J-SATは25年間ミャンマーにて事業を行う実績と経験からミャンマー進出における

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ミャンマーのつぼ~ミャンマーから西垣がお届けするブログ

ミャンマーの子供らが巻き込まれる犯罪が急増、その実態レポート。

日本で報道されるミャンマー関連ニュースは、ODAや日系企業進出関連、ロヒンギャ問題などが多いですが、ミャンマー国内では最近、幼児虐待や性犯罪など、これまであまり公にならなかった(あまりなかった)記事や貧困についての記事がよく目につきます。フェイスブックでは5歳児がレイプされ肛門が潰れて便ができない子の写真なども流れて来ます。

そこで、ミャンマーの子供関連の記事があったので、社員に翻訳、まとめてもらいました。ミャンマー総人口の15%程のヤンゴンで商売、生活していると、現実はわかりにくいですが、以下ご覧頂ければ深刻さがわかるかと思います。こういった現実も理解した上でミャンマーでビジネス行わないといけないなぁと。

ミャンマーの総人口の3分の1は子供は1700万人(1993年に発布されたThe Child Lawで、16才未満を子供と定められています)。うち、60%は6管区に住んでいて、4管区では人口の割合が子供の方が多くなっています。子供の45%は10-17歳未満。
5-17歳未満のうち、120万人は週52時間の労働しており、100万人は親と別れて生活しています。60万人は訓練センターか孤児院で生活しています。
人身売買事件7件の中1件は子供の人身売買。

社会福祉省とUNICEFが共同で行った調査では、17歳未満の障害者の3人のうち1人は学校に行っていない。村に住む17歳未満子供の87%は健康診断受けていない。20%はいじめられているとのこと。

新生児の5人に1人は出生証明申請はしておらず、5歳未満の子供は毎日100~150人死亡しています。死亡するのは男の子が多く、多くが治る病気であったにも関わらず病気で死亡。5歳以下で死亡する51%は生後28日間以内。

子供の5人に1人がきれいな飲料水、トイレ使っておらず、栄養不足などの状況に陥っている。

近年は10歳までで学校を退学する率が上昇にあり、幼稚園から学校に通っている子供100人に調査したところ、30人のみだけ高校まで進学。17歳未満の子供らの半分は学校中退。
○犯罪について
2016年1~9月の間、子供が遭った事件
殺害 19件
強盗 1件
傷害罪 376件
その他 402件
レイプ 416件
合計 1236件

被害者は
男の子 449名
女の子 512名
合計  961名

人身売買
2016年1~9月の間、子供が巻き込まれた事件 241件
被害者 男の子 30名、女の子 29名
今年は近年では最も多く、9月までで昨年比24.48%増えています。

多くの犯罪は教育のレベルが低く、貧乏、家族と周りに問題が原因。
1993年に発布されたThe Child Lawでは、Children’s Rightsを守るためNational Committee を設立することが決められています。Thein Sein 大統領時代、幼児関連法については、幼稚園を作るための許可申請に関する法律1つのみ成立し、子供が犯罪された場合の刑罰についてはありませんでした。最近、虐待や性犯罪で児童が巻き込まれる犯罪が急増しているため ミャンマー社会福祉省は児童が巻き込まれるのを防ぐ法律の整備を急いでいます。

NPO法人日本ブラインドサッカー協会が協力し ミャンマーで普及活動を実施

NPO法人日本ブラインドサッカー協会が協力し ミャンマーで普及活動を実施

「ミャンマーの視覚障害者に新たな夢と希望を」

NPO法人日本ブラインドサッカー協会(以下、JBFA)は、2016年12月13日~16日までの4日間にわたり、ミャンマーでブラインドサッカーの普及活動を実施し、日本選手権4連覇中のAvanzareつくばに所属する川村怜と福永克己を派遣いたします。ミャンマー社会福祉・救済再復興省の招致でミャンマーの中心都市ヤンゴンに来緬。日本代表の選手およびスタッフとしても活動する2人がミャンマーの視覚障害者らにブラインドサッカーの基礎技術を伝えることで、普及を目指します。

