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ミャンマーのつぼ~ミャンマーから西垣がお届けするブログ

ビルマの竪琴

バンコクで映画「世界の中心で、愛をさけぶ」のDVDを買ってきました。見終わった後、評判はどうだったのかなあと思いインターネットで調べてみると、日本の実写歴代成績ベスト10というのがありました。
1位は「踊る大捜査線2」で173億円、2位「南極物語」110億円、3位「子猫物語」、「世界の中心で、愛をさけぶ」は7位で84億円でした。驚いたのは8位「ビルマの竪琴」59億円とありました。
今だにミャンマーで思い浮かぶベスト1は「ビルマの竪琴」といわれる人が少なくないことの理由がわかりました。この映画そんなにヒットしていたのですね!!!

橋田信介さん

TBSが8月15日にスペシャルドラマで昨年5月にイラクで銃撃されて亡くなられたジャーナリスト橋田信介さんの物語を放送するという記事を目にしました。
ミャンマーにも深く関わってこられ、ビルマ残留日本兵の方々への年金支給については先頭に立って問題提議され実現されたと聞きます。昨年5月のイラク取材の後はミャンマーに来られる予定だったという話も耳にしました。インレー湖がとても気に入ってられてたそうです。

Ma San Myint (まさみさん)

今も深く心に焼き付いているミャンマー人女性Ma San Myintさん79歳。(続けて読むとまさみさんと日本女性の名前のようになります。)2年程前、ある番組取材がきっかけでモールミャインで知り合いました。戦時中彼女が16歳の時日本兵と恋に落ち結婚。現在3人の子供がいます。3人目の子供がまだお腹の中にいる時戦況が悪化し、夫は3人目の子の名前をつけ、必ず戻るといいタイへ向かったそうです。
その後夫は戻られず、彼女の母親はまさみさんが20歳のときに子供と一緒に2階から転落、子供は助かり母親は帰らぬ人となり、医者である父親とともに子供を育てあげました。取材中、彼女はあらゆる質問にも涙一つなく毅然と答えられ、夫は現在まだ帰ってこないが子供3人がいるので幸せです。「そういう時代だったから」と夫や日本に対しては一切不平不満を話されませんでした。
取材が終わり取材班が出て行った後ポツリをこう話されまた。「辛い人生だった‥」そして溜まっていたものが噴出したように号泣されました。

DVDレコーダー

自宅ではタイのUBCチャンネルを見れるよう設定しています。
4歳の娘が幼稚園に行っている間に放送されるNHKの「お母さんといっしょ」や、アニメチャンネルで放送されるハムタロー、ピングーなどを録画しようとDVDレコーダーを購入しようと思いヤンゴン中を探しましたが見つかりませんでした。そこで先日日本に一時帰国した際ハードディスク付DVDレコーダーを購入してきました。
ところが、、、自宅でそれをセッティングして唖然としました。どうやっても白黒でしか録画できません。理由を考えたのですが、UBCはPAL方式で放送されているので日本のNTSC方式のDVDレコーダーではきちんと録画できないことのではと気づきました。テレビやビデオデッキはこちらで購入しているのでマルチ方式になっているので気づきませんでした。
仕方ないので今はビデオで録画、それをハードディスクにコピーして使うことにしました。まあそれなりには便利なのですが、、、。

戦前にあった日本人経営の写真館

戦前ビルマ国内にあった日本の写真館を探したことがあります。メモした紙を忘れてしまい正確な数字は忘れてしまいましたが、確かヤンゴンに5件、マンダレーに3件、タウングーに1件、ピィに2件、パテインに1件、モールミャインに2件ぐらいだったような、とにかく結構たくさんあるその数字に驚いたのを覚えています。
戦前ビルマ国内では日本の写真館は品質が高いと評判だったそうで人気があったそうです。今おられる多くの老人に聞いてみましたが皆そのように話されています。
(写真提供:島村 浩さん 戦前タウングーで大熊さんが経営されていたニッコウ写真館)

大熊幾代さん

戦前タウングーでニッコウという写真館を経営されていた大熊さん。2年前89歳という年齢にも関わらず、夜便で到着してすぐビールを飲んでおられた姿が目に焼きついています。

戦前、ビルマへ出稼ぎに来る日本人は多かったらしく、マンダレーには2000人程の日本人がおられたそうです。(現在ヤンゴンには約500名ぐらいの日本人がいると言われていますので今の4倍の人数です!)

