしています。詳細はこちら、プレスリリースをご覧ください。
http://www.osaka.cci.or.jp/Chousa_Kenkyuu_Iken/press/111614mmr.pdf

弊社は本日仕事納め。お経をあげてもらいました。

今年はは旧カレンダーで水祭り休暇を取ることに決めましたので、弊社は本日仕事納め。
4月12日から4月23日まで正月休暇となりますので、メールなどお問い合わせのご返信は24日以降になりますこと、あらかじめご了承くださいませ。

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昨日ジェイサット日本語学校にてお経をあげて頂いたのに続き、今朝は朝5時からお経をあげて頂きました。

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朝4時過ぎに事務所に集まり、皆さん準備してくれました。
いつもながら、皆さん手際がいいです。

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メインのお説教は弊社HR(人事)スタッフが25歳前後の若者に向けた説教して頂くのにふさわしい僧侶探しで事務所近くの3つの僧院をリサーチ。お越し頂いた僧侶の方から、すばらしいお説教で締めくくって頂きました。
お説教の後は、お経をあげて頂いた聖水をスタッフらに、そして一人一人ミャンマー語の社長メッセージ入り、水祭りお小遣いを渡し、一年を締めくくりました。

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その後はゲンキーでも全体会議を行い、皆にメッセージとお小遣い。
学校2か所を回り、最後はロケのためタレントさんを向かいに空港へ。

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まいど激動の一年でしたが、最後は皆が笑って追われる素晴らしい一日となりました。

仕事始めは4月24日。4月24日からミャンマー商工会議所会頭やタンリン工科大学長、工科大学マンダレー学長らを大阪商工会議所にご案内するため、私は不在で戻りは4月27日。
5月からは、いよいよ制服着用となり、より会社らしくなっていきます。
政権交代して1年。日本企業の動きも5月から本格化してくることが予想されますので、貢献できるよう、すばらしい一年になれるよう、スタッフ一同努力する所存です。

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今年一年ありがとうございました。
よいお年をお迎えくださいませ。(ミャンマー正月は4月17日です)

今年のマンダは極端に少ないです・・・数少ない準備中マンダ。
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~お説教の要約~

<3つの大事なことを意識する>

1. 大きな木が倒れないように気をつけること
2. 長年の習慣を捨てないこと
3. お互い分かち合うこと

〇大きな木が倒れないように気をつけること
世の中には陰を与えるものは5つあります。
1. 本物の木の陰は涼しくて入る人が幸せになります。
2. 木の中は、両親、親戚、仲間 を大切にすればもっと涼しく幸せになります。
3. 親、親戚、仲間よりも、さらに先生を大切にすればもっと涼しく幸せになります。
4. 先生よりも、王様、政府を大切にすればもっと涼しく幸せになります。
5. 何よりも仏様を大切にすれば幸せになります。

〇長年慣習は捨ててはいけません。

新年を迎えて行うの寄付というものも長年の習慣一つでとてもいいことです。
Lawkanitiという社会人がやるべきことを教えてた本があります。そこには、家でも事務所でも綺麗にすべきところが書かれています。

1. 台所
2. 水場
3. 玄関
4. トイレ
5. 寝室
6. 仏壇

その6つのところをきれいに、水などいつでも飲めるようにいっぱい入れておいたらその家や事務所は成功して幸せになります。

〇お互い分かち合うこと
だれもか助け合う、分かち合うようになったら、誰もが幸せになります。自分、自分らだけでなく、お互い分かち合い助け合ってください

インターン生からのメール

1年間弊社で頑張ったインターン生からのメール、許可をもらったので転記させて頂きます。

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連絡が遅くなり、申し訳ありません。
今回、1年間のインターンシップを受け入れていただき
誠にありがとうございました。

ミャンマーに来る前は、海外に出ることも怖く思っていましたが大学の友人が留学に行く姿を見て、自分も海外に行かなければならない、そんな思いだけでインターンのお話を伺いました。

ミャンマーで働き始めてから、何度も失敗して注意されてもどう昇華させればよいのかわからず、ただがむしゃらに働くだけでした。

様々な人と出会い、仕事の多くのことを任せてもらっていく中で徐々に自分で考え、行動できるようになってきたかと思います。
その時期から、時間が足りない、もっと違うことをしたいと感じ始め、ミャンマーで働くことの楽しさを感じるようになりました。