ブラインドサッカー
ブラインドサッカー

■ミャンマーにおけるブラインドサッカー普及活動実施の経緯
ミャンマーでは統計上で視覚障害者は約18万人、実際には30万~40万人いるとも言われており、家に閉じ籠もりがちの者も多く、ほとんどの者は社会的・経済的に自立していないのが現状です。
2009年から視覚障害者支援を行う株式会社ジェイサットコンサルティング社代表の西垣充が、2011年民政移管後、ミャンマーが急速に発展するも視覚障害者を取り巻く環境はあまり変わっていない現実から、視覚障害者らにも経済発展の恩恵を受ける事業をミャンマー政府側と協議しブラインドサッカー普及活動を提案。視覚障害者支援開始当時から、献身的に協力、指導頂いている、筑波技術大学形井教授及び緒方教授、そしてJBFAの協力により、今回の普及活動が実現しました。今回の日本人指導者2名の費用やヘッドギア、マスク、ゴールポスト、ボール、会場使用費及びミャンマー政府、筑波技術大学との交渉はすべて、株式会社ジェイサットコンサルティング社が単独で負担、コーディネートしています。

■ブラインドサッカーの具体的取り組み予定
ヤンゴン国立チミダイン盲学校、ヤンゴンチミダイン盲学校、ゲンキーマッサージ店の3チームから10名を選出。ブラインドサッカーのルールからパスの仕方など基本的な技術を伝え、各学校、マッサージ店にブラインドサッカーの楽しさを伝え、今後の本格的な普及活動に活かします。最終日は3チーム対抗PK戦を行う予定です。

■ミャンマーでのブラインドサッカーの現状
視覚障害者5人制サッカー(視覚障害者サッカー、通称:ブラインドサッカー)とは、視覚に障害を持った選手がプレーできるように考案されたサッカーです。
これまで、ブラインドサッカーのミャンマー代表は2年前のアセアンパラゲームズ(東南アジアパラリンピック)で、タイ代表、マレーシア代表と戦っていますが、2015年末にシンガポールで開催されたアセアンパラゲームズには不参加でした。また、IBSA(国際視覚障害者スポーツ連盟)には加盟しておらず、近年、視覚障害スポーツではパラリンピックには出場していません。
安倍総理は「ODAなどでスポーツ支援を行っていきたい」と述べ、スポーツ分野の発展途上国支援に積極的に取り組む姿勢を示しており、2020年東京パラリンピックのミャンマー出場も見据えています。

■プロフィール
<川村怜(かわむら・りょう)>
1989年生まれ、大阪府出身。Avanzareつくば所属。
筑波技術大学在学中よりブラインドサッカーを始め、2013年さいたま市ノーマライゼーションカップで日本代表デビューし、世界王者ブラジルから初ゴールを奪う。インチョン2014 アジアパラ競技大会、世界選手権2014、アジア選手権2015などに出場。アジア選手権では、チーム最多となる7得点をマーク。得点力と豊富な運動量でチームを牽引する。

<福永克己(ふくなが・よしき)>
1973年生まれ、大阪府出身。Avanzareつくば所属。
2007年筑波技術大学赴任後よりブラインドサッカーに関わり、2009年GKとして日本代表選出。2010年より日本代表コーチ。現在はAvanzareつくば代表を務める。

■筑波技術大学及びAMINについて
学校名:国立大学法人筑波技術大学
所在地:〒305-8521 茨城県つくば市春日4-12-7
TEL  :029-852-2890(代表)

筑波技術大学とは、聴覚または視覚に障害を持つ人が学ぶ4年制国立大学。筑波技術大学が中心となり、アジア医療マッサージ指導者ネットワークAMIN:Asia Medical Massage Instructors Network.の活動も行っています。主にアジア太平洋地域の途上国に、視覚障害者が、医療マッサージの専門家として就業できる体制を整備することを目的としており、2009年からミャンマーにも定期的にセミナーを行い、普及活動を行っています。

視覚障害者マラソンと孤児院への寄付

11月15日は白杖の日。ここミャンマーでは視覚障害者マラソン大会の日です。ヤンゴンとマンダレーで行われましたが、ヤンゴンは第25回目を数えています。

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朝5時半YCDC(ヤンゴン市開発委員会)をスタート。

沿道では市民や市の職員がお菓子やジュースなど視覚障害者らに寄付をしています。

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今回はうちのゲンキー視覚障害者スタッフが、市民らからの寄付されたお菓子などと社員らからの寄付を合わせ孤児院に寄付したいと発案。
これをYCDC(ヤンゴン市役所)に伝えたところ、バスを無償で提供するとの申し出を受けました。

