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ミャンマーのつぼ~ミャンマーから西垣がお届けするブログ

ダウンニョ親子

ラウェイ(ミャンマー式ボクシング)が行われるということで、3年程前にお会いしたラウェイの選手、ダウンニョ親子を思い出しました。
父親は昔「無敵のチャンピオン」と言われたミャンマーラウェイチャンピオン、息子のダウンニョレイもトップクラスのラウェイ選手ですが、父親が偉大なため苦悩しています。トンテーから小船で2時間程行った吹けば飛ぶような家で父親は数人のラウェイ選手を育てながら毎日を過ごされていました。
ダウンニョは現役時代からラウエイ以外一切仕事はしない主義だそうで、家計は奥さんがモヒンガやカウンニン(ミャンマーのお菓子)などを作って毎日行商に出て稼いでいました。
あの親子、今はどうしているのかなあ。。。

女優 テテモウ(Htet Htet Moe Oo)さん

仕事の関係で女優テテモウさんの自宅に訪問した時のエピソードです。自宅ということもあってほぼスッピンの彼女でした。最近は少なくなりましたが少し前まではまさしくCMの女王の名に相応しく、テレビをつければテテモウが出てくるという印象でした。しかもその小太りとメイクの濃さに、何故人気があるのか不思議に感じる人も多かったと思います。
そこで、メイクの話を聞いてみると、彼女はテレビでは一般の人々の好みに合わせる為、わざと濃い化粧にしているのだそうです。一度一緒に食事させて頂きましたが、薄化粧で日本の女優さんのようなメイクでした。
彼女は数え切れないほど自分が出演したCMをほぼすべて覚えており、それぞれの特徴や演出の目的を即座に回答されました。本当に頭がいい方だという印象を今も持っています。

日刊たみこ新聞

 

ミャンマーにいると日本の新刊を手に入れることは難しく、また新しい情報を入手することが難しいため、私にとってメールマガジンは貴重な情報収集の場になっています。
10年来経営等ご指導頂いているある日本の会社社長から教えて頂き愛読しているメールマガジン【日刊たみこ新聞】。
ネットショップ業界のカリスマ?と呼ばれる超売れっ子の方で、凄い情報がたわいのない中に出てきます。
今日は「竜馬がいく」。私も高校時代にこの本にハマりました。
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「竜馬がいく」
別に何の目的もなく、以前めちゃくちゃはまったから
もう一回読みたいと思って、読み返しているだけなのですが
以前読んだときには、まったく「お話しの世界」として
読んでいたのに、今度はリアルに自分へのメッセージとして
伝わってくるものがいっぱいありました。
その中で、すごくストンと腑に落ちたのが
「自分は自分」
「周りの声にまどわされない」
「周りの価値観に振り回されない」
「人には人の、自分には自分の、やるべきことがある」
「人には人の、自分には自分の、進み方がある」
ということです。

(more…)

FMラジオ出演

昨晩LOVE FM(九州国際FMラジオ(福岡)の「INSIGHT」という番組の「ASIAN RECIPE」というコーナーに出演しました。
台本なし、事前に4つほど質問事項が来ていたのですが残念ながらその質問が来たのは、うち一つのヤンゴンの今の天気はどうですか?だけでした。「なぜミャンマーに?」からスタートという、日本語の下手な(ミャンマー語も英語も下手ですが)私には少しヘビーで四苦八苦しましたが、終わってみれば台本なしに自由に話すのも非常にいいものだなあと、妙な感想を