カレン族のメイドが家事は一切してくれるので連日イギリス人や日本人仲間でダンスしたり昼間からビール飲んだりマージャンしたりして楽しかったと、つい最近の出来事のように話されていました。ビルマでお金を稼いで世界一周して日本に帰る予定が戦争に突入、混乱の中写真館を従業員に渡し日本へ逃げ帰ったそうです。
昨年大熊さんは他界されました。ご冥福をお祈り申し上げます。
(写真提供:島村 浩さん)

ミャンマー国際航空

昨日までバンコクに行っておりました。今回はミャンマー国際航空のキャンペーンチケット(99ドル)を利用し数年ぶりにミャンマー国際航空に乗りました。驚いたのはミャンマー人乗客数の多さ。80%以上はミャンマーの方々でした。
最近、ミャンマーでは以前よりも格段にミャンマーパスポートが取りやすくなりましたので、その関係もあるのかなあ、とふと感じました。

ラジオ出演

先程、TBSラジオの「ストリーム」(平日午後1時から3時半)という国際ジャーナリストの小西克哉さんとDJの松本ともこさんがパーソナリティを務める情報番組に出演し、10分間ほど、ミャンマーについてお話させて頂きました。
6月28日の放送は、特番形式で「150分バカニュース世界一周スペシャル」と銘打ち、世界各国からバカニュースをレポートするということで、中々お話するネタが見つからず四苦八苦しました。
苦労話や真面目な話ならいくらでもあるのですが、バカッぽい話というのはミャンマーでは本当に難しかったです。とにかく無事終了してひと安心です。

映画「True Love」

6月17日に封切りされた「True Love(英語名)」。日本でロケが行われた話題の映画でミャンマーでは初めてとなる英語字幕と日本語字幕がつけられています。先日私も見てきました。
この映画の企画そして脚本は1988年ミャンマー国内の民主化デモで日本へ逃れ、難民認定第一号を受けた「ミャミャウィン」さん。彼女については賛否両論ありますが、今回それは置いておいて、長年日本で生活している彼女が脚本したこともあり、日本を扱う映画にありがちな、日本人から見ておかしいという場面はほとんどなかったと思います。
映画では「ミャミャウィン」さんが日本滞在中にお世話になった日本の人たちがエキストラ役で登場し、舞台も彼女の住んでいた伊豆を中心に展開されます。また、ミャンマー人女性と恋に落ちる日本人役は「ミャミャウィン」さんの息子が演じています。彼は日本人でミャンマー語は全くわからない設定で、片言ミャンマー語で会話し会場に笑いをもたらします。彼の現在の職業は俳優。ただミャンマーではまだまだほとんど知られていない(売れていない)俳優で、日本で育ったということもあり日本人のような日本語を話されるので、多くのミャンマー人は日本人だと思っているようです。
ストーリーは出稼ぎで日本にて働く父親を娘が日本を訪ねます。そこで父親は昔訳ありで別れた彼女に再会、娘は保証人になってくれた日本人社長さんの息子と恋に落ちます。
そして、最後は水戸黄門さんが印籠を出すように、ミャンマー映画ではお決まりの「主人公が死ぬ!」という映画展開になり、あっという間に父親が死んでしまい、恋も終われせ娘はミャンマーに帰ってジ、エンド。
ストーリーはともかくミャンマーと日本の交流を深める映画として、それぞれの文化や景色、習慣等をおり交ぜながら、ストーリーは展開していきます。
映画が封切りされた初日は国営のミャンマーテレビ局もかけつけ、ニュースで大きく報道されました。私も映画館で見終わった人々にどうしてこの映画を見にきたのですが?と聞いてみました。すると最も多い答えが日本で撮影したから。でした。普段映画を見ないという人も日本を見たいからという理由で見にきている人も結構おられました。
少しの情報しかなかったミャンマー人が日本でどういった生活しているかが、わかったのでよかった。という意見が結構ありました。日本は彼らにとって出稼ぎの場所としても憬れですが、詳しい情報はなかなか入らず、知っているのは鎌倉の大仏と富士山といったところです。そんな中、ストーリーにお寺がたくさんある、祭りがある等ミャンマーと共通する文化等を紹介し、それらが共感を得ていたようでした。

娘の一時帰国

先月、4歳になった愛娘が2年ぶりに日本に帰国しました。彼女の一生のうちミャンマーで過ごす時間の方が圧倒的に長く、日本に帰ると言って、『日本にはお寿司があるの?』と、トレーダースとグランドプラザにしかないと思っている日本についての知識レベルです。日本についた当時は、自動で水が流れる洗面所や自動改札など驚きの連発で最初の2日間ぐらいは呆然と過ごしていました。極めつけは1週間ぐらい経って、『何でこの家は停電がないの?』でした。
ミャンマーが彼女にとってスタンダードで、風呂の水を飲んでもお腹は壊さず、地方に行っても、地元のご飯を白ご飯のまま何もつけずバクバク食べている娘ですが、あまり日本に慣れてしまうのも困りものと親として少々心配しています。