J-SATは25年間ミャンマーにて事業を行う実績と経験からミャンマー進出における

人材支援、市場調査、会社登記等、会社運営をトータルサポートします。

ミャンマーのつぼ~ミャンマーから西垣がお届けするブログ

筑波大学JapanExpertProgram入学説明会を行いました。

3月27日に筑波大学から野村准教授をお迎えし、ヤンゴンにて筑波大学JapanExpertProgram入学説明会を行いました。
弊社がミャンマーでのコーディネートを担当。

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英語と日本語の両方で、ヤンゴン外国語大学日本語学科長や日本語学校経営者向けと日本語を勉強しているミャンマー人の2部制で説明会が行いました。

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背景には世界の学生流動があります。企業のグローバル化に伴い企業はグローバルな視点を持った人材に注目。全世界での留学生が1995年170万人だったのが2015年には440万人に、さらに2025年には770万人になるとの予想。2020年予想の600万人のうち57%はアジア人学生になるそうです。(OECD調べ)

一方日本はというと少子化に加え、海外留学する日本人学生数は2010年から急激に低下。企業はアジアや海外展開が進展するも、日本人は内向きになるという現状から優秀な外国人材を取り込みたい企業が増えていると言われています。

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日本もこれらを問題視し大学の外国人留学生の取り込みに必死ですが、残念ながら成果をあげるまでには至っていないようです。数年前からここミャンマーでも各大学がプロモーションを行っているようですが、残念ながら弊社スタッフですら知りません。昨年はミャンマーにて早稲田大学・大学院が授業料免除、月12万円の奨学金がつくという好条件で募集しましたが、募集者一桁・・・と残念な結果に終わっています。

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今でも100万円近く支払い、日本の日本語学校に留学するミャンマーの人達は多く、金銭的な問題というよりは、プロモーションのやり方の問題と感じます。
また、もっと根本的な日本における大学事情や日本語学校、専門学校の位置づけなどの情報が不足しているのではとも感じています。

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今回はJapanExpertProgramの説明だけでしたが、筑波大学では日本語を必要としないプログラムも数多くあるそうで、再度、ミャンマーで大きなイベントを予定しているそうです。ミャンマーの若者に日本の教育制度や留学の仕方などの情報を、7年前に視覚障害者マッサージを理解してもらうため、ミャンマーのマスコミで打ち上げ花火を連発したように、ミャンマー国内の幅広い人々に情報発信していければと思います。

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尚、このJapanExpertProgramは、日本で働きたい、日本語関わる仕事をしたいと思っている留学生のために、筑波大学が日本語のスキルと専門分野の教育を集中的に行うプログラムを開設しました。将来的に日本とミャンマーを結ぶスペシャリスト育成のためのプログラムです。

Japan Expert Program のポスター0001

企業からはミャンマーに進出したいので、ミャンマー語が話せるなどの人材オファーをするも日本人は皆無。そこでミャンマーに進出したいのでミャンマー人で日本語を話せ文化も理解できているスペシャリストの要望が多いそうです。まさに市場が求めている人材育成のプログラム。
これまで日本語検定試験N1レベルが大学入学には必要でしたが、このプログラムはN3レベルから応募できる画期的なプログラムです。
興味あるミャンマーの方、是非ご応募ください!

*詳細は以下のホームページをご覧ください。

http://jp-ex.sec.tsukuba.ac.jp/ 

タイで人気の居酒屋「しゃかりき432”」のミャンマー2号店 がオープンしました。

タイで人気の居酒屋「しゃかりき432”」のミャンマー2号店 がオープンしました。

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タイに進出して3年で15店舗目。
最も勢いがある居酒屋としてバンコクでは有名だそうで、ここミャンマーも早くも2店舗目。このレストランのすごいところはいくつかありますが、その一つはバンコクで働いているミャンマー人スタッフをミャンマーに連れてきているところ。

ミャンマーに進出していく企業は、レストランだけでなく、どこの企業もそうですが、進出後の悩みは働くスタッフ。

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そんな中、この「しゃかりき432”」では開店初日からスタッフはキビキビと動き、ぼーーっと しているスタッフはいません。
ランチタイムにいったら、メニューをランチ定食のページを開いて説明しながら持ってきたり、大きな掛け声で「いらっしゃませ!」
初日からこんなことできる日本食レストラン、今までありませんでした。