最後にはしんどいこともありましたが、ミャンマー全国を回りヤンゴンでは見れない地方の現実を見れたと思います。
またJETROでも一度は失敗しましたが、その後やっと本気になれました。
あの本気になるという感覚は、他ではなかなか味わえないものだったと思います。

自分では何もできず、何もしらない私を1年間J-SATで働かせていただき、本当にありがとうございました。
この1年の中で、ミャンマーで働きたいという気持ちが増しました。
今はそれが一番の希望ですが、必ず帰ってこれると感じています。
まだまだ未熟ですが、日本で成長し、帰って来ます。

猛スピードで成長するミャンマー社会と共にJ-SATの益々のご繁栄をお祈り申し上げます。
ありがとうございました。

1年間インターンした坂下君が卒業

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弊社では、自身の大学時代での経験がミャンマーで働くきっかけになったことや、ミャンマー人学生のサポートを行っていますので、日本の学生にもインターンの機会を作っています。

弊社への学生インターン募集要項には、「戦力とは期待していません。」と明記しています。「ミャンマーの方に影響を与えたい」と言われる学生も多いですが、実際は影響を与えてもらう方が多く、それが人生に大きなインパクトを与えると思っています。
貴重な学生時代の時間、ムダに過ごすのは勿体なく、弊社では厳しく、残業あり、土日出勤あり、無謀な出張あり。生活は、弊社スタッフと同じ、洗濯機なしの寮生活。

給料は一部支給しています。日本人としては安いですが、ミャンマー人スタッフよりは高い金額。自分の給料で家族を支えているミャンマー人スタッフも多くいます。学生だから、と言い訳される方、海外生活を体験したいだけ、という方は基本お断りしていますし、来られてもミャンマー人スタッフから我々が怒られます。
先日スカイプ面接をした学生は、志望動機がが中途半端でしたので、一次面接でお断りさせて頂きました。

昨年2月に弊社にインターンに来た坂下君。
大学でビルマ語を勉強してきたとはいえ、普通に日本語、英語、ビルマ語が飛び交う事務所ですので、最初は聞き取れず苦労していました。

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そんな中黙々と業務を行い、システムの改善を1年間こなしてきました。
ミャンマー人候補者と面接をしたり、彼らの履歴書を日本語でまとめていく中で、彼なりのミャンマー人像ができあがったことから、最後の3か月、ミャンマーの地方大学に行き、学生や大学を調査をしたいと希望してきました。基本一人でバス移動。途中、銃声が聞こえる中移動したこと、訪問した大学では急遽セミナーを開催して欲しいと、彼一人でビルマ語を使って学生や教授陣を前にセミナーを実施したこともあったようです。そのセミナーを聞いて・・・とヤンゴン事務所に登録に来た学生もいました。しっかり営業面でも貢献してくれました。

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その総決算として、ジェトロ事務所にて行うミャンマー人材セミナーで1コマ持ってもらうことにしました。1日30名限定で2日間開催。申込み2日間で満席、出席者は上場企業の支店長や人事責任者、中小企業の経営者がほとんどで、ミャンア―のプロである方々の前に、初日は緊張もあって惨敗、アンケートでも酷評されました。その日、徹夜し立て直し、二日目のセミナー終了後アンケートでは、大学情報が役に立ったという意見も出て来ました。彼が調べた情報は、今年出版予定の本にも反映させる予定です。

弊社ではインターンで来た学生にも仕事のやり方についてはお伝えしますが、手取り足取り教えることはなく、あくまでも自分でやり遂げないといけません。自分で企画し実行する。弊社からは、他社にはない環境とスタッフを提供しています。

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送別会終了後、「やり残したことはある?」と聞いたら、「うーーーん」と1分以上考えていたので、充実したインターン生活だったと思います。

将来お互い何をしてるか、再会が楽しみです。
お疲れ様でした。

カロー市役所にサクラの苗木300本を寄付しました。

カロー市役所にサクラの苗木300本を寄付しました。

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ことの経緯は1年程前に遡ります。ある方経由でサクラの苗木を植樹したいという依頼を受けました。その時、植樹できる場所で思いついたのがカロー。