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マラソンはサクラタワー事務所のスタッフらも参加し、ゲンキースタッフだけでなく、サポートのいない視覚障害者らもサポートしながら完走。

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マラソン後、シャワーを浴びて、YCDCのバスで約3時間、孤児院へいきました。
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孤児院はまだ設立されて1年8ヶ月。村から寄付された土地1エーカーの上に立てられ、周辺の人々の寄付で運営されています。
ここから村の学校へ通っている子は、約70名、小僧は40名ほど。

現在の110名から将来は200名ぐらいまで受け入れる予定。孤児院ではヤンゴンからとミャンマー国境地帯からの孤児らが生活していて、孤児院内の塾講師5名。1人当たり1ヶ月に80000チャットを払っています。

この孤児院を始めた僧正はまだ30代。
2008年、10万人以上死者を出したと言われるサイクロン・ナルギスで彼の村も被害にあい、村人128名が亡くなり、村で生き残ったのは彼を含め2名のみ。僧正の親戚25名とほとんど身内は亡くなり孤児になりました。それ以来ミャンマーの国境などの村へ行き、勉強できない子供らに勉強を教えていたそうです。国境では軍隊に入れられる子が多く、ビルマ語が話せない子が多かったそうで、その後、自身で孤児院を作ろうと寄付金を募り設立されました。

現在は男の子だけ受け入れていますが、今後は女の子も受け入れる予定とのこと。
孤児院をもっと大きくして女性寮も作り、信頼できる尼さんに管理してもらうのが僧正の希望です。

僧正から視覚障害者の方から寄付を受けて、お言葉頂きました。

「生きている限り希望がある。人間が発達(Human Development)してから国が発展できる(Country Development)。子どもたちを支援しましょう。」

ヤンゴンにある捨て子らの保育所、ストリートチルドレン、青少年更正施設を視察してきました。

<捨て子の保育所>
ヤンゴン随一の高級サービスアパートメントのすぐ隣にある保育所。

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6か月から10年生までの子供らが生活しています。
ここの子供らは、パゴダや病院で捨てられていた子、両親が亡くなって孤児になってしまった子ら。警察に届け出があった子だけ預かっています。

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今は68名(男34名女34名)
政府からの補助金と寄付で運営されています。
3歳までの子らのところにいったら、皆抱いてほしいと近寄ってきます。
抱いてあげると、とても安心した顔に変わったのが印象的でした。(さすがにちょっと泣いてしまいました。)

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園長の言葉「この子らはラッキー。ここまでたどり着けない子供らはまだまだたくさんいる。」
地方から都市部に働きに来て、田舎の親に内緒で付き合い出産。
実家に伝えることができず・・・みたいな若者も増えているそうです。
今後、経済発展とともに、増えて来そうで心配です。

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スタッフは皆公務員。24時間体制で皆がんばっています。

<男性専用職業訓練センター>

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先の保育園卒業生や、全国にある同様の施設から送られてくる子、親がどうしても育てられず警察に届けた子、ストリートチルドレンとして路上生活で補導された子ら、8歳以上の小ー高校生までの男の子ら98名が共同生活しています。訓練センターというより、ここから国立の小中高校に通いますので、どちらかというと共同生活している施設というイメージです。
大学までいくのは全体で1-2名程度。大工などの職業訓練をしし、その道に就職していっている子らも多いようです。

<女性専用職業訓練センター>

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こちらも男性専用のところ同様の施設。こちらは小学校は自前で教えています。
男性のところよりも、しつけもしっかりしている印象です。
勉強している小3、小4 の子供らに将来に夢、大学に行きたいか聞いてみました。

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皆、色々なことを語り、大学にいきたい!と話していました。
この年代ぐらいまでは、まだ大学に行きたいと考えるようです。
大学進学率が10数パーセント、そもそも高校卒業が30数パーセントで、中学と高校の授業内容がかなり異なり、高校に行くのを断念する子が多いと先生が話していました。
全体の底上げには、この辺りから手をつけていかないといけないように感じます。