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バンコクに店舗がありながら、ミャンマー人はよく働くので、と多くを雇用されている Shakarki432さん。レストランだけでなく、タイやマレーシアの工場でも同様のケースが多くあるようです。

これまで進出した日系企業の一番の悩みであった「人材」
企業で働く機会がこれまでなかったので、仕事の基本を社内で教えないといけません。
教えられた人材をハンティングしても、また別のところにハンティングされます。

ミャンマーに進出するためのヒントがそこにはあります。
もちろん、人材だけでなく、店作り、メニュー、価格設定もさすがです。
「タイで大阪のソウルフード!」との名の通り、たこ焼きやお好み焼きもあって、美味しいです!鍋料理やラーメン、デザートもありメニューも充実しています。ランチ定食も種類が豊富でお勧めです。サクラタワー近くに欲しい・・・

この店舗を見た弊社スタッフの感想。
「今ミャンマーから技能実習生などが海外に出始めています。この人達がミャンマーに帰ってくる5年後のミャンマー楽しみにです」
と。

なるほど。

SHAKARIKI 432″
http://www.shakariki432.com/

SHAKARIKI 432″ スーパーホテル店
営業時間:06:30-24:00
住所:No.51/D,Kabaraye Pagoda Road,(Inside Super Hotel)
電話番号:09-9755-62131

SHAKARIKI 432″ ヤンキン店
営業時間:06:30-23:00
住所:Building 215, Room(8), Yan Shin Street, Yankin Township
電話番号:09-9755-62131

視覚障害者支援で新しいアイデア出てきました!

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2年ほど前から準備してきた視覚障害者マッサージ訓練センターの開校式に参加してきました。どんな形にするか最初から関わらさせて頂き、全国盲学校や視覚障害者マッサージ店にもアンケートを実施。そしてついに形になりました。

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主な資金と運営アドバイスは日本財団。ただ、マッサージ治療費などで回し将来は支援なしで回していく予定。
このプロジェクトの中心は元マンダレー伝統医療大学長と元保健省伝統医療局長。役員メンバーにもずらりとマンダレー伝統医療大学の先生らが揃いました。

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そこにミャンマー盲人協会や弊社、ゲンキークリニックなどが参加。
生徒20名全員は住み込み1年間授業。当初は10名を予定していましたが、どうしても通いたいという生徒が増えて20名でのスタートになりました。オリジナルテキストが、バシっとできあがるのはさすが、大学教職員が軸にいるからこそ。

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一つだけ残念なのは視覚障害者マッサージにかかわる皆が一同に集まるオールスターにできなかったこと。
もともと私が6年前ゲンキークリニックを立ち上げた時も、ミャンマー視覚障害者マッサージはキリスト系と仏教系に別れていました。一つは海外からのファンドがついていて、もう一つはついていない。いずれにも協力を求めましたが、ファンドがついていない、政府系が全面協力、一方は全面拒否。
そして政府の後押しでゲンキーが当たり、視覚障害者マッサージがミャンマー社会に認知されました。

今の現状はというと、盲学校の中でさえ2つのコースに別れてしまいました。
皆どこも目指していることは一緒なんだから、一緒に協力すればいいのにと思いますけど、どこの世界もそうですが、なかなか一つにまとまることは難しいですね…。

昨日は、ヤンゴン国立盲学校の校長に招待され夕食ご一緒していました。
22年間盲学校で働き、長年副校長をされていた苦労人です。
最近、ミャンマーの障害者らが集まり団体を作り大きな話題となりました。あっという間に5000人以上が会員団体に成長し、世界各国から支援も集まっていると聞いていたので、盲学校もよくなったですか?と聞いたら、うちには恩恵なく・・・と。

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色々先生らと話しているうち、新しいアイデア思いつきました!
なら、うちは別にドナーなど関係なく、ジェイサットなどの事業利益を使って自分が喜び、社員らが喜んだらいいだけなので簡単に実行できます。

年内には実行したいと思います!そのためにも事業成功させないとっ!