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10年前に「カローの桜」を執筆された渡邊さんを主人公にした番組をコーディネートしました。取材同行しながら、戦時中、赤十字の看護婦さんからもらったカローの野桜が生きる希望を与えた、入院中地元のミャンマーの方々がイギリス空襲の日など教えてくれて命が助かったなど、前線で負傷しカローの病院に入院されていた生活の話を直接お聞きし、いつか日本のサクラを植えたいと想った記憶が蘇りました。

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植樹しようとカロー市とやり取りしたのですが、結局サクラの苗木の植樹はキャンセルになってしまいました。ただ、カロー市役所がサクラの木の植樹に大変興味、期待されているのを感じていましたので、弊社独自で300本寄付することにしました。

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まず、サクラの種類を選ぶのに、長年ミャンマー全国にて農業調査を行っている筑波大学の河瀬教授、渡邊教授に相談し、”ヒガンザクラ”に決めました。今カローに咲いているのもヒガンザクラの一種で、花言葉は”心の平和”。樹齢が長くとのことで、即決しました。苗木については、数年前から取引させて頂いている植物活力液で有名なフローラ社の川瀬様、加藤様にご手配頂き、この日を迎えました。
サクラの苗木は300本で約80kg。

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日本からヤンゴンに運び、そしてカローに運びました。

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到着と同時にカロー市役所が苗木を植え替えてくださいました。

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今日2017年2月5日にカロー市役所主催で寄贈式典を開催して頂きました。

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日曜日にも関わらずシャン州の国会議員など来賓も多く、サクラの木が咲くことを楽しみにされていると聞くと、ありがたい気持ちで一杯になりました。

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来賓のスピーチ行われる中、数日前にネーピードにサクラが寄贈された際行われたスーチー氏の演説が会場で流されました。日本人にとってのサクラの意味などを伝えたその内容は、出席者の方が感慨深く聞き入っているのが印象的でした。

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サクラの木は、カロー市役所及び、隣の公園などカローのメインロードに植樹されることになっています。

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緑あふれるカローに植樹した日本のサクラが、苗木から大きく育つよう、日本とミャンマーの友好がさらに発展し、サクラの木で満開になり、さらに美しい町になることを祈念しています。満開になった際はぜひ社員全員でカローの地を訪れたいと思います。
ご協力頂いた多くの方々にあらためてお礼申し上げます。

MYEIK(ベイ)日本人墓地

少し前の話ですが・・・。
昨年2016年11月にMYEIKに旅行しました。
その際立ち寄ったMYEIK(ベイ) 日本人墓地。
ベイは11世紀パガン王朝の南端であったり、16世紀はアユタヤ王朝が占領しヨーロッパとアユタヤ(タイ)の貿易拠点になるなど古くから外国との窓口になった都市です。
日本人墓地には1800年後半の日本人のお墓もあります。
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ベイ日本人墓地のその荒れ果てた姿に目を疑いました。
聞いた話によれば、管理を任せていた方がお亡くなりになり後継者がいないとのこと。
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ということで状況をヤンゴン日本人会に報告。
すぐに対応して頂け、日本大使館に相談。
相談してから約2週間で、ご覧の通り、きれいに整備されました。
さらに将来的にも管理して頂けそうとのこと。
迅速にご対応頂き、本当にありがとうございました。

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【写真提供:在ミャンマー日本大使館】

ヤンゴン市内バス 全面路線変更

2017年に入り、突然ヤンゴン市内バスの路線が1月16日から全面的に変更されると発表されました。
これまで複数あったバス会社を公共バスの新会社Yangon Bus Service(YBS)に統一。ルートも大幅変更。渋滞の大きな要因の一つにあげられていた、二重駐車や大型バスによる追い越しなどは、各社の顧客獲得争いにあったので、会社が統一化されただけでも評価される今回の変更です。

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すでに中央交通センターは、ほぼ完成してきており、今後はGPSによる運航バス管理を行っていくようです。

出展:ヤンゴン市オフィス

ここまでの大幅な変更も、発表は約1週間前。
何よりすごいのは、その情報があまり出てこなかったこと。
政権が変わっても、その情報管理力はすごい!と感服します。

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発表後、公式サイトが立ち上がり、日々というか時間毎にサイトが更新。YBS用のアプリが複数登場し、正式サイトでその評価をアンケートで行うなど、あっという間にその日を迎えました。

