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ミャンマーのつぼ~ミャンマーから西垣がお届けするブログ

公立校の先生の話。

昨日、ヤンゴン郊外にある公立学校の先生にお会いしました。
6月2日から新学期が始まるのに備え、現在はその登録手続きに親や生徒が訪れているそうです。貧困層も多く住む地域の子供が通う学校で、多くの家が潰れたと聞いていたので、学校に通えない子供が増えているのかと聞いてみたところ、家は潰れても粗末な家なのですぐ直しているし、もともと物もほとんどなく、家は崩壊したがこの学校区域周辺部で死者はほとんど出ていない。授業料も年間5000チャット(500円)ぐらいあれば通え、以前からそれほど収入がない家庭が多いので、ほとんど平時の時と変わらないのではないかとの話でした。(平時の時から大変な生活が続いていますので…。)
ただ、小学校から高等学校まであるマンモス校なので、実際6月2日からの授業が始まらないと本当のところはわからないということでした。
校舎もかなりのダメージを受けたが、多くの他の場所と同様、ミャンマーのローカル企業が中心となって修復作業を行っている最中とのことでした。
そういえば、この地域で飢餓状態で、、、と叫んで義援金を募っていたNGOがあったなあ。
赤痢、コレラ患者報告も含め、平時との比較でないと正しくサイクロン被害を報告できないのではないでしょうか。

サイクロン被害の募金の行方と使われ方

人道支援を受け入れとの発表とは逆に、現場では25日から援助活動への取り締まりが一層厳しくなっているようです。
被災地へ継続的に支援を行っている団体からは、支援活動を行えば行うほど、支援の必要性が増し、厳しいところが次々出てくると聞いています。
ところがあるNGOは募金を募集し寄付して頂いているにも関わらず、緊急物資は一旦終了し学校を建設するのこと。本当に現場に入り支援を行ってきたのか疑いたくなります。
多くの学校が潰れているのは現実ですが、長期的に物資の援助が必要な状況で市民ボランティアの活動には限界があり、そこは義援金や募金を受け取ったNGOの出番だと思います。
学校建設は名前も残りますし予算も出ますので、すぐそのプロジェクトに走るのはわかりますが、、、。
建物建設は政府や大きな財団お決まりプロジェクトなのですから、NGOは大きな団体が行えない活動を目指してもらいたいものですし、そう願っている募金者も少なくないと思います。
ドナーのため、自分たちの活動を誇示するために活動するのではなく、本当に現場で求められているものに貴重な善意の募金を使ってもらいたいと切に願う次第です。

サイクロン被害からの復活。

ヤンゴンの我が家にも数日前電気がきました。電圧は400Vぐらい。どことも電気が最初に来てから安定するまで数時間から数日かかっているので、電気が使えるようになるのも時間の問題です。
多くの木が倒れてしまった庭ですが、ふと生き残った庭の木を見上げると、もう葉が復活していて緑色になっていました。直後はほとんどの葉が吹っ飛んで木の枝しか残っていなかったのですが、自然の力のすごさをあらためて感じました。
*私達家族はサイクロン後サービスアパートに引越し生活しています。

被災地現在の状況

ヤンゴン郊外だけでなく、実際被災地へ物資を送っている団体の情報です。
ボーガレーなど大きな街は、軍及び国から指定された大企業(ボーガレー、ララピュタはエアパガンのHtooが担当など)が連日物資を送っています。問題なのは都市間にある被災した村。ここにはヤンゴンからのボランティア、援助で米など配られていますが、厳しい状況が続いています。とはいえ、街へ軍なども少しですが、道に米など少量ですが落としていっているようです。
幹線道路から奥に入ったり、島にある村など、全く救援物資にありつけてないところもまだまだあるようです。一昨日も連日ココナツを食べてしのんできたが、厳しくなったのでと、幹線道路に近い場所に来た村人もいたとのこと。
現時点では、食べ物がないので暴動が起きたという話も聞こえてこなく、援助がない村でも村を出て移動すれば食べ物にはありつける状況にあると想像できます。
ただし、これは現在の話で、備蓄していた米、田畑がやられているので、今後数ヶ月の彼らの収入は厳しいです。現在は市民ボランティアによって届けられている食料も多いと思われますが、国民も毎日の生活があるので長期間の援助は難しく、第三者機関からの食料援助がないと厳しい状況が続くと思われます。とにかく継続的な援助が必要になってくると思います。
今は学校の問題。政府が学校を建て直し再開させる。学校の建て直しが間に合わない場合は僧院も使うとのこと。ただし、それらの多くが現在避難場所に使われているので、今後どうしていくのか住民は心配しているようです。
政府は孤児院をいくつか作ると言っていますが、孤児はもちろんのこと、両親が健在でも収入が絶たれている家族も多く、子供たちが学校に通えるような援助も大切になってくると思います。