補足ですが、マンダレーのこのマッサージ学校に決めた建物。
地方出身の医者夫婦が将来のミャンマーのためにと、自分の資産で財団を作り、この建物ごと寄付された建物です。夫婦ともすでに他界されていますが、このように有効活用されています。This is Myanmar ! 我々が学ぶべきことは沢山あります。。。

2015年12月31日 本日仕事納めです。

本年仕事納めです。

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10年前から毎年仕事納めにどんなことを書いていたか見直してみました。

2005年の仕事納めには
「今年はシティーマート爆破事件に首都機能移転、そして最後に雨のクリスマス、天候不順で国内線が大混乱!」
首都がネーピードに移転した年でした…

2006年の仕事納めには
「仕事納めの挨拶なしも、12月にセドナホテルのORZOのパスタビュッフェのレポート。一人USD10。今もこの値段ならなぁ…

2007年の仕事納めには
「2007年は10月20日まで続いたヤンゴン、マンダレーでの戒厳令が解除されたところで、仕事納めの挨拶なし・・・」
今やデモがあったことも遠い昔の話ですね…

2008年の仕事納めには
「Gamone Pwintに大阪ラーメンが出現」
今はなき、大阪ラーメンができただけでニュースです…

2009年の仕事納めには
「ヤンゴンは一般の人々の服装も含め変化が大きかったと感じます。」
総選挙前年、変わり始め、雰囲気が変わり始めています。服装の変化は選挙後ではなかったですね…。

2010年の仕事納めには
「2010年は海外投資が急増し、観光客も過去最多を記録。」
総選挙が終わり民政移管した結果が出ています。

2011年の仕事納めは
「ジョージソロス氏来緬と、年初早々また色々起こりそうで楽しみです。」
ビジネスは、まだまだ水面下での動きですね。

2012年の仕事納めには
「今も机の下には寝袋があり、ミャンマー人スタッフも何度も会社で寝て仕事する日が続きました。」
激しくなり始めています…。

2013年の仕事納めは
「もう一段上のところを皆で目指し成長しましょう!」
動き始めてる感があります。

2014年の仕事納めは
「15年以上拠点にしていたNyaunpinayzayからついに移転。あらゆる意味で卒業する年となるであろう2015年」
次のステージに上がることを示唆しています。

そして、2015年の仕事納めは…

政権交代が実現した総選挙が終わり、2016年4月は新政権が始動。
弊社も2016年4月を目標に、ついに動き出します。
事務所はついにサクラタワーに統合され各事業部が同じ事務所内に入り、2016年1月ー3月まではシステム再構築。そして4月に突入!

サクラタワー周辺も2016年はシャングリラホテルの新棟が完成。

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さらにボージョーマーケット前に建設中の新たな複合施設「ジャンクション・シティー」の一期工事が完成予定。高級ホテル「パン・パシフィック・ヤンゴン」(25階)、アイマックス(IMAX)が運営する国内初の映画館が入居したり、太陽光発電設備や廃水処理装置、雨水再利用システムなどが導入される予定の「ジャンクション・シティー・ショッピングセンター」の準備が整ってきて、ヤンゴンの景色が一変する年になりそうです。

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10年を振り返ると、ようやく導入期が終わり、来年から成長期に入ることがよくわかります。新政権同様、2016年1-3月に最終チェック、そして4月から本格的にスタートできるよう最終準備に入りたいと思います。

ミャンマーの激しい変化にお居ていかれないよう、しっかり食らいついていきたいと思います。

今年も多大なるご支援誠にありがとうございました。
来年も宜しくお願いいたします。

よいお年をお迎えくださいませ。

社外活動で孤児院に寄付してきました。

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社員が寄付に行きたいということで、社員らが場所を見つけアレンジ。会社として終日休みにして社外活動してきました。

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希望者47名、各自が給料から積み立ててきた寄付金を渡すため、サクラタワーに5時集合。15分前には多くの人が集まり3分前には全員揃い出発。
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場所はヤンゴンから片道5時間、ピィへ行く途中のGyobingaukの郊外と聞いていた情報とは異なり、ひたすら村へ続く牛車用の道。

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49名乗りの大型バスが通れる道ではなく、案の定、途中からバスを置き去りにし徒歩。

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僧院からトラックを持ってきてもらい、全員トラック荷台に乗り移り孤児院を目指すこと45分。

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ヤンゴンから大変な道中、約8時間かけて到着したThin Kha Yine Myittar Yeik 孤児院。