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多くの人々は通勤でバスを利用しているので、16日当日は当然の如く大混乱。

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そんな中、大きなバス亭では、ボランティアスタッフが無料で路線図を配布したり、行き方の説明をしていました。見たところ、かなり訓練してきている印象でした。(いつそんな訓練をしていたのやら)

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といっても、バスの本数が足らないので、バス停では人であふれました。少しお金がある人はタクシーを利用。電車に切り替えた人も多くいたようです。電車で通勤してきた弊社スタッフは、実際電車を使ってみると意外に便利で、今後も電車通勤にするというスタッフが出てきています。ある地元誌は電車利用率は25%上昇すると発表しています。

各バス停では初日から大混乱が続きました。
しかし! そこからがミャンマー。
朝の仕事を終えた学生用フェリー(送迎車)の車などがボランティアでピストン輸送を至るところで開始。さらに、無料で乗客を乗車させるタクシー運転手も多数出現。社員の乗ったタクシー運転手は、無料で乗せたら客から、逆にフルーツをプレゼントしてもらって喜んでいたそうです。

急速な経済発展で人々が変わっていると言われている中、バス停で多くのボランティアスタッフが活躍し、そして人々が助け合う。ちょうど8年ほど前に起きた巨大サイクロン「ナルギス」による被災後の人々を思い出しました。

まだまだミャンマーの人々はすごい。ある人が語っていた。
「ミャンマーは援助される国ではなく、援助する側の国」

それを垣間見る今回の騒動でした。

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鳴り物入りで昨年始まった、Yangon Bus Rapid Transit(BRT)はYBSに名前を変えるらしく、ルートもYRTの一部の路線を走ることになるとのこと。発表は運航変更される前日でしたが・・・

BRTのサイトには、今後も状況見ながら変更する可能性がある。と記載されており、まだまだ確立するまでは時間がかかりそうな状況ですが、悲観的に見ている社員はゼロです。
皆口をそろえて、今は混乱しているが必ずよくなる。今回はいい変更。と評価しています。

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ただマイナス面も出てきています。乗り換えが増えたことにより、通勤費が2倍になる社員が続出。
そこで、これまで給料の中に入れていた通勤手当を別に用意することにしました。
これまでは、同じルートでもバスの種類によって料金が変わっていましたので正確な計算ができませんでした。
ところが、今回からバス会社が統一されたことにより、料金が固定されることになり、ようやくきちんとした通勤費が算出できることになりました。それだけでもかなりの前進です。

色々なミャンマーの”今”を垣間見る今回のバス路線変更。

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ちなみにYBSのカラーは国旗にちなんで 黄色・緑・赤。

さて次は何を変更するのかな?

新年早々のJ-SATグループ寄付活動

新年2日目はJ-SAT恒例の寄付活動。

社員らからの提案で行っているJ-SAT恒例の寄付活動。

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朝4時前にサクラタワーに全員集合。大型バス2台をチャーターし、ヤンゴンから片道7時間のミャンマー中部の都市、ピィを訪問。目的は二つ。

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ミャンマー初の世界遺産に登録されたひとつでもあるタインキッタヤー訪問。

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そして、公益社団法人シャンティ国際ボランティア会(http://sva.or.jp/)の八木沢さんのご紹介でピィにあるYadanar Myintzuri 僧院校を訪問。

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Yadanar Myintzuri 僧院校は2007年設立されました。

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設立者で校長の尼僧、Daw Wunna Thiri はチン族で、キリスト教から仏教徒へ改宗した方で、仏僧としてお経もきちんとできない仏教徒にも教えたい、自分が光として導きたいと思い、ヤンゴンの僧侶に相談し、今の尼寺をつくりました。

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最初はヤシの葉で作られた尼寺で、着替えるため袈裟が3着、仏像が1つ、子供7名からスタートしました。

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現在は尼寺で住んでいる、乳幼児から大学生までの子供らが325名、外から通っている子は60名計386名が勉強しています。僧院校及び寮など活動費はすべて寄付金で運営されています。

