J-SATは25年間ミャンマーにて事業を行う実績と経験からミャンマー進出における

人材支援、市場調査、会社登記等、会社運営をトータルサポートします。

ミャンマーのつぼ~ミャンマーから西垣がお届けするブログ

日本人+α=外国人材 という新しいコンセプトの海外人材活用スタイル

大手コンサルティング会社、株式会社船井総合研究所に関わる6000社の中から、社会への貢献が期待できるグレートカンパニーアワードにて「働く社員が誇りを感じる会社賞」を授賞した新日本ビルサービス。

この会社に4名のミャンマー人技能実習生が着任しました。

約1年前にJ-SATアカデミーに入学した彼女ら。技能実習生であっても日本語会話が不自由ないレベルまで引き上げ、ビジネスマナーを徹底教育してきました。

日本語やビジネスマナーも大切ですが、ジェイサットで大切にしているのは、「日本からミャンマーに戻った後どう過ごすのか?」そのためには「日本で何を勉強して、どう過ごすのか?」それらを実現するために、入学当初から「チューター制」「担任制」を導入しています。

技能実習生といえば、日本で働くことばかりが注目されますが、人生の中で日本で働ける期間は短く、ミャンマー帰国後には30年以上残されています。帰国後の人生設計を明確にすれば日本での技能実習生活も有意義なものになると考えています。

日本語が話せると実習生でもこんなに活用幅が広がるのかと、初日から驚かれた感想を頂きました。

日本人+α=外国人材 という新しいコンセプトの海外人材活用スタイルを提案しています。

 

J-SATアカデミー卒業生がJ-SAT訪問!

今年3月末に日本にある株式会社イングコーポレーションに入社したJ-SATアカデミー卒業生のエンジニア チュエ・ホン・タンさん。

日本では、来日直後から日本語でのコミュニケーションは問題なく、さらに英語もできることから、マレーシアやアメリカの企業と英語でもやり取りし、毎朝の清掃など他の日本人社員の模範ともなる行動もしているそうです。
約5ヶ月経過し、早くもミャンマー出張が命じられ、J-SAT事務所に挨拶に来てくれました。
日本人採用の補充に海外人材ではなく、プラスαを生む新しいスタイルのミャンマー人材活用法!
どんどん進めていきたいと思います!

第7回J-SATアカデミー交流会

年に2回行っている、J-SATアカデミー交流会。今回は第7回になりました。

目的は、エンジニアクラス、技能実習生クラス、介護実習生クラス 職種や学歴が違えど同じJ-SATの仲間。それは日本に行っても、日本からミャンマーに戻っても同じ。同じ目標を立て、同じ苦労をした人しかわからない、J-SATマインドを持つもの同士、将来も助け合うための交流会。

プログラムでは、各クラスの紹介やスピーチコンテスト、そして各クラスの歌や踊りなどの出し物などがありますので、クラス一体となるいい機会になっています。

毎回驚かされるのはスピーチコンテスト。その日本語力もですが、それよりもその内容。

景気が急速に減速する中、大学進学率が10%を切る難関をくぐり抜けたにも関わらず、就職は厳しい状況が続いています。先日も弊校に通う生徒では、唯一の家計を支えていた父親が病に倒れ休学せざるえないなど、生活状況から通えなくなっている状況もまだまだあります。

優勝した生徒のスピーチ内容は、日本の戦後を思わせる、涙を流してしまう内容。これが今の20代前半の若者の現状です。

Aung Thet Win(EN-21) のYouTube Link : https://youtu.be/FlQujeRW6cE

二位の生徒のスピートは、アリババのジャックマーについて。

Ye Lin Htun(EN-22)
YouTube Link : https://youtu.be/LGy9meRZ3MA

三位の生徒のスピーチは、ミャンマーらしい家族愛について。

Shwe Yi Min Nwe(J-2)

YouTube Link : https://youtu.be/xEiFAn0qWig

J-SATアカデミーOBらがミャンマー社会を作ります!

 

ミャンマーに帰ってきた技能実習生とこれから日本へ行く技能実習生

J-SAT Academy(送り出し機関はMIBTI=Myanmar International Business Training and Internship General Service Co.,Ltd. <http://www.mibti.jp/>) は、当初工科大卒のエンジニア中心に日本へ送ってきていましたが、実は少なからず技能実習生として日本へ送ったケースもありました。

その先発隊2名が今年3年間の技能実習を終えミャンマーに帰国。帰国翌日に弊社に来て、日系企業就職の登録を行いました。

彼らは道路建設会社に働きに行き、毎日日本で習得した技術をノートに書き込み、ミャンマーで生かす方法を考えて3年間過ごしてきました。受け入れて頂いた会社からは、親身に技術を伝えて頂き、すばらしい成果をもってミャンマーに戻ってきました。もちろん、日本語も問題なく上達して帰ってきました。