<犯罪者の更正施設>

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6歳から18歳までの窃盗など犯罪を犯した少年らが生活する職業訓練センター。
ここも政府からの補助金と寄付金で成り立っています。
300名が犯罪経験者、120名がストリートチルドレン。
こちらも職業訓練センターではありますが、どちらかというと共同生活の場所で4年生まではここで勉強を受け、それ以上は周辺の学校に通っています。
こちらも13-16歳ぐらいの子供が多いとのこと。
勉強に脱落して、田舎から都市部に出てくるも仕事が見つからず。
そして犯罪を犯してしまう。
少し前は、家の軒先のサンダルや服、食べ物の窃盗などが多かったのが、最近は圧倒的にスマートフォンを盗む子が増えているそうです。
同年代の子供らがスマートフォンを持っているのを羨ましく思い、つい手を出してしまう。最近は防犯カメラも普及してきているので、よく捕まるそうです。
課題は中学から高校への進学。ここが一つのポイントなのかもしれません。

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ここでは、僧侶に説教をしてもらったり、あと露店の魚販売から成功し、マンダレーで本の普及活動している人らも招待しているそうです。

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*いずれの施設も社会福祉省管轄ですので、訪問には政府からの事前許可が必要になります。ご協力ありがとうございました。

 

三菱アジア子ども絵日記フェスタ授与式が行われました。

先日、三菱アジア子ども絵日記フェスタの受賞式が行われました。

アジアのこどもたちの絵日記を通して、アジアを理解し交流を広げるという目的から、1990年から続くフェスティバルで、アジア24か国、6-12歳の子供らが応募しました。日本ユネスコ協会連盟賞、三菱広報委員会賞など4作品の受賞者らが、少々式をかねて食事会を行いました。
グランプリは、チュー・タンダ・チョウさん。日本での授賞式にも参加さました。

作品テーマは「伝えたいな、私の生活」。5枚一組で応募しました。

これら各国でのコーディネートは政府教育省が行っていますが、ここミャンマーのみ唯一民間であるは弊社が請け負い、ミャンマー政府教育省との交渉、会場手配、審査員調整などトータルコーディネートを担当させて頂きました。

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ミャンマーにて日本とミャンマーの学生が企画・参加する国際会議。

「ミャンマーと日本の若者が自ら交流機会を創り、将来に向けて関係を築いていく」ことを理念に掲げ、毎年2月にミャンマーにて両国の学生が参加する国際会議の企画・運営を行っている学生組織があります。
International Development Field Camp for Myanmar and Japan Youth Leaders(IDFC)。

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日本とミャンマーの外交樹立60周年を迎えた2014年4月に学生によって設立された団体です。日本だけでなく、ミャンマーも学生だけで企画、運営しています。
議論のみではなく現地の大学、公的機関、NGO/NPO等への訪問や、現場でのフィールドワーク、両国の文化交流など様々な活動を通じて、相互理解の促進を図っていくそうです。

 

先日、準備に来緬中の実行委員の方にお会いしました。
しっかりした考えを持ち、日本の学生、ミャンマーの学生ならではの視点で、交流を企画。どういった結果が出てくるのか注目したいと思います。

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先日、準備に来緬中の実行委員の方にお会いしました。
しっかりした考えを持ち、日本の学生、ミャンマーの学生ならではの視点で、交流を企画。どういった結果が出てくるのか注目したいと思います。

また弊社もスポンサーさせて頂きますが、スポンサーがついていることもあり、普段よりも安く日本の学生のみなさんはミャンマーに来て参加できることができます。
ご興味のある学生の方、ぜひお申込みください。

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【開催期間】
2017年2月13日-22日 (移動の時間を含む)

【開催地】
ミャンマー (ヤンゴン)

【参加人数】
36名(日本側18名/ミャンマー側18名)

【参加費】
98,000円
※本会議中の食費、宿泊費、交通費、ならびに航空券代を含む。

【募集期間】
2016年9月18日(日)-2016年10月23日(日)

【応募資格】
2016年4月時点で日本国内又は海外の大学、大学院、短期大学、各種専門学校に在籍する18歳以上の者。国籍不問。

【募集人数】
18名

【選考地】
東京・京都 (遠方の方はオンラインでの面接)

 

視覚障害者GENKYスタッフ「ソーヘインチョー」が日本の大学入学目指します!