到着したら、まずはご飯を頂きました。

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小学4年生以下216名の孤児が生活するここでの一番の出費は食費。
50キロの米袋を一か月で45袋、一日の食費は11万チャット(約1万円)とのこと。運営は大きなお寺からの寄付で賄っているそうです。
5年生以上は中学校のある村にいるそうです。

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貧しく人々の支援で大学まで行った29歳の僧正。
多く人々の善意で育てられたので恩返しをしたいと教師を目指すも給料が安く社会に恩返しができない現実。
そこで思いついたのが僧侶になり孤児院を作ること。
大学卒業し僧侶になり、21歳のときに孤児院を現在の地に開いたそうです。

支援できる資金がある限りは拒否せず受け入れていきたいと話されています。
子供の境遇や僧院のことなど話して頂く間、泣いている社員も数名いました。
そして、最後に説教を一つ頂きました。

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「私は働きたくても働けない。働ける人は是非給料のすべてをお菓子などに使ってしまうのではなく、一部を寄付に回してください。」
と話されていました。
自ら貧しく、働きたくても働けない。稼ぎたくても稼げない、そんな境遇がこういった言葉を生んでいるのかもしれません。

生まれて両親がなくなり身寄りなく預けられた子供。学生で子供ができちゃって育てられなく捨てられた子供、出産後貧しく育てられないので病院に置き去りにされた子供。
そんな子供らが集まっている孤児院。
生まれた環境だけで、子供らには全く罪もない。不公平な現実。

働く環境がある我々。その環境を当然と思うのではなく、働きたくても働けない、努力したくても努力の先は何もない。そんな多くの人々の変わりに働くのが我々の役割。

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弊社のスローガン
「ガンバる人には先を見せてあげる。夢が見れる国に。Raise Your Dream」

この理念を実現するため、2016年も走り続けます!

【余談】
突然僧正が、この裏は戦時中日本軍が来ていた場所で・・・と案内してくれました。
バゴー山脈を越えて逃れてきた敗走ルート。近くには大きな湖。
そういえば、サイクロン・ナルギス到着2日前にこの場所近くでロケしていた番組のロケ中、戦時中の日本軍の話を聞いたことを思いだしました。バゴー山脈を命からがら越えてたどり着くも、湖に毒を盛られて多くの日本兵が死んだという話でした。
突然僧正がそんな話をし始め…、ミャンマーでどこか訪問するときは必ず理由があります。

【余談2】
施設内にあるパゴダ。以前はパゴダの真ん中当たりから水が出ていたそうです。施設に人が集まれば集まるほど多くの水が出る不思議なパゴダとして有名になり、一時は多くの人が集まったとのこと。ただ、2年程前にパゴダのための寄付金を誰かが騙し取ったそうで、その時から突然水が出なくなってしまったらしいです。

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世界寄付指数ランキング 1位ミャンマーはすごいなーと。

うちのある社員が誕生日ということで、50名分のビリヤーニを同じ事務所内の社員にご馳走しました。彼女は30歳。生まれてから毎年欠かさず行っているそうで、月給の半分を使って今回もご馳走しました。
ミャンマー相変わらず、すごい国です。

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015年11月15日、英国のチャリティーエイド財団は、全世界145カ国を対象に、寄付やボランティアがどのくらい行われているかを調査した結果を発表。ランキングトップはミャンマー。 英国のNGO支援団体チェリティーエイド財団は、調査機関に依頼し、全世界140カ国で寄付行為やボランティア活動についての調査を行いました。。調査項目は以下の3点。

1:1カ月以内に誰か見知らぬ人にお金を寄付したか。
2:チャリティーなどに募金したか。
3:ボランティアとして時間を提供したか。

世界寄付指数ランキング 1位ミャンマー、マレーシア10位、タイ19位で日本は102位という結果でした。

1位 ミャンマー
2位 アメリカ合衆国
3位 ニュージーランド
:
19位 タイ
:
102位 日本

今月末にも、片道6時間かけて、社員全員でボランティア活動に出かけます!

 

 

 

2016年J-SATグループカレンダーができました!

