J-SATは25年間ミャンマーにて事業を行う実績と経験からミャンマー進出における

人材支援、市場調査、会社登記等、会社運営をトータルサポートします。

ミャンマーのつぼ~ミャンマーから西垣がお届けするブログ

ミャンマーにて日本とミャンマーの学生が企画・参加する国際会議。

「ミャンマーと日本の若者が自ら交流機会を創り、将来に向けて関係を築いていく」ことを理念に掲げ、毎年2月にミャンマーにて両国の学生が参加する国際会議の企画・運営を行っている学生組織があります。
International Development Field Camp for Myanmar and Japan Youth Leaders(IDFC)。

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日本とミャンマーの外交樹立60周年を迎えた2014年4月に学生によって設立された団体です。日本だけでなく、ミャンマーも学生だけで企画、運営しています。
議論のみではなく現地の大学、公的機関、NGO/NPO等への訪問や、現場でのフィールドワーク、両国の文化交流など様々な活動を通じて、相互理解の促進を図っていくそうです。

 

先日、準備に来緬中の実行委員の方にお会いしました。
しっかりした考えを持ち、日本の学生、ミャンマーの学生ならではの視点で、交流を企画。どういった結果が出てくるのか注目したいと思います。

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先日、準備に来緬中の実行委員の方にお会いしました。
しっかりした考えを持ち、日本の学生、ミャンマーの学生ならではの視点で、交流を企画。どういった結果が出てくるのか注目したいと思います。

また弊社もスポンサーさせて頂きますが、スポンサーがついていることもあり、普段よりも安く日本の学生のみなさんはミャンマーに来て参加できることができます。
ご興味のある学生の方、ぜひお申込みください。

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【開催期間】
2017年2月13日-22日 (移動の時間を含む)

【開催地】
ミャンマー (ヤンゴン)

【参加人数】
36名(日本側18名/ミャンマー側18名)

【参加費】
98,000円
※本会議中の食費、宿泊費、交通費、ならびに航空券代を含む。

【募集期間】
2016年9月18日(日)-2016年10月23日(日)

【応募資格】
2016年4月時点で日本国内又は海外の大学、大学院、短期大学、各種専門学校に在籍する18歳以上の者。国籍不問。

【募集人数】
18名

【選考地】
東京・京都 (遠方の方はオンラインでの面接)

 

視覚障害者GENKYスタッフ「ソーヘインチョー」が日本の大学入学目指します!

今月からゲンキースタッフの一人 ソーヘインチョー が「あ・い・う・え・お」から日本語の勉強をスタートさせました。

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彼の目的は一つ。2018年4月日本の大学へ行き2年間マッサージ技術を勉強、ミャンマーにその技術と知識を伝えることにあります。
彼を選んだのはゲンキーの視覚障害者スタッフ。自分らで話し会い、最も適する人物を選んでもらいました。

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今月9月1日から弊社日本語学校エンジニアクラスでスタート。毎日月曜日から金曜日まで10時から17時までは日本語授業。18-21時までは店で仕事(マッサージ)、その後毎日深夜1時まで勉強しているようです。

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彼は弱視なので少しは見えますが、ホワイトボードは見えません。教科書も彼用に拡大しています。そして、彼の横には卒業生らがボランティアでアシストに入っています。

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昨日の教員会議では、彼が入っての進め方で議論が出ましたが、先日バンコクで視察させて頂いた日本語学校を参考に、教科書やホワイトボードは極力使わない。会話を重視した授業に挑戦していくいい機会と捉えています。

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教える方は大変かもしれませんが、先生側も勉強、同じ晴眼者の生徒も彼には負けてられないと勉強。相乗効果が出ればと期待しています。

スタッフパーティー2016

スタッフパーティー2016を行いました。
何と今年は200名乗りの船をチャーター。

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100名の社員を超えた2016年。
ミャンマーに来て20年の節目の年。
船をみて、そしてそこに乗りこむ社員らを見て、目頭が熱くなりました。

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1年間インターンで頑張ってくれた遠藤さんの送迎会もかね、事務所移転する前の金曜日にする予定だったのですが、弊社でコーディネートしているリクルート社のGRIPの懇親会があり断念。その前日にしたのですが、実はこの日は「中秋の名月」という意味のある日。

