J-SATは25年間ミャンマーにて事業を行う実績と経験からミャンマー進出における

人材支援、市場調査、会社登記等、会社運営をトータルサポートします。

ミャンマーのつぼ~ミャンマーから西垣がお届けするブログ

本日12月30日、仕事納めです。

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これまで旅行手配を始めた1999年12月31日以来、12月30日仕事納め。大晦日と正月は会社休み。
31日と元旦で強硬のチャウンダ旅行にいきます。
元旦をヤンゴン以外で過ごすのは、96年にヤンゴンに来て以来初めて。実に18年ぶり!

2015年度はこれまで16年間作り上げてきたものを整理、管理、そしてシステム化、恒常化することを目標とします。
15年以上拠点にしていたNyaunpinayzayからついに移転。あらゆる意味で卒業する年となるであろう2014年。

旅行部門はヤンゴンナウが14年ぶりに全面リニューアル。
コンサル部門は顧問契約企業も増え、日本の金融機関からもセミナーに呼ばれることが多くなりました。
取材部門は老舗コーディネーターとして安定的に通年コーディネート実績。
国内人材派遣部門は最も飛躍した部署で、狭い事務所から1年でサクラタワー2階という好立地に移転することができました。
そして2015年に力が注がれる日本向け人材派遣部門。昨年からはじめた日本語訓練センターの評判もよく、既存の送り出し機関とは明らかに違いを出すことに成功し、それを軌道に乗せるのが大きな来年度の課題となります。
最後に、マッサージ店ゲンキー。日本人が関わっているマッサージ店ができ始めるなど競争が激化するも、売上の80%がリピーターという安定飛行で、2015年度は国の視覚障害者支援にも積極的に関わっていくことになります。

大きく注目されてきたミャンマー。
そんな中でも従来通り活動ができ、さらに目標に一歩一歩近づいていくことができるのも、多くの皆様方のご支援、ご指導のたまものです。

先日の幹部会では、サネイ・ジェイサットが社員皆に重視すべきは、『成長』。との意見が大半でした。ミャンマー社会の成長、会社の成長、そして何より、自分自身の成長。

サネイ・ジェイサットグループは2015年度新しい領域に突入していくことになります。

2015年も更なる成長ができるよう、引き続きご支援、ご指導宜しくお願い申し上げます。

それでは皆さまよいお年をお迎えくださいませ。

年明けは1月2日から営業となります。。。

 

新事務所移転のお知らせ

サネイトラベル社は2015年1月4日より下記住所に事務所移転します。

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Room No.15, 4F, No.190/194, Pansodan Street (middle),Kyauktada Township, Yangon

*電話番号はそのままです。

*パンソーダン・ストリート、KMDの近く、HOTEL Kのある建物です。HOTEL Kの受付のある側の4階(日本的には5階)。エレベーターはセキュリティ上、カードが必要になりますので、HOTEL Kのスタッフにサネイトラベルに行くと伝え、セイキュリティ外してもらってください。

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隣国バングラデシュ ダッカの衝撃。

なかなか行く機会がなった隣国バングラデシュ。
3年前にダッカに赴任した大学時代からの友人の帰国が近づきそうなので、その前にと社員研修を兼ねてダッカへ行ってきました。

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私が社員、特にミャンマー人スタッフを連れて行くのは、私が見て感じたことを彼女らに理解してもらい、そして落とし込んで欲しいからです。自国のことは他国から見ないと見れないですし、ミャンマーでの経営の主役はあくまでもミャンマー人。というのがサネイ・ジェイサットのスタイルです。

で、ダッカ。

いやー、いろんな意味で衝撃でした。

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○ダッカの可能性

1億6千万人という人口と英語を母国語としない国としてはTOEFL1位という英語力。
また電気もネットもミャンマーと比べれば雲泥の差でほとんど問題ない状況、家賃も外国人用であっても物価相応に安い。
大学進学率も18%とのことで、大卒人口はミャンマーの6倍いるってことです。
ハングリー精神も旺盛でちょっとミャンマー人とは違うなあと感じました。

世界No.2の縫製工場があるので、本物ブランド品のアウトレットも豊富で格安!
海外旅行で食糧以外で初めてたくさん買い物しました!

