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ミャンマーのつぼ~ミャンマーから西垣がお届けするブログ

引越し

最近自宅を引越ししました。事務所は7年前に現在の事務所に移転しその後移動したことはないのですが、自宅は1~2年毎にコロコロ変わっています。毎度ながら引越しは一苦労。事務所が卸し業者が集まる建物ということもあり、労働者はたくさんいます。
いつも使う労働者グループとトラックを借り切り、毎度のメンバーで引越し、さすがに疲れます。荷物も9年分あるのですが今回はいくつか事務所倉庫に置いておくことにしトラック5往復でした。確か前回は7往復だったような…。
もう引越ししないで済むように願う限りです。

月刊トークス

最新の本を読むのが困難なこの国において、とても役立っているのがこの「月刊トークス」。
話題のビジネス書4冊をピックアップして、それぞれの要点を朗読したものがCDで送られていきます。
検閲がなく郵便局まで取りに行く必要がなく、直接配達してくれるというのがまた嬉しいところです。
株式会社トークス http://www.talksnet.co.jp/

仏像のお土産

いつもお世話になるお客様に買ってきてもらった奈良の大仏。
この国でお世話になった人にお礼を渡す時、最も喜ばれるのが金の仏像。もちろん仏教徒の人でした喜んでもらえませんが、仏教徒の人で喜ばない人はいません。
奈良の大仏といえば金色ではありませんが、ミャンマーの人へは金色でなければなりません。
外国人旅行者が多く訪れる鎌倉はお土産用の金色の大仏のバリエーションが多いようですが、奈良ではあまり種類はないようです。まあ日本観光客が金色の奈良の大仏を買うということは想像が難しいので当たり前といえば当たりまでなのですが…。
ミャンマーで日本の大仏といえば鎌倉が一般的です。しかし関西人の私としては、やはり奈良の大仏も知って頂きたいところです

15軍司令部

インパール作戦の中心となった15軍司令部として使われていた建物です。日本軍が作る前はイギリス軍が司令部として使用していました。
現在は将校学校として使用されており、戦時中とそれほど変わらない状態で今も現役で使用されています。
ピンウールイン(メイミョ)にありますが、軍の施設の内部にありますので一般者方が見ることは難しいかもしれません。

終わらない戦争

サンペイさんが番組「絵手紙と郵便兵」で呟いた一言。「俺にとってはまだ戦争は終わっていないんだ。」
日本ですと毎日が忙しいですし、戦争の体験をした話というのは自らの意思で求めないと入らなくなっていますが、ここミャンマーで生活すると生活の一部として戦争関連を感じます。
サンペイさんも近年病に倒れ体調不良で、戦争体験者の高齢化が進んでいます。後世にそして日本で生活する人々にこれらを伝えていかねばと強く感じます。

マウンテン大佐

93歳という年齢にも関わらず、今でも頻繁に国内旅行に出かけられるマウンテン大佐。ビルマ独立義勇軍のメンバーで、戦後日本の遺骨収集にも尽力を尽くした功労者。
「アウンサン将軍らとともに日本に行く予定だったが、ちょうどヤンゴンにいなく一緒に行けなかった」とつい最近の出来事のようにお話されます。
先日も市内を案内してあげよう。と、ヤンゴンに残る戦時中の建物など説明して頂きました。
友人を紹介するということで大佐と一緒にBIA本部があったという今に住む友人を訪ねましたが、すでに他界されていました。友人の息子と戦時中の話をしていましたが、通訳していた弊社スタッフも、学校で習った人物が次々出てきて皆それらが知り合いで、つい最近の出来事のように話すというすごい会話に驚いていました。
戦時中ある程度の地位にあった方は90歳以上になっており、なかなかこういった話を直接お聞きする機会もなくなってきました。今のうちに色々話を聞いておかねば!