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中秋の名月を調べたら、「収獲の日」
まさに、皆ががんばった結果が、船上パーティー。

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社員がいいました。

「船をチャーターでのスタッフパーティ。
みんなも それが自分が頑張った結果というのを覚えてほしい。
みんなその価値がもらえるべきと思ってほしい。
誇りに思って欲しい。準備したHRチームに感謝。
来年はもっと立派なスタッフパーティーをみんなでやりましょう」

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船上からは、高層ビルが建ち始めたダウンタウンを後ろに、
対岸は、未開発のダラ。
船の左手には、日本主導で始まった、ティラワ近く。
きれいに夕日が登り、反対には中秋の名月が浮かび上がりました。

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船上からみた意味深な風景。
今日から新しいステージの幕開けです。

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J-SATのミャンマー全国大学セミナーとジョブフェア

J-SATでは年2-3回主要大学にて最高学年対象に、定期的にキャリアセミナーを行っています。今年7月からは17大学に渡りました。

登録中

登録中

モンユワ経済大学

モンユワ経済大学

その成果もあって、先日は大学からの招待で、モンユワ経済大学の就職フェアにも招待されました。もちろん、日本企業は弊社だけ

ピィ工科大学

ピィ工科大学夏休みということもあり、最近弊社に日本の学生が訪ねてくることが多くありました。
ミャンマーの勉強法は暗記式で・・・と、よく聞かれますが、実は日本の学生もミャンマーの学生も根本のところでは大差ないようにも感じます。

モウラミャイン工科大学

モウラミャイン工科大学

日本語学生は器用ですしPCもできますが、同じような発言というか考え方が多いように感じます。ミャンマーの学生も同じような発言は多いですが、時々えっ と思うような発想が出てきたり、意外にオリジナリティがあったりします。ただ、PCとか技術面ではまだまだの人が多いです。
「技術は10年で教えれるけど、気持ちは10年では教えられない」
とよく言われます。
中卒でも高学歴でも関係なく、日本の大学だからミャンマーの大学だからも関係なく、気持ちの部分が大切だなぁ。と。

メッティーラ経済大学

ミャンマーには125大学(別にヤンゴン通信大学とマンダレー通信大学がある)、1学年は2015年合格者22万5千人(教育省)から、それ相当と言われています。
今回お話できた学生数は延べで5000人ぐらいでしょうか。まだまだですが、少しづつでもそれが伝播していけばと思います。

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*17大学
ヤンゴン:ヤンゴン工科大学、西ヤンゴン工科大学、工科大学タンリン校、工科大学モービー校、ヤンゴンコンピュータ大学、ダゴン大学、ヤンゴン経済大学、ヤンゴン外国語大学
マンダレー:工科大学マンダレー、マンダレーコンピュータ大学、コンピュータ大学マンダレー、ヤダナポン大学、マンダレー外国語大学
メッティーラ:メッティーラ経済大学
ピィ:ピィ工科大学
モウラミャイン:モウラミャイン大学、工科大学モウラミャイン

ジェイサット日本語学校バンコク研修

ジェイサット日本語学校の教師陣によるバンコク研修にいきました。
現在、日本語学校の専任講師は12名います。うち6名が参加し、ミンガラドン国際空港新空港から飛び立ちました!

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今回のアレンジは、提携しているパーソネルコンサルタントの小田原社長にお願いしました。普段でもお忙しい中、終日ご同行頂くという恵まれた、贅沢な視察ツアーとなりました。

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まずは、タイ早稲田日本語学校。こちらもご多忙の篠田様から長時間に渡り、様々なカリキュラムや遅刻を抑制する仕組みなど教えて頂きました。

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どんどん新しい取り組みを取り入れ実行されていることに驚きました。世界中の日本語学校が縮小している中、拡張、拡大していっている理由がよくわかりました。全日コースは8か月でN3レベル。ミャンマー人は日本語習得が早いと思っていましたが、タイの人も早くて驚きました。字もきれいで、やはり教え方一つで変わると再認識。掲示板も毎週変わるとのことで、すごい学校です。やるべきことは山盛りです。