今月からゲンキースタッフの一人 ソーヘインチョー が「あ・い・う・え・お」から日本語の勉強をスタートさせました。

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彼の目的は一つ。2018年4月日本の大学へ行き2年間マッサージ技術を勉強、ミャンマーにその技術と知識を伝えることにあります。
彼を選んだのはゲンキーの視覚障害者スタッフ。自分らで話し会い、最も適する人物を選んでもらいました。

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今月9月1日から弊社日本語学校エンジニアクラスでスタート。毎日月曜日から金曜日まで10時から17時までは日本語授業。18-21時までは店で仕事(マッサージ)、その後毎日深夜1時まで勉強しているようです。

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彼は弱視なので少しは見えますが、ホワイトボードは見えません。教科書も彼用に拡大しています。そして、彼の横には卒業生らがボランティアでアシストに入っています。

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昨日の教員会議では、彼が入っての進め方で議論が出ましたが、先日バンコクで視察させて頂いた日本語学校を参考に、教科書やホワイトボードは極力使わない。会話を重視した授業に挑戦していくいい機会と捉えています。

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教える方は大変かもしれませんが、先生側も勉強、同じ晴眼者の生徒も彼には負けてられないと勉強。相乗効果が出ればと期待しています。

スタッフパーティー2016

スタッフパーティー2016を行いました。
何と今年は200名乗りの船をチャーター。

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100名の社員を超えた2016年。
ミャンマーに来て20年の節目の年。
船をみて、そしてそこに乗りこむ社員らを見て、目頭が熱くなりました。

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1年間インターンで頑張ってくれた遠藤さんの送迎会もかね、事務所移転する前の金曜日にする予定だったのですが、弊社でコーディネートしているリクルート社のGRIPの懇親会があり断念。その前日にしたのですが、実はこの日は「中秋の名月」という意味のある日。

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中秋の名月を調べたら、「収獲の日」
まさに、皆ががんばった結果が、船上パーティー。

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社員がいいました。

「船をチャーターでのスタッフパーティ。
みんなも それが自分が頑張った結果というのを覚えてほしい。
みんなその価値がもらえるべきと思ってほしい。
誇りに思って欲しい。準備したHRチームに感謝。
来年はもっと立派なスタッフパーティーをみんなでやりましょう」

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船上からは、高層ビルが建ち始めたダウンタウンを後ろに、
対岸は、未開発のダラ。
船の左手には、日本主導で始まった、ティラワ近く。
きれいに夕日が登り、反対には中秋の名月が浮かび上がりました。

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船上からみた意味深な風景。
今日から新しいステージの幕開けです。

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J-SATのミャンマー全国大学セミナーとジョブフェア

J-SATでは年2-3回主要大学にて最高学年対象に、定期的にキャリアセミナーを行っています。今年7月からは17大学に渡りました。

登録中

登録中

モンユワ経済大学

モンユワ経済大学

その成果もあって、先日は大学からの招待で、モンユワ経済大学の就職フェアにも招待されました。もちろん、日本企業は弊社だけ

ピィ工科大学

ピィ工科大学夏休みということもあり、最近弊社に日本の学生が訪ねてくることが多くありました。
ミャンマーの勉強法は暗記式で・・・と、よく聞かれますが、実は日本の学生もミャンマーの学生も根本のところでは大差ないようにも感じます。

モウラミャイン工科大学

モウラミャイン工科大学

日本語学生は器用ですしPCもできますが、同じような発言というか考え方が多いように感じます。ミャンマーの学生も同じような発言は多いですが、時々えっ と思うような発想が出てきたり、意外にオリジナリティがあったりします。ただ、PCとか技術面ではまだまだの人が多いです。
「技術は10年で教えれるけど、気持ちは10年では教えられない」
とよく言われます。
中卒でも高学歴でも関係なく、日本の大学だからミャンマーの大学だからも関係なく、気持ちの部分が大切だなぁ。と。