来年度のカレンダーが完成しました!撮影に時間がかかりこの時期になってしまいましたが、何とか間に合いました。
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@1150チャット。日本だといくらか知りませんが、安いですねー。
会社設立17年目にして初めてのカレンダー制作。
やはり社員らのモチベーションはあがります。

12月29日はグループ全社臨時休業し、大型バスをチャーターし朝5時集合、ボランティアに出かけます。
2015年も残すところあと2週間を切りました。
サネイ・ジェイサット・ゲンキー も ラストスパート!
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故ココウ科学技術大臣の遺産、2016年度もミャンマー全国の技術系国立大学9校、文科系国立大学3校でセミナー行います。

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一昨日急逝された、ココウ科学技術大臣。
国費留学中の日本での生活中に知り合い、20年来の付き合い。
いつの間にか出世されましたが、忙しくても、時間を作ってお会いしてくれ、いつも仕事の話はすぐ終わり、ミャンマーの今後の発展を話していました。大臣は、国の発展にはエンジニアの育成、教育が大切。教育には時間がかかるから、あと10年待ってほしい。今改革をしているところなので。と、ミャンマーにとって良いことを提案したら、大臣主導でどんどんやらせてもらえました。

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その中での一つが来年度も行うミャンマーの主要技術系大学で行うセミナー。全国9つの国立大学の最高学年全員を対象とし、働くとは。人生設計とは。就職とは。ということを学生のうちから考えてもらうセミナーです。
大臣は大阪大学に留学されていたこともあり、日本の就職課や就職活動についてもご存じで現在は大学に就職課を設置。それだけでなく、将来に向けた布石をいくつもやられていました。

最後にお会いしたのは、選挙前。選挙後はどうなるかわからないので、早めに来年度のセミナーも打ち合わせしましょう。ということでお会いしたのが最後となりました。

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一昨日の昼過ぎ、ネーピードからの訃報を聞き信じられませんでした。
今日火葬場に行き、見送りに来た人々をみて、そして柩に入った大臣の姿をみたとき何とも言えない感情が込み上げてきました。

局長、次官、副大臣時代は仕事が忙しく事務所で4時まで仕事、朝7時起きて仕事、というのが続いていたと話されていました。当時は日本に行きたいけど、留学時代から10数年以上、仕事が忙しくて行けないですねーと話していたのですが、最近は日本の援助が始まり日本に行く機会ができてきて、喜んでおられたとこでした。

彼はいませんが、彼が作りだしたプロジェクトの種は確実に進み始めています。
その一つがこのセミナー。
生きている我々がその種に水をあげ発芽させ、花を咲かせないといけない。

とはいえ、いつどうなるかわからない我が身。
それを考えたら今の我が社は私が死んだらどうなるかなーと、火葬場へ行く車の中で考えました。

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弊社幹部に、私が死んだらどうする?と聞いたら、答えはこれでした。

私がJ-SATで働く理由は優先順位で3つ。と

1.会社・社長の経営方針
2.助け合える仲間たちと働ける仕事楽しさ
3.仕事のやりがい

経営方針、理念は大切だなーと。
会社、働くことに対する考え方、理念が一緒な仲間と働くことの大切さ。
理念は死んでも引き継いで生き続ける。

明日死ぬかわからない人生で、今を大切に、今できること、今やるべきことがあることは、それだけで幸せなこと。そして、それに感謝しないと。

今日、柩に入った大臣を見たときに生まれたモヤモヤ感、しばらく抜けそうにありません。。。

生前のご功績を偲び、心からご冥福をお祈り申し上げます。

NHKワールド・ラジオ日本 ビルマ語放送に出させて頂きました!

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NHKワールド・ラジオ日本 ビルマ語放送に出させて頂きました。完全ビルマ語ですので、吹き替えられていますので私の声はほとんどありませんが・・・・。

放送はこちらから・・・1か月間視聴できます。

http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/my/radio/listener/201511200600/

ミャンマーの人から評価されるのはうれしいです。

2015年もあと1か月。2016年に向けて最後の準備です。

カレンダー用集合写真撮りました!

来客などで中々全員揃わず、カレンダー写真用の撮影が遅れていましたが、仕方なく数名揃いませんでしたが、今朝強行撮影行いました。

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場所はヤンゴン中心部、独立記念碑前。

全員、黄色のポロシャツに着替え8時集合のところ、8時にはほぼ全員集合。さすが!(赤色でも緑色でもなくてよかった・・・)

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カメラマン、さすがです!

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