サイクロン来襲、その後の援助活動2

国際機関、ミャンマー大手企業による救援活動とは別に、もともと現地で活躍していたNGO団体もできる範囲での援助活動を行っています。
いくつかの報告があがっていますが、その温度差を感じずにはいられます。
あるところでは、「飢餓の状態」と訴え、報道では「明日からどう生きていけばよいか?」と泣いている映像。一方で、「今すぐ危険という悲壮感は見られず、雨の中沿道に立ち、子供達はお腹を空かしながらも遊んでいる」という報告。
私が知る限り後者の方が被災地奥地へかなり入り込んで活動しています。
私の勝手な想像ではありますが、これは普段の生活・活動スタイルから、ミャンマーの貧困層の基準の違いにあるのではと感じています。後者のNGOは普段から水、電気のない場所で生活し活動をしているので、ミャンマーの貧困層の現状を普段からよく捉えているのではないでしょうか。
少なくとも、援助のお金が現地外国人スタッフの給料や、住居費、事務所費に使われていないことを祈る限りです。

サイクロン来襲、その後の援助活動

ブログのアクセスが急に増えたからか、更新ができずにいましたが、ようやく復旧いたします。
サイクロンが来襲し、もう20日が過ぎようとしてます。
様々なところで報告されている通り被害は甚大で、人々の生活そのものを変えています。国民皆で救援活動を行っているという状況で、見た目では程度は落ち着きを取り戻していると感じます。
まずは目の前の食料、避難場所の確保、健康の維持になりますが、生活根本を変えられた被災者への援助活動は、いかに継続的に続けられるかが大切だと思われます。
学校の進学を諦めた子供達、収入の見通しが立たない被災者など、短期的な救援活動ではなく、長期的視点にたった、継続した援助が求められています。

ヤンゴンの状況

先程弊社のスタッフからダウンタウンの一部に電気が来たとのことで、水も少しづつ場所によっては出るようになってきました。
ヤンゴン環状線は復旧し、また、市内バスへの燃料配給もはじまりだしたようで、復旧作業がすすんできています。
いくつか信号機がついているのを見かけました。よくみるとソーラーパネルがありました。
被災地以外へは高速バスが通常通り運行されていますので、ヤンゴンに限って言えば物資がなくなることはないのではないでしょうか。
ただ、ヤンゴン郊外や南部被災地はまだまだ厳しい状況が続きそうです。

サイクロン


今もヤンゴン全域で停電で復旧のメドはたっていません。
一昨日は空襲の後のような状況で悲惨な状況でした。
写真は私の自宅を出たところのものですが、どこに行ってもこのような光景が続きました。
とにかく、国民が一日も早く以前の生活が送れるようになることを祈る限りです。
2日前の出来事ですが、1ヶ月前に起こったことのように感じます。。。

ガパリビーチ(Ngapali beach)

10日間に渡る長期正月休暇が終わりました。
幸か不幸か今年は期間中に仕事もなく久しぶりに我が家恒例のガパリビーチでのティンジャン(水祭り)を過ごしました。
安くて新鮮なシーフードは健在で、充実した休暇を過ごすことができました。
いくつか新しいホテルも建ったようですが、それぞれがビーチ沿いの立地し、また離れているため、素朴なビーチリゾートはまだ当分の間は楽しめそうです。

ある寺小屋の試み

弊社で米など不定期で寄付させて頂いている僧院があります。
この僧院では周辺の貧しい人々のために、無料で僧院校、いわゆる寺小屋を行っており、約1000人の子供たちが学んでいます。すべて授業料は無料です。
また、僧正自らがタイ・ミャンマー国境などの地域を中心に1年に一度赴き、孤児や貧しい子供を引き取り、ヤンゴンで衣食住の面倒を見ています。
始めてから10年ほどたち、今では約400名の子供達がここで生活しています。
ミャンマーには寺小屋が多くありますが、立ち上げ管理している僧正の跡継ぎ不足が目立ち、多くがその問題に直面しています。実際、そのことを気づいていても、仕方ないとあきらめているところも少なくありません。
この僧院の、他と異なりすごいところは大きく二点あります。
一点目は、運営費を寄付金主体から脱却するため自ら確保するシステムを積極的に模索しているところにあります。
400名に膨れ上がった子供達の食費だけでも、1日米100キロ費やします。そこで、寄付に頼らず食事を確保するため、昨年から寄付金を僧院名義で農地につぎ込み始めました。今回結果を確認したところ、40エーカーあれば米だけでなく、食費やボランティアへの費用までまかなえる可能性があることが判明しました。1エーカー300ドルほどですので、それほど難しいハードルではなさそうです。
二つ目は、ここで幼少期から預かった子供達を地元も村へ戻すことを前提にしています。ここで学んだ子供が先生となり、地元へ戻り、わざわざ学問を受けるためヤンゴンまで出てこなくよくすること。そして、医者の資格は難しいので、看護学校に通い、病院で勉強し、村にはほとんどない医療というものを、持ち帰ってもらおうとしています。今年から2名、村へ戻っているそうです。
僧正は、学校など建物を寄付する人は多いのですが、現実には食べ物、運営費に四苦八苦することが多いのす。。。と。
この僧院の取り組み、全国に広がればいいですねえ。