メッティーラ経済大学

ミャンマーには125大学(別にヤンゴン通信大学とマンダレー通信大学がある)、1学年は2015年合格者22万5千人(教育省)から、それ相当と言われています。
今回お話できた学生数は延べで5000人ぐらいでしょうか。まだまだですが、少しづつでもそれが伝播していけばと思います。

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*17大学
ヤンゴン:ヤンゴン工科大学、西ヤンゴン工科大学、工科大学タンリン校、工科大学モービー校、ヤンゴンコンピュータ大学、ダゴン大学、ヤンゴン経済大学、ヤンゴン外国語大学
マンダレー:工科大学マンダレー、マンダレーコンピュータ大学、コンピュータ大学マンダレー、ヤダナポン大学、マンダレー外国語大学
メッティーラ:メッティーラ経済大学
ピィ:ピィ工科大学
モウラミャイン:モウラミャイン大学、工科大学モウラミャイン

ジェイサット日本語学校バンコク研修

ジェイサット日本語学校の教師陣によるバンコク研修にいきました。
現在、日本語学校の専任講師は12名います。うち6名が参加し、ミンガラドン国際空港新空港から飛び立ちました!

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今回のアレンジは、提携しているパーソネルコンサルタントの小田原社長にお願いしました。普段でもお忙しい中、終日ご同行頂くという恵まれた、贅沢な視察ツアーとなりました。

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まずは、タイ早稲田日本語学校。こちらもご多忙の篠田様から長時間に渡り、様々なカリキュラムや遅刻を抑制する仕組みなど教えて頂きました。

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どんどん新しい取り組みを取り入れ実行されていることに驚きました。世界中の日本語学校が縮小している中、拡張、拡大していっている理由がよくわかりました。全日コースは8か月でN3レベル。ミャンマー人は日本語習得が早いと思っていましたが、タイの人も早くて驚きました。字もきれいで、やはり教え方一つで変わると再認識。掲示板も毎週変わるとのことで、すごい学校です。やるべきことは山盛りです。

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続いて、Wheelchairs And Friendship Center of Asia, Thailand (WAFCAT)を訪問。ここは、おもにタイの農村部の障害を持つ子どもたちに車いすサービスと教育支援を行っていて、設立母体である(株)デンソー社内にあります。紹介ビデオの中で、「障害者も幸せになる権利がある」というタイ国王の話が紹介されていました。
またデンソー社からの安定した支援があるという部分が強く、タイ社会独特の障害者を取り巻く社会システムなどとても興味深いものでした。
社会システムがまだ出来上がっていないミャンマーは、その分、やり易さがある反面、今がとても大切な時ということを認識しました。

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翌日は、SVAタイランド(シーカーアジア財団)の八木沢さんを訪問。各国飛び回りお忙しい中、貴重なお時間を頂きました。

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1980年、NGOという言葉がない時代からNGO活動一筋35年の経験をもとにした講義は、すべてが深く貴重な3時間となりました。35年間NGOをやり続けている日本人は何人いるのでしょうか。一つのことをやり続けることの大切さと凄さ。あらためて感服しました。

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首都バンコクの5人に1人がスラムに住んでいるとは初めて聞く内容でした。またタイ国内とはいえ、最近はタイ人の問題ではなく、ミャンマー人やカンボジア人ら出稼ぎ労働者の子供の問題などで、ここ数年で貧困問題も国際化して根本が変わってきているとのこと。

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NGOが新たな段階に入っているとの八木沢さんの言葉。

移動図書館やゴミと植物の交換による街作りなど、次々と新しいアイデアで成功されている取り組み。お願いするのではなく、モデルをつくり本人らの意識から変えていく。

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NGOや政府、企業を超えた、新しいモデルをミャンマーで提案したい。と思いを強くしました。

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最後は、J-Education主催の留学フェア。印象的だったのは、日本からの日本語学校や大学のブースの他に、日本の人材紹介会社が入っていたこと。N2以上のタイ人材を求めブースを出されていました。タイ国内ではN2やN1の人材を探すのが難しいと言われていますが、面接を受けているN2以上のタイ人候補者がそれなりにおられたのには驚かされました。

今回は(今回も)パーソネルコンサルタントの小田原社長に大変お世話になりました。本当にいつもありがとうございます。