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孤児ではなくても貧乏で学校に通えない子たちが60名。戦争で逃げた子たちは100名以上学校では片親だけいる子、孤児、捨てられた子、戦争の犠牲者の子供たちがいますが、一番多いのは内線で逃げてきた子供たち。中には幼児性的虐待経験者が10名、完全に切られてないへその緒が腐った状態など生まれてすぐ捨てられた子やエーヤワディー川に流された(捨てられた)子供らが13名など。

子供らは政府社会福祉省や、教会、病院、警察、町役場など様々なソースから送られてくるそうで、パゴ―山脈西側では子供を一番多い人数を預かっている尼寺だそうです。

ミャンマー人、カチン、カイン、パラウン、チン、ヒンドゥ、イスラム、中国人など多くの民族の子供らがいます。

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教育については責任が曖昧になるボランティアの教師には教えてもらわず、給料を払って講師、スタディーガイド(家庭教師)を雇っています。

我々からは、会社からのお金はなしで、毎月社員らが給料から寄付してきたお金200万チャット(約18万円)や個人的に服やお菓子を購入したものを寄付しました。

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盲ろう者の東大教授福島先生の本に書かれたことを思いだしました。

”豊かな先進国にしか、「自分らしさ」を求める人間は存在しない。
物質的に恵まれ日本人がゆえかもしれませんが、「自分らしさ」「自分探し」といったものに必要以上に拘っている。”

ここにたどり着いた孤児らは、衣食住があり十分と考えているのかと思います。
労盲者の方からみたら、彼らは目も見え耳も聞こえている。生きているだけで、テストで90点以上取っている。残り10点を巡って色々理由つけるよりは、もっと肩肘張らず、素直に現実を直視して生きていくことが大切だなと感じました。

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使命とは命を使う。次々やってくる宿題を解決することに、命を使っていきたいと思います。

 

ミャンマーに来て20回目の記念すべき仕事納めは12月31日ではない!

2016年12月28日。
ミャンマーに来て20回目の記念すべき仕事納め。
(正確には明日から一泊二日の海外出張で一件仕事がありますが、ほぼ終わり)

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12月31日以外の仕事納めは20年で初めて。
今年は、明日12月29日はカレン族の正月で祝日。
12月31日は土曜日で1月1日が日曜日。
12月30日を臨時休日にし本日が仕事納めとなりました。
仕事始めは1月2日になります。

昨年の仕事納めをブログで見てみました。

「そして、2015年の仕事納めは…
政権交代が実現した総選挙が終わり、2016年4月は新政権が始動。
弊社も2016年4月を目標に、ついに動き出します。
事務所はついにサクラタワーに統合され各事業部が同じ事務所内に入り、2016年1月ー3月まではシステム再構築。そして4月に突入!
新政権同様、2016年1-3月に最終チェック、そして4月から本格的にスタートできるよう最終準備に入りたいと思います。」

と書いていました。

実際本格的にスタート、9月には事務所を拡張、300m2を超える広さになりました。さすがに1年前はここまで予想していませんでした。

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1年を振り返り、大学セミナーも21大学を越え、ついに大学内に日本語授業も受託することになりました。本日現在、ミャンマーのトップ理系4大学で日本語講座を持つまでに成長。さらに機械CADクラスも受託。
そして、2015年7月からスタートさせた介護人材育成センターが順調に立ち上がり、法案も通過。いよいよ来年から送り出しがスタートします。

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ここまでは拡大、拡大、拡大で来た3年間。
その集大成として単独誘致で行った、ブラインドサッカー普及活動。

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しかし、ここまで拡大できたのは、競業他社がほとんどいなかっただけ、20年がんばってきたご褒美。
それを象徴して、事務所にあった幸福の木が開花。

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5年に一度咲くか咲かないかという珍しい花で、甘美な香りで1週間咲続けました。
その花も今日仕事納めと同時に終わりました。

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ご褒美は今日で終わり。
2017年からは新たな戦いとステージが待っています。
これから大手競業他社がくることが予想され、2016年までの成功体験は過去のもの。気を引き締めていかないと、アッという間に崩壊してしまいます。
「信をもって、社内充実」

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これをキーワードに2017年は100名を超えた社員の底上げに重点を置き、地に足つけて頑張っていきたいと思います。