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続いて、Wheelchairs And Friendship Center of Asia, Thailand (WAFCAT)を訪問。ここは、おもにタイの農村部の障害を持つ子どもたちに車いすサービスと教育支援を行っていて、設立母体である(株)デンソー社内にあります。紹介ビデオの中で、「障害者も幸せになる権利がある」というタイ国王の話が紹介されていました。
またデンソー社からの安定した支援があるという部分が強く、タイ社会独特の障害者を取り巻く社会システムなどとても興味深いものでした。
社会システムがまだ出来上がっていないミャンマーは、その分、やり易さがある反面、今がとても大切な時ということを認識しました。

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翌日は、SVAタイランド(シーカーアジア財団)の八木沢さんを訪問。各国飛び回りお忙しい中、貴重なお時間を頂きました。

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1980年、NGOという言葉がない時代からNGO活動一筋35年の経験をもとにした講義は、すべてが深く貴重な3時間となりました。35年間NGOをやり続けている日本人は何人いるのでしょうか。一つのことをやり続けることの大切さと凄さ。あらためて感服しました。

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首都バンコクの5人に1人がスラムに住んでいるとは初めて聞く内容でした。またタイ国内とはいえ、最近はタイ人の問題ではなく、ミャンマー人やカンボジア人ら出稼ぎ労働者の子供の問題などで、ここ数年で貧困問題も国際化して根本が変わってきているとのこと。

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NGOが新たな段階に入っているとの八木沢さんの言葉。

移動図書館やゴミと植物の交換による街作りなど、次々と新しいアイデアで成功されている取り組み。お願いするのではなく、モデルをつくり本人らの意識から変えていく。

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NGOや政府、企業を超えた、新しいモデルをミャンマーで提案したい。と思いを強くしました。

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最後は、J-Education主催の留学フェア。印象的だったのは、日本からの日本語学校や大学のブースの他に、日本の人材紹介会社が入っていたこと。N2以上のタイ人材を求めブースを出されていました。タイ国内ではN2やN1の人材を探すのが難しいと言われていますが、面接を受けているN2以上のタイ人候補者がそれなりにおられたのには驚かされました。

今回は(今回も)パーソネルコンサルタントの小田原社長に大変お世話になりました。本当にいつもありがとうございます。

アロワナの急死から感じたこと

先日(1か月前になってしまいましたが)、突然アロワナが死にました。
購入して1年。引っ越し3回ぐらいしたにも関わらず元気に大きくなって来てました。

いつも家に帰ったら、アロワナ踊りで出迎えてくれて、エサを欲しがってしました。
とても頭がよくて人懐っこい、元気なアロワナでした。

順調に育っていたのですが、一緒に飼っていた「プレコ」が突然死したのを契機におかしくなりました。「プレコ」はコケや食べ残しを食べてくれていたので、別の「プレコ」を購入しました。すると、少し小さかったのか、アロワナが追いかけすぎ、壁に何度もぶつけ、ひげまで取れてしまいました。ということで、次は大きめの「プレコ」に変えてもらいました。
すると、同じ大きさということでか、直接ケンカし、アロワナは余計にダメージを受けました。翌日、「プレコ」を無償で店に返しました。

 

で、もう大丈夫だろう。と思った数時間後、突然元気だったアロワナが急逝しました。

かなりショックでした。

「順調であっても、一匹(一人)でも合わない魚(人)が入れば、突然環境が変わってしまう。」
これは弊社も同じこと。いくら仕事ができそうであっても、弊社の理念の理解ができない人が一人でも入ると突然おかしくなってしまう。

こんな大切なこと、アロワナから教えてもらいました。合掌

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二代目アロワナは子供だからか、よく暴れてジャンプして、頭ハゲてます。

武山真理子さんの本を読んでみました。

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ベトナム戦争下のサイゴンで死にゆく兵士たちを励ますため踊り続け、1964年からバンコクに通い、現在バンコクで居酒屋「まりこ」を営む武山真理子さんの本を読みました。
有名な方で以前ご紹介頂いたのですが、恥ずかしながら全く知らず、せっかくのチャンスを台無しにしてしまいましたが、ずっと気になっていて、今回、本で勉強してみました。
まず思いだしたのは、戦前、ミャンマーに来られ、ほとんど日本にも戻らず2007年93歳で他界された「えみさん(鈴木考子さん)」。