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そうそう、こんなにおしゃれな雑貨店があるとは。しかも安いっ。

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女性は今も縫製工場以外ではほとんど働いていないとのことで、ただ女性の進出が最近少しづつ出てきたようで、街中には2時間離れても人だらけですがほとんど男性ですので、これに女性が加わればすごい状況です。

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○想定外な回答

・休みは金・土。土曜日は半日。
・コンピュータ大学は9割が男性。(ミャンマーの真逆)
・ホテルもレストランもバスの中も男性ばかり
・人材採用でもどことも困っていなく、ネットで公募すれば英語人材でも大卒でも500人ぐらいすぐ集まる。
・とにかく英語が皆話せて、発音が聞き取りやすい。しかも人件費が安い。
・停電はほとんどなし。
・日本語検定受験者、N2以上は毎年一桁人数。。。

○あらためて気づいたこと

バングラデシュでできることはミャンマーでやっては勝ち目はない。つまり、バングラデシュでできないことをやること。
英語が抜群のバングラデシュの人は日本を見ないで欧米や中東に向かい、日本へのプライオリティが上がることはあまりないと思われます。
日本語人材や日本への実習生などなど。この辺りはミャンマーに勝ち目があるのかなぁ。と。いずれにしても、今後は人材に合わせた企業がそれぞれの国に進出、分業される流であることをあらためて確信したダッカ視察でした。

○そんな中で一番の気づき。

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日本の最高学府を卒業されダッカに住みつき8年目になる日本人の方へ間抜けな質問しました。
何でバングラデシュで一生暮らそうと思うのですか?
何がいいんですか?大変じゃないですか?

あれっ、思い起こせば いつも私が 何でミャンマー20年近くも住んでいるですか?って 聞かれてる言葉でした。
ミャンマーに住んでる張本人はそんなに違和感もなく・・・。

タイ在住20年の人にとってはミャンマーもダッカも同じみたいです。
当の本人にとっては全然違うんですが・・・。

ダッカの最新スーパーに行って感動したけど、ダッカに住んでいる人にとっては何ともないことで。それはヤンゴンのスーパーで感動されている日本人みたい。ヤンゴン在住者にとっては何でもないことで。

ああ、なるほどなーーーーと これまで感じたことのない感動した ダッカ視察旅行でした。

ヤンゴン日本人学校50年記念祭と今後果たすべき役割。

ヤンゴン日本人学校50年記念祭が大々的に行われました。
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第一部は在校生を中心にし、国立劇場を借り切ってのイベント。

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聾学校や盲学校などの生徒も参加、在校生が編集した過去50年を振り返るスライドショーなど、支えているのは教職員だろうが、一切表に出ず、生徒らが司会、英語・ミャンマー語、日本語を交えた、すばらしいイベントでした。

ヤンゴン日本人学校のすばらしさを改めて実感したイベントでした。

第二部は「石塚まみ」さんの鎮魂ピアノコンサート。

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校長先生から戦争について、石塚さんについての解説があり、そして始まったコンサート。霊感のない私ですが、空気全体がざわつき、そして突然鳥が鳴きだしたり風が吹いたりと・・・すごい雰囲気で感動と一言では表現できないコンサートでした。

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第三部は懇親会。

懇親会の中で少し話してください。と事前に校長先生から依頼されていたのですが、呼ばれていた方々を見てびっくりしてしまいました。
ヤンゴン日本人学校開設当時(50年前)の教員でおられた方、ミャンマーの灌漑アドバイザーとして長年ミャンマー政府のアドバイザーをされていた方、学校校舎建設をされている方、そして私と、すごいメンバーと一緒に、ステージに上がらせて頂きました。