今年一年本当にご支援誠にありがとうございました。
来年もご指導宜しくお願いいたします。

よいお年をお迎えくださいませ。

大成功に終わったブラインドサッカー普及活動

NPO法人日本ブラインドサッカー協会の招待で、2016年12月13日~15日までの4日間にわたり、ミャンマーでブラインドサッカーの普及活動を実施。日本選手権4連覇中のAvanzareつくばに所属し日本代表キャプテンの川村選手と福永選手にミャンマーまでお越頂きました。

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民政移管後、海外からの投資が入ってくるも視覚障害者を取り巻く環境はあまり変化なく、そこでチミダイン盲学校の校長やGENKYスタッフらと相談しブランドサッカーを提案。GENKY設立時からお世話になっている、筑波技術大学形井教授に相談したところ、筑波技術大学教員で日本代表でコーチをしている福永選手をご紹介頂きました。そして、福永選手から日本代表キャプテンの川村選手をつないで頂き、今回ボランティアでミャンマーにお越頂くことになりました。

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ミャンマー社会福祉・救済再復興省からスポーツ省に交渉してもらいフットサル競技場の使用許可をもらいました。また、フェンスは試行錯誤を重ね、水道官をつかったもので代用。

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ブランドサッカー用ボールを20個発注、ユニフォーム、ソックス、シューズなどすべてJ-SATグループ各社が稼いだ利益で準備、J-SATグループでの単独スポンサーで実施致しました。

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ミャンマー社会福祉・救済再復興省とスポーツ省からも開会式に参加。ミャンマーの経済発展とともに、視覚障害者を取り巻く環境も改善させていきたいというスピーチもありました。

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すべて手作り、弊社スタッフが動き回り準備、開会式も手配。自画自賛ですが、J-SATチームキビキビ動きました。

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ミャンマー地元からの注目度も高く、テレビ局は全局、雑誌も数社来られました。日本のメディアも来られ、広く告知できたこと、あらためてお礼申し上げます。

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NHK「ブラインドサッカー日本代表 ミャンマーの若者と交流(2016年12月13日放送)」

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mitv – Soccer Training: 1st Time For The Visually Impaired People【2016年12月15日放送】

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Myanmar Times 誌
今回は、チミダイン国立盲学校(政府系代表)、カワイジャン盲学校(キリスト教系代表)、ゲンキーマッサージ店(マッサージ店代表)と3つ組織団体から各チーム10名づつ選抜して行いました。

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ブラインドサッカーのルール説明から始まり、ドリブル練習、ディフェンス、攻撃練習などに続き、最終日にはミニゲームもできるほどに上達しました。

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各校長からの評価も高く、視覚障害者スポーツがほとんどないミャンマーに、ぜひ継続的にブラインドサッカーが普及できるよう指導者を定期的に誘致して欲しいというリクエストもありました。継続していくことが大切ですので、ここからが勝負です。
今回の結果を分析し、今後につなげていきたいと思います。

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川村選手や福永選手によれば、ミャンマーの視覚障害者選手層は厚く、また視覚障害者を取り巻く環境が厳しいことが、逆に身体能力を上げているようで、10年先は日本代表も危ういという話もありました。(確かにうちのGENKYスタッフは、晴眼者でもつまづくダウンタウンを一人で歩きバスにのって移動できます・・・)

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当初は最終日にPK戦でもできればという打ち合わせでしたが、彼らの身体能力が予想より高かったことで、ミニゲームを行うことになりました。

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かなり激しいスポーツで、当日は頭を切り出血する選手も出ましたが、無事大きなケガなく終えることができました。

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ミニゲームはすべて0-0に終わり、最後はPK戦に。

ミャンマー代表チームがオリンピックに出場するのは正直難しいですが、パラリンピックであれば十分可能。2020年東京パラリンピックでブランドサッカーミャンマー代表が活躍となれば、国内中が大騒ぎになることは間違いなく、視覚障害者への理解や環境が変わることは間違いありません。
これは楽しみになってきました。

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最終日は各盲学校そして、メリーチャップマン聾学校、ヤンゴン日本人学校も訪問しました。

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今回ご協力して頂いた関係者の方々、本当にありがとうございました。
これをぜひ継続していきたいと思いますので、引き続きご支援宜しくお願いいたします。