いずれの方も長年異国の地に長らく滞在することは、周囲が思うほど大変と思っていないように感じました。私はまだ20年ちょっとだけですが、私も何とも思っていません。そして、皆さん、いつも聞かれる質問で「どうして日本ではなく・・・」ですが、本を読む限り、特に理由があって海外生活しているというより、いたって自然にというような印象でした。えみさんもそうでした。

その質問は私もよく聞かれて回答しますが、結局のところ、運命というか自然の流れで・・・が本音かなと。異国の地に長く住み続けることは、自らの意志では難しく、別の意志がないと難しいかなと感じてもいます。

この本読んでいて、何故かとても印象にのこったのが、「からゆきさん」

当たり前ですが、私が今感じている、異国の地で長く滞在するのは何ともないと思うのは、いつでも日本に戻れるからであって、100年前当地に来られた方とは全く違います。まだまだやるべきことはたくさんあります。こう来たかぁ~と。

「からゆきさん」ネットでググってみました。

「鎖国が解かれてから最初にこの国へ入った日本人は、からゆきさんで、明治14年(1881)には既に10人の日本人がビルマにおり、このうち6人が女性、同24年(1891)には69人(うち女性が49人)、さらに同34年(1901)には114人(うち女性は86人)と、常に女の数が男を上回っており、女性のほとんどはからゆきさんで、男の大半は彼女らを監督する者たちだったとみてよいという。
時が経過し、日本政府は「からゆきさん」を近代日本の恥部として大正9年(1920)、海外廃娼令を発布した。」(http://judo.daa.jp/z%20karayukisan.htm

今年で6年目を迎えた社会人向け視覚障害者マッサージ短期訓練コース

今年で6年目を迎えた社会人向け視覚障害者マッサージ短期訓練コース。今年は8名が卒業。この6年間でトータル60人が社会に飛び立ちました。

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このプロジェクトは弊社運営ゲンキーの利益を元に、ミャンマー社会福祉省との共同事業になります。弊社からは技術指導としてゲンキーのベテラン施術者派遣と食費などの経費負担。社会福祉省からは場所と受講者集め、宿泊施設などを提供。幼いときに盲学校に通えず大人になってしまった人を対象にしたこのプロジェクトは、ミャンマー政府からの評価は高く、どの組織からの支援も外国人技術指導も必要なく、ミャンマー人だけで企画、立案、資金繰り、すべて回る仕組みが出来上がりました。

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ゲンキー設立当初から、支援はいつか止まる。援助に頼らず自力で運営できる体制を作る。日本人ら技術者    を一時的に連れてくることは可能だが、それを50年、100年続けるのは難しい。視覚障害者は50年後も100年後も存在するだろう。外国人技術者が入ったシステムにすれば、それを抜け出すことは至難の業。専門技術者常駐なしでは難しく、時間はかかるかもしれないが、一度頼ると永遠に頼るシステムになってしまう。 一つ一つ自らで運営できるシステムを作りだすことが必要です。と8年前に宣言したことが、ようやく実ってきました。

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今では、全国に50以上の視覚障害者マッサージ店が出来上がりました。ゲンキーはそのうち2店舗だけですので、ほとんどが地元の人々らだけで運営されていることになります。 もともと趣味的なところで始めたゲンキー。 ところが、弊社の中軸事業に発展するであろう、今の介護訓練センターがあるのもゲンキー無しでは存在していません。

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視覚障害者マッサージ施設を作ろうと思ったのは、2008年5月のビルマ(ミャンマー)史上最悪の自然災害サイクロン・ナルギスががきっかけ。 その時にまさか介護訓練センターを運営するとは頭の片隅にもなく・・・。 介護訓練センターのパートナー、ミャンマー医師会の元会長や保健省元役人らは、ゲンキーの活動をよく知っておられ、彼らの団体には多くの日本人が訪れる中、パートナーには我々を選んでもらいました。 計算して物事やると上手くいかず、計算しないで行うと自然と結果がついて来るもの。計算をして行ったものは、ほとんどうまくいきません。よく言われますが、それをまさしく体感しています。