終戦記念日

今日、8月15日は終戦記念日。ミャンマーにいると戦争のことが身近に感じられ、様々考えさせられます。
最近ミャンマーでは歴史の授業で、あの戦争をどんなふうに教えているかを取材し、教科書にどのように記載されているのかを見ていき、その検証として、当時を知るお年寄りにインタビューしていきました。
現在ミャンマーでは第二次大戦の日本軍絡みについては、8年生と10年生の歴史の時間に教えています。8年生では3ページほどに渡って記されております。(ちなみに日本ではこれらは1行だとか!)数年前まではもっと詳細に、また日本軍についての悪評も記載されていたようですが、現在は悪評については一部残っていますがほとんど姿を消しています。
『戦争というものはそういったものなので、事実は事実として伝え、それらは過去のものとして未来のためになるよう教えていくべきである』と役人から教師、お年寄りなど多くの方々が話されていました。
ちなみに、植民地支配をしていたイギリスに対しても植民地時代に街を整備し国の基礎を作ったのはイギリスというイメージが強く、多くの人がそれを信じているように感じます。今でもほとんどのミャンマーの人々が最も憧れをもつ国はイギリスです。次にアジアで成功した日本になります。日本かイギリス、どちらに行きたいかと問えば、日本語がペラペラのうちのスタッフでもイギリスと答えます。
大げさかもしれませんが、これら未来を重点に置いたこの国の人々の戦争に対する考え方が世界の人々が実践できれば世界平和に繋がるのではと、この国の人々を見習う必要があるのではと強く感じます。

ミャンマーの医療現場

国際医療奉仕団ジャパンハートのブログが出来たという連絡を受けました。ちょうど番組取材でサガインの活動地「ワッチェ病院」にお伺いしてもうすぐ1年。
ミャンマーで9年程生活していますが、見たことがない風景や体験で正直驚き感動したのを今でも鮮明に覚えています。
最近ミャンマーの生活を伝えるブログ等は増えていますが、あの中身の濃い生活から発信されるブログ、多いに期待しています。
日々の活動だけでも大変だと思いますが、なかなか普通の人が目にしないあの現場を是非ブログを通して世界に紹介して頂ければと思います。
途上国の子供を救え!小児外科医吉岡秀人の戦いhttp://japanheart.exblog.jp/
看護師初めての国際協力http://blog.livedoor.jp/japanheart/
小児科医の初めての子育てhttp://blog.livedoor.jp/y_haruna222/

各国からの旅行手配

ヤンゴンナウは日本語版と英語版があります。といっても英語版は掲示板やブログなどは設置していないのですが、その他はほぼ同じ内容になっています。
現在の旅行手配はほとんど日本人からで95%ほどですが、5%ほどはイタリア人やスペイン人、ドイツ人などからの予約を占め、なぜか、この中には研究者やDr.の肩書きを持った人たちからの予約が多いのです。ご利用いただいた方からの紹介という形も少なくないのですが、全くの新規というDrの方々もおられます。.
先日も、英国の著名な大学の医者夫婦のミャンマー滞在手配を行ったのですが、メールのやり取りでは、そんなこと気づかず普通にやり取りし、ヤンゴン到着後、政府高官や大学関係者たちが集まっている中、Sanay Travels と呼び出され別室でご説明させて頂きました。
そういえば、3年程前は、日本でも単独公演をするドイツの著名な演奏者夫妻のご手配もさせて頂きました。(その時はちゃっかりサインをもらってしまいました。)
あらためて、インターネット革命のすごさに驚かされる毎日です。

ピアノの先生

Myo Tintさん60歳。政府要職を定年退官し3ヶ月前から趣味で勉強してきたピアノをヤンゴン市内の自宅で教えています。ミャンマー音楽のピアノで楽譜は中国式の数字。何が何かわからないのですが、400曲ほどの楽譜を持っておられます。現在生徒は10名ほど。「72歳の生徒がいてピアノは全く初めてでしたが、彼は3ヶ月で2曲も弾けるようになりましたよ」と嬉しそうに教えてくれました。
彼と奥さんは日本語も勉強したらしく日本語も少し話せます。何でも勉強するのが好きなそうで、楽しそうに生活されています。
月謝は週3回で月8000チャット。個人の自宅でのレッスンは週2回で1万チャット(要送迎手配)、車を用意せず先生自身に直接来てもらう場合は週2回で3万チャット。
ここでもヤンゴンの交通費の高さが垣間見れます。