今、ミャンマーでは多くの建設会社ができる人材を求めているところで、彼らはどちらかといえば選ぶ立場にありましたが、研修した道路建設にこだわり、1名は自ら出資もした建設会社で働くことを決意し、インドとミャンマーの国境地帯で道路建設をエンジニアとして参加することにしました。もう一人は日系大手建設コンサルティング会社での仕事が決まりました。

技能実習生といえば、何かと暗いイメージがありますが、きちんとルールに従い、その目的を遂行すれば、きちんとした未来を描くことができますことが証明できました。

弊社では技能実習生コースはまだ1年前に始めたばかりで、ようやく今月一期生が卒業します。来月から技能実習生コースは4期生が入学してきます。

どんな業種でも送り出すのではなく、ミャンマー国内で生かせる業種、そして日本語とビジネスマナーを約1年間しっかり教育して、日本語を使って働くのに問題ないレベルにて送り出す。ミャンマー帰国後の目標を明確にしてから送り出し、滞在中もその目標に向かってがんばる彼らをサポートし、ミャンマーへの帰国後もフォローする。

我々J-SATのミャンマー人送り出しは、中国人やベトナム人など外国人の置き代わりではありません。少子高齢化になった日本人労働者の置き代わり。

ただ単に日本語を話せるミャンマー人を集めて日本に送るのではなく、J-SATマインドを理解したJ-SAT卒業生が日本・ミャンマーで活躍できる場を作る。これがJ-SATアカデミーの役割です。

《ミャンマー・現地採用》激変する国の人と未来を創る日本人スタッフ募集!!

《ミャンマー・現地採用》激変する国の人と未来を創る日本人スタッフ募集!!

私たちのミッションは、
ミャンマーに笑顔を咲かせること。
この国を希望溢れる国にしていくこと。
ひとり1人の夢をもっともっと輝かせる場をつくること。

事業を通じてミャンマーを希望溢れる国にしていく。
それが、わたしたち、J-SATです。

ミャンマーにて、日本では感じることができない成長スピードを肌に感じながら、日本人の役目として、ミャンマーの適切な発展に貢献するサポートを行いながら、自身も成長し成長していく人材を探しております。

※語学条件等は一切ありません。
ミャンマーを希望溢れる国にする国にするという思いに共感し、日系企業とミャンマー人の架け橋となれる方をお待ちしております。

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■仕事内容
日系企業への営業活動
ミャンマー人求職者へ向けたマーケティング
ミャンマー人求職者との面談
ナショナルスタッフのマネージメント

■求める人財の能力
・異文化への理解力
文化背景を素直な心で理解、吸収、発酵させ、自らの具体的な行動へと繋げることができる人財。海外での就業経験も語学条件も一切ありません。

お気軽にお問い合わせください。

問い合わせ先:info@j-sat.jp

【J-SATとは?】
1998年に会社設立後、一貫してミャンマー案件を手がける傍ら、ジェトロプラットフォームコーディネーターや大阪府ビジネスサポートデスク、福岡アジアビジネスセンター、中小機構国際化支援アドバイザー、自治体国際化協会ミャンマー連携事業所などの公的機関のアドバイザーも担当しています。従業員数131名。(うち日本人9名)

 

J-SAT主催 第二回ヤンゴン外国語大学(YUFL)での就職フェア

昨年に続き、J-SATが主催となった日本企業向け就職フェア【第二回ヤンゴン外国語大学就職フェア】を行いました。

ミャンマーに進出している日本企業15社と、ヤンゴン外国語大学日本語学科に所属し、日本企業で働きたい最終学年生31名とフランス語学科など他学科と1-3年生の日本語学科生19名の合計50名が参加しました。

事前にJ-SATの社員が面接を実施、さらに内田クレペリン検査も参加者全員に事前に行っていることもあり、各社真剣な面接が行われました。

同時刻に別教室を使い、個別に詳細な企業説明会も行いました。

参加した企業様からは、参加学生のレベルが高く、一度に日本語人材が多く面接できたと非常に好評でした。

さらには、日本語でミャンマーの若者に面接などを通して様々ヒアリングができ、各社にとっては将来の顧客になる企業も多く、マーケティングという意味合いでもとてもよかったと評価頂きました。

まだまだ学校卒業後就職活動を行うことが一般的なミャンマーにおいて、J-SATでは数年前から在学中に就職活動するよう学生らにはセミナーやインターンシップなどで促しており、今回のような在学中に就職を考える機会を、今後も全国の大学で展開していく予定です。

ゲンキー3号店はサクラタワーから徒歩3分!