ステージ正面には大使や私もりずーっと長く滞在され学校に貢献されている方を前に、さて何を話そうかと、みなさんはスーツ姿にスピート原稿を持たれていて順番が来るまで思案してました。

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で、私の順番前に、ピィのサンペイさんの話が出てきました。
サンペイさんは、10年ほど前、今回ピアノ演奏して頂いた 石塚まみ さんの番組ロケの際にお会いしていた関係でもあり、私も何度かお会いしています。
石塚さんにとっても印象に残っている方で、それを引き合わせた私がこの場で呼ばれたのかなと ふと思いました。

そして、このロケで思い出されたのは、残留日本兵の吉岡さんのご子息のこと。
ロケハン時では、吉岡さんのご子息は、日本人とも会いたくないしもちろん取材にも出ないということでした。
ところが一転、ロケのときは、そろそろ伝えないと・・・と「自分が日本兵の父親を持つビルマ人として生まれてきて、幼少期から現在までの苦悩」について話されました。
残念ながらそのシーンは放送されませんでしたが、とても印象に残っています。

そのこともスピーチの中で伝えようとしましたが、なぜか途中で言葉が出て来なく、話せませんでした・・・ということで ブログを久々に書こうかと。

来年は戦後70年。すでに戦争経験している人もほとんどいなくなり、番組制作も困難な状況にあります。
語り次ぐべきことではありますが、とはいえ本人から伝えられないのではなかなか伝えていくのあが難しい。

そんなことを考えて、私があのマイクを渡された理由はただ一つ。

「日本とミャンマーの両国関係再構築」

サンペイさんに代表されるようなミャンマーの方は、戦時中から、そして戦後まで90年代後半まで。40代前後のミャンマーの方はまだ数名おられますが、その以前の若い方にはそれらがストップしているように思えます。

今 テレビでは毎朝「おしん」が再放送されています。
ミャンマーで日本人の有名な俳優は誰ですか?と質問したら答えは今でも「千葉真一」「真田宏之」となります。

つまり、ここ20年以上、新しい関係が構築されていないのではと感じます。

「これまでの過去は遺産として、我々若い世代が、次の新しい関係を作っていかないといけない。」

それを言うために私のところに マイクが渡ったのだと感じました。

「前日に参加したのは、国立盲学校の100周年祭。ヤンゴン日本人学校はまだ50周年。これまで50年間は過去の遺産。明日から100周年に向けて、新しく作り上げていきましょう!未来へ!」

そう締めくくりました・・・と思います。ちょっとお酒飲んでからのスピーチでしたので・・・。

最近、私の周りでは、「卒業」というキーワードがついて回ります。

・サクラタワー事務所移転
・GENKY移転
・マッサージ国家資格化プロジェクトのアドバイザー
・15年いたニャウンピンレイプラザからの事務所移転(12月から)
・1年半ぶりに来緬した家族

そして、PTAや日本人会の役員として関わった日本人学校でのスピーチ。

すべてが新しいステージに移行してきている最近の、その集大成という感じの昨晩でした。

ということで、

「まだまだ、やるべきことはたくさんあるから心しておけ!」

と言われたようで

一つ一つ、それらを実行して実績を積み重ね、次の世代に託す。

新たな使命を果たすべく、まだまだ ミャンマーで走り続けたいと思います。

校長先生 本当にお疲れ様でした。

石塚さん コンサート終了後そのまま羽田⇒バンコク⇒ヤンゴン そして そのままコンサートとハードなスケジュールにも関わらず、すばらしいコンサートをありがとうございました。

また一つ、伝説が生まれた夜でした。。。

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「広げよう 世界へ 地球はひとつの家族
輝こう 未来へ 日緬の永遠の絆」

ピィのサンペイさんについてはこちら・・・
http://www.yangonow.com/jpn/magazine/essay/hashimoto/essay01.html

 

チャイナタウンにできたベトナム料理店

チャイナタウンにいつの間にかベトナム料理店ができていました!
ベトナム人経営のホテルに併設していますが、ホテル同様看板は出ていません!

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チャイナタウンのタンゼイの前。Mr.LEE という看板が目安です。


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ベトナムのサンドウィッチ、バインミーもあります!1000チャット。

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もちろんフォー 1500チャット、ベトナムコーヒー 900チャット。

ホーチミン出身のようで、そちらの料理がメインみたいです。
シェフはベトナム人ですので、いわゆる普通のベトナム料理。
これまで3度行きましたが、ベトナム人客ばかりで、ミャンマー人は一人も見ませんでした。
そんなにヤンゴンに来られてるんですねー。

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ほとんどの料理が2000~4000チャットぐらい。
今のヤンゴンだと、とても安く感じます、オススメです!!!

Mr.LEE Vietnam Restaurant
129 Lanmadaw Street, Lanamdaw Township
TEL:01-251069

スタッフパーティー2014 今回もいろいろありました!

半年遅れでようやく開催できたJ-SAT・サネイ・GENKYのスタッフパーティー2014
前回は2013年2月に開催したので1年半ぶり。
J-SAT・サネイ・GENKYで50名だったのが今年は81名。
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現在は家賃高騰もあって、事務所が3カ所、店が2ヶ所 計5ヶ所に分かれており、それぞれお互い顔も行っている事業の詳細もわからないということで、各事業部から現在の事業内容や今後の抱負などをそれぞれ発表してもらいました。
(パーティー1時間前ギリギリに司会担当の Ma MAI HNIN AYE MONの発案により実現!)

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そして、サネイ・J-SATを引っ張る Ma EI KAY THWE KHINE のスピーチ。

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これはよかったですねー。
これからの想い、現状。そしてそこで思い出しましたが、1年半前のスタッフパーティーでワインを飲み、母親に怒られたAPRIL。癌が進行し20歳の若さ急死。交通事故で急死したロンロンさん。いずれも弊社を退職してからの他界ですが、ミャンマーでの命の軽さをあらためて感じました。
そんな彼女らも会場にいて一緒に楽しんでいるようでした。(日本的ですが・・・)

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3ヶ月インターンで頑張ってくれた不動田さん。J-SAT人材紹介の部分や日本語教育でがんばってもらいました。ありがとうございました、そしてお疲れ様でした。

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食事が始まったら、各テーブル入り混じって、写真撮影大会やらお決まりのカラオケ大会!
盛り上がって、「30万チャット争奪じゃんけん大会!」をやる予定が、タイミングを失いできませんでした。

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もう一人のインターンの松永くんはというと・・・視覚障害者同士の夫婦が歌っているのに感動して号泣。いじられキャラなのか、ミャンマー人スタッフに飲まされていました!毎日感動の連続らしく、いいインターン生活を過ごしていると思います。

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最後は、恒例のGENKY軍団の歌。踊って終わりました。


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勤続18年のマベピィ。今年が初めての参加でしたが、50数年の人生で一番楽しかったと感動していました。他にも数名から同様に、生まれて一番楽しい時間でしたと言ってもらえました。

本当に本当に楽しいひとときでした。
皆が楽しんでいるのをみて、幸せな気持ちでいっぱいでした。
ミャンマーでの事業はいろいろ問題はありますし、だまされることもありますが、それでもこの瞬間を思い出したら、すべて乗り越えて行けそうです。

来年は大型バス3台借り切って、ヤンゴン以外の地でスタッフパーティできるよう、がんばりましょう!

ヤンゴンのHOTEL KANKAW(ホテルガンゴウ)がすごい!

ヤンゴンにある日系ホテル「HOTEL KANKAW(ホテルガンゴウ)」

オープン当初は色々ありましたが、開業して一年ということもありサービスも安定してきました。

何と9月末までの宿泊者に対して、到着日に日本食の夕食が無料サービス! されます!