「死の鉄路 泰緬鉄道~ビルマ労務者の記録」を読んでみました。

「死の鉄路 泰緬鉄道~ビルマ労務者の記録」を読んでみました。

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まず、貴重で多くの人に読んで欲しい本だと思いました。
翻訳者の田辺さんがあとがきで書いておられます。「日本人では20万人もの人が戦病死した地であるだけに、体験された方が戦記を書かれている本は数多くあります。しかし、それらは日本人の側の声であって、ビルマ側のものはありません。この本は数少ないビルマ人が書いた本であるが、黒白をつけるものではなく、ビルマ人がそう見ていた。と受け取ってもらいたい」

中身は日本人には耳の痛い部分もありますが、当時の状況を想像してみると、たしかにその通りだと感じる部分は多々あります。当地でリサーチを行い、多くのビルマ人戦争体験者から話を聞いてきた経験からは、しっくりくる内容でした。

戦争は切り取ったところによって状況は変わります。
日本ではよくアウンサン将軍は日本軍が育て・・・という話が出ます。ちょうどこの本の前書きには、1946年12月18日タンビューザヤ軍墓地落成記念式典でのアウンサン将軍の演説があります。「4年前ぐらい前からわが国は戦火に見舞われた。戦火とともに日本の軍国主義たち、それに悪しきファシズムがやってきた」からはじまります。

ミャンマーは日本がイギリスからの独立を支援をしたので・・・と日本ではよく語られる部分ですが、ミャンマーの人からその通り!と言われたことはほとんどありません。また、日本でよく言われる、イギリス時代よりは日本時代がマシだった、というのも言われたことはありませんでした。本の中では「日本兵と仲良くしている、気にいられているビルマ人は優遇されて、その他は別の扱い、イギリス時代の階級社会と何ら変わらない」と語られています。同様なことは私も何度も聞きました。

当時の日本兵と今の日本企業戦士とがダブります。
ミャンマーに駐在している日本の人は大きく二つに分かれると思います。ミャンマー人が好きな人とそうでない人。現地に溶け込み地元の料理を食べる人もいたら、食事が合わない、汚い、電気がない、指示が守れないと文句ばかりいう人。
戦時中もそうだったような気がします。
溶け込んだ日本人には地元の人はサポート。逆に溶け込まない人は・・・。
戦況が不利になり撤退になれば、仲良くしていた人を地元の人は助けますし、そうでない人は想像ができます。そう考えれば、生き残って生還された方は、仲良くしていた人が多い、だから「ビルキチ」みたいな言葉が生まれたのではないのかな、と、この本を読んで感じました。

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ミャンマーの人は日本人が戦時中行ったことを知った上で親日の人が多くおられます。日本人も実際日本人がこのビルマの地でどういうことを行ったのか、それを直視しその上で今のミャンマーとつきあっていくことが大切だと思います。
ミャンマーの人のことを理解することがミャンマーでのビジネスの成功のカギ。
そのためには、戦時中のことから理解していくことが大切なように感じます。
この本、絶版ですがアマゾンでは簡単に手に入りますので、ミャンマーとビジネスしている方はぜひ!

今更ながら・・・社員教育・社内教育始めました。

今さらですが、4月からきちんと時間を取って社員教育を始めました。

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近年急激に社員数が増え、しかもほとんどが20代。
ミャンマー人の若者はすぐ転職する子がいたり仕事のことがわかっていない。とよく聞きます。それは、きちんと社員教育ができないことの裏返しだったと気づきました。

3月末に数名正社員として日本のIT企業などに人材紹介しました。現在多くの会社が、日本人新卒者と一緒に1か月間社員教育をされています。
教育を受けたミャンマー人スタッフに聞いてみると、本当に知らないことばかりで感謝した、仕事の意味がようやくわかった、と全員が感動、会社に恩返しを誓っていました。
ミャンマーに進出している日本の会社の多くは、採用=仕事を任せる となっていてまず社内教育をしている会社はほとんどないように思います。
ミャンマーの若者の多くは、仕事、働くことに関してよくわかっていないので、会社とは、利益はどうやって生み出されるか。から教えていく必要があると思い、そこから教えていくことにしました。
弊社では日本企業に対しての仕事がほとんどですので、日本語が使えれば使えるだけ仕事の幅が広がります。これについては社員からの発案で、日本語話せるスタッフが話せないスタッフに教えるクラスも始めました。
ミャンマーの人は学ぶことが好きな人が多く、離職率低下にも大いに貢献しています。

「会社の価値」=「社員の価値」

忘れず大切にします。