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ミャンマーのつぼ~ミャンマーから西垣がお届けするブログ

インパールへの道

インド国境でのインパール作戦での取材では予定していたいくつかの村は時間的な理由から取材できませんでした。
ただこの話を知人に話したところ、「それは、取材を受けいている霊魂がこの村はまだ入らない方いい、もしくは、それなりの僧侶が来てお経をあげてから入るように」ということでないかと話していました。
そうえいば思い当たる節があり、取材中は山岳部で凍えるような寒さの中、地元の人がありえないというほど長時間晴れわたったり、行けなかった村はまさしくイギリス軍と死闘を演じた村であったりしました。

新鮮アボガド

アボガドを見ると、パガンから悪路10時間、チン州南部の街でミンダに着いた時に飲んだ、アボガドのフレッシュジュースを思い出します。
ミンダの街では街中にも数多くのアボガドの木があり、新鮮なアボガドを食べることができます。ヤンゴンで売られているアボガドとは雲泥の差。新鮮だとこれほど違うのかというくらい味が違います。次は醤油で採れたてアボガドを食べたいなあと、アボガドを街角で売られている見る度に思い出します。
是非一度、採れたてアボガド食べてみて下さい!

ピャダリン洞窟

1万年前の壁画が残っているピャダリン洞窟。
途中悪路で雨季や雨期明けは行くことのが困難な場所ですが、乾季ならマンダレーから日帰りで行くことが可能です。
途中1時間程山道を歩かなければならず、なかなか辛い道のりですが、鍾乳洞が2つ、そして今では非常に見にくいですが、1万年前に書かれたという壁画も残っています。
しかし、何故こんなところに…とつい思っています場所ではあります。

引越し その2

引越しの話題で、ミャンマーの家は家具付という家はほとんどありません。もちろんありますが、多くが部屋だけ、コンクリート状態というのもあります。
ちなみに今の弊社の事務所はコンクリート状態でしたので、電源スイッチから電灯、床等すべてこちらで行いました。
そういえばカベは自分達でペンキを買ってき塗っていたのを思い出します。
この事務所もあと2ヶ月ほど。現在6階にありますが、この事務所の家主が定年退職を向かえ、ここに住むとのこと。この建物はほとんど停電がなく、ここ1年を通じても、停電があってもしばらくすると復旧します。そのため、なかなか住民が出て行きません。
今回は運良く真下の5階を借りることができました。2ヵ月後には事務所を5階に移します。

引越し

最近自宅を引越ししました。事務所は7年前に現在の事務所に移転しその後移動したことはないのですが、自宅は1~2年毎にコロコロ変わっています。毎度ながら引越しは一苦労。事務所が卸し業者が集まる建物ということもあり、労働者はたくさんいます。
いつも使う労働者グループとトラックを借り切り、毎度のメンバーで引越し、さすがに疲れます。荷物も9年分あるのですが今回はいくつか事務所倉庫に置いておくことにしトラック5往復でした。確か前回は7往復だったような…。
もう引越ししないで済むように願う限りです。

月刊トークス

最新の本を読むのが困難なこの国において、とても役立っているのがこの「月刊トークス」。
話題のビジネス書4冊をピックアップして、それぞれの要点を朗読したものがCDで送られていきます。
検閲がなく郵便局まで取りに行く必要がなく、直接配達してくれるというのがまた嬉しいところです。
株式会社トークス http://www.talksnet.co.jp/

仏像のお土産

いつもお世話になるお客様に買ってきてもらった奈良の大仏。
この国でお世話になった人にお礼を渡す時、最も喜ばれるのが金の仏像。もちろん仏教徒の人でした喜んでもらえませんが、仏教徒の人で喜ばない人はいません。
奈良の大仏といえば金色ではありませんが、ミャンマーの人へは金色でなければなりません。
外国人旅行者が多く訪れる鎌倉はお土産用の金色の大仏のバリエーションが多いようですが、奈良ではあまり種類はないようです。まあ日本観光客が金色の奈良の大仏を買うということは想像が難しいので当たり前といえば当たりまでなのですが…。
ミャンマーで日本の大仏といえば鎌倉が一般的です。しかし関西人の私としては、やはり奈良の大仏も知って頂きたいところです

15軍司令部

インパール作戦の中心となった15軍司令部として使われていた建物です。日本軍が作る前はイギリス軍が司令部として使用していました。
現在は将校学校として使用されており、戦時中とそれほど変わらない状態で今も現役で使用されています。
ピンウールイン(メイミョ)にありますが、軍の施設の内部にありますので一般者方が見ることは難しいかもしれません。

終わらない戦争

サンペイさんが番組「絵手紙と郵便兵」で呟いた一言。「俺にとってはまだ戦争は終わっていないんだ。」
日本ですと毎日が忙しいですし、戦争の体験をした話というのは自らの意思で求めないと入らなくなっていますが、ここミャンマーで生活すると生活の一部として戦争関連を感じます。
サンペイさんも近年病に倒れ体調不良で、戦争体験者の高齢化が進んでいます。後世にそして日本で生活する人々にこれらを伝えていかねばと強く感じます。

マウンテン大佐

93歳という年齢にも関わらず、今でも頻繁に国内旅行に出かけられるマウンテン大佐。ビルマ独立義勇軍のメンバーで、戦後日本の遺骨収集にも尽力を尽くした功労者。
「アウンサン将軍らとともに日本に行く予定だったが、ちょうどヤンゴンにいなく一緒に行けなかった」とつい最近の出来事のようにお話されます。
先日も市内を案内してあげよう。と、ヤンゴンに残る戦時中の建物など説明して頂きました。
友人を紹介するということで大佐と一緒にBIA本部があったという今に住む友人を訪ねましたが、すでに他界されていました。友人の息子と戦時中の話をしていましたが、通訳していた弊社スタッフも、学校で習った人物が次々出てきて皆それらが知り合いで、つい最近の出来事のように話すというすごい会話に驚いていました。
戦時中ある程度の地位にあった方は90歳以上になっており、なかなかこういった話を直接お聞きする機会もなくなってきました。今のうちに色々話を聞いておかねば!