日本食レストランの「鎌倉」もいろいろありましたが、今では美味しい日本食セットメニューが充実していると評判ですが、この夕食がホテル代に含まれているという驚きのサービス。

さらに、最近は朝食が一新されています!日系ホテルということもあり、日本食が豊富。何とここヤンゴンで納豆が朝食に含まれています!

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少しづつですが、ヤンゴンの中級ホテルは増えてきましたが、どこも決めてに欠く状況の中、ここホテルガンゴウはダウンタウンへのアクセスもいいですし、リーズナブルでイチオシのホテルです。

ミャンマーで生産された「こしひかり」がついに入手可能に!

ミャンマーで日本米を作っているという話はよく耳にしましたが、実際はなかなか出てきませんでしたが、ようやく出てきました!

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2013年9月に田植えした日本枚のこしひかり種が、14年1月に集荷、先月7月に精米して流通し始めました!

日本式の作り方を試行錯誤され、安心なお米と新米!
タチバナさん(キンエイエイさん)、お疲れ様でした!そして、ありがとうございます。
イラワジデルタ地帯で日本直輸の鶏糞を使ったり、他の畑の農薬が入らないように工夫したりと、想像を絶するご苦労から生まれた 日本のこしひかり!

ミャンマーに駐在されているだけでなく、日本食レストランを経営されている方にもおすすめです!

日本のお米の新米がヤンゴンで入手できるようになるとは・・・
何せ、先月精米されたばかりで、本当に美味しく感動です!

ご購入、問い合わせは下記のところから。
2KGを4000チャット。10KGを購入すれば無料で配送してくれるそうです。

U-net International Co., Ltd.
Room 102, No.62 Thiri Street
Sanchaung Township
Ph: 09-5185796 (日本語可能)
E-mail: pyathou@gmail.com

アニメーションの制作は今後東南アジアにシフトする(鈴木敏夫プロデューサー)

出勤前にテレビつけてたら、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサー(65)が7日、NHK総合『あさイチ』(毎週月~金曜 前8:15)に生出演

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製作部門をいったん解体する方針を表明した後でいろんな報道が出てましたが、そこで今後のアニメーション界について言及。

「アニメーションの制作は今後東南アジアにシフトする。タイやマレーシア、一部はベトナムですでに制作されているが、今後はそれが加速する。人件費の問題ではなく、アニメ制作をしようとする意欲ある人が東南アジアの人々の方が多い。日本人でアニメ制作をやりたい人は東南アジアに出かけて制作するという時代も・・・」

どの業界もコストではなく、労働意欲や質を求めて外国人人材を活用という時代に突入していきそうです。

ゲーム開発やゲームグラフィック制作関連の会社が狙っているミャンマーで、ジブリアニメの一部を作る時代が来るのもそんなには遠い話ではないですね・・・。

 

貰うより与える方が気持ちいい

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ミャンマーでは誕生日には、プレゼントをもらうのではなく、皆にご馳走します。色々支援をしてもあまり感謝されなかったりもします。日本とは真逆ですから最初は違和感がありましたし、最近ミャンマーに来られた人はわからない感覚だと思います。
功徳を得る機会が得られたから、その機会をつくってあげたって感覚なんですよね。
でも、最近感じ始めたのが、実はもらうより与える方が気持ちいいってこと。
その方がうれしいものなんですね。
これまで言葉では、いろいろ言われてきましたけど、肌感覚でそれを実感するようになってきました。
うちの会社でも、実は視覚障害者支援のマッサージ店、ゲンキーが一番社員の定着率が高い。実は事業の中では最も給料が低く、日曜祝日出勤なんですけど。でも皆に聞いたら、やりがいがあるからこの仕事が好きっていっています。
基本はそこですね~。

昨日は弊社スタッフの結婚式でした。もちろん、ここでも結婚する人がご馳走します。そこは日本も同じですね。