2009年3月に営業開始した視覚障碍者が働くマッサージ店『GENKY(ゲンキー)』
ゲンキーの成功により、当時視覚障碍者マッサージは、盲学校内にある2店舗のみから、今や全国に広がり100店舗以上になりました。

ゼロから作り上げた立役者の二人が今回、独立して店舗を運営することになりました。

この二人は店舗を引っ張って来ただけでなく、マッサージ訓練センターでも積極的に指導に関与し、多くの視覚障碍者に技術を伝え、社会で活躍できるよう育成してきました。

今回ゲンキーの名前で独立したいと申し出があり、暖簾分けし頑張ってもらうことになりました。店舗は彼らが捜してきました物件。サクラタワーから徒歩3分!
とても便利な場所にあります。

店舗名は Genky Kyal Sin.
名前の由来は、オーナー2名の名前、Thet OO と San Lin Aung の 『S』 と 『T』 から来ています。そこから『STAR』。ゲンキースタッフの希望の”星”。

 

店内は清潔で技術は保証済み。ダウンタウンで働く方々やダウンタウンにお越しの際はぜひお立ち寄りください。

 

営業時間:年中無休(09:00-21:00)
住所:No.241,35st. Upper Block.
電話:09-427273939

 

本年もジェトロヤンゴン・プラットフォーム担当させて頂きます。

ジェトロは、中小企業の皆様のビジネス展開へのご関心が高い国・地域(16の国・地域で22カ所)に「中小企業海外展開現地支援プラットフォーム」を設置しています。

本年もヤンゴン・プラットフォーム担当させて頂くことになりました。

ジェトロ・ヤンゴン事務所では、当地の官民協力機関等と連携した支援プラットフォームを整備・構築し、ミャンマーにおける中小企業のビジネス展開をサポートします。

サイト:https://www.jetro.go.jp/jetro/overseas/mm_yangon/platform.html

 

 

J-SAT主催セミナー1000名以上が参加!

毎年恒例のJ-SAT主催キャリアセミナー。今年は「交渉術」について。

ミャンマー特有の交渉術について、それぞれの業界から3名の講師をお迎えしセミナーを行いました。
まずはU Aye Kyaw氏。誰もが知る人事関連教育の第一人者でミャンマー政府への指導も行っています。そして、年収2000万円を誇る企業で働くミャンマー人人事責任者として、おそらく頂点に立ち、ミャンマー人の憧れDaw Shwe Yee女史。最後に、叩き上げの事業家Aung Thamardi Gold and Jewelley Shop 創業者のU Aung San Win氏。

それぞれ違うキャリアを歩んできた経験からくる「ネゴシエーション(交渉術)」
概論が多いセミナーにおいて、具体的で実践的なセミナーはミャンマーの人々にも響いたようで、参加者の97%がアンケートで今後の自分の仕事に役に立つ と回答していました。

会場は1000名近くのミャンマーの若者が集まり、最後は立ち見も出るほど大盛況。きちんと事業部だけで運営管理、仕切れるようになり、J-SATにとっても、貴重な社員教育の場になっています。

さて次回はどんなメンバーでどんなセミナー内容になるのか。企画案が楽しみです。

 

「みんなの日本語」ミャンマーで発売決定!

1998年に出版されて以来、日本語教育の定番としてロングセラーの『みんなの日本語 初級Ⅰ 』(スリーエーネットワーク社)。この本のミャンマーにおける出版許可を、J-SAT社が取得し販売することになりました。

日本語を勉強する外国人の90%以上の人が利用するというテキスト。ミャンマーでは、残念ながらコピー本が氾濫し、多くの人が白黒コピー教材を使用しています。中には、日本語学校がコピー教材を販売しているところさえあります。

日本語を勉強する一番最初の教科書がコピーの白黒海賊版。この環境を是正できればと長年感じていたところのこの話。今回、スリーエーネットワーク社のご厚意で、『みんなの日本語』がミャンマーで低価格で販売できるようになったことから、一気にコピー版を廃絶することが可能なると考えています。

白黒コピー版は現在、2000~3000チャットで販売されています。それを、コピー版にはない解答集やCDが付き、しかもカラー。それで4000~4500チャットで販売できることになります。海賊版に100円プラスすればオリジナル教材になります。

実は私が1998年に独立した際、最初に行ったのは出版事業でした。
当時は軍政で検閲は厳しく、月刊誌とはいえ、申請から出版まで約2ヶ月かかり、検閲で削除されるところも少なくない、という時代でした。
出版事業を行った理由は、ミャンマーでは情報が限られ、国の発展には情報が必要と感じたためでした。残念ながら、経験も知識もなく、敢え無く出版事業は諦め、別の事業に切り替えたのですが、設立20年を経て、原点である出版事業が今回できることになったことは、感慨深いです。
しかも、前回は日本人として出版ライセンスは取得できなかったのですが、今回は情報省から特別に外国人名義で(初めて)出版ライセンスを頂くことができました。

ミャンマーでは日本語勉強する人が急増している中、まだまだ教材が少ない状況。これを機に、オリジナル日本語教育教材をミャンマーにて普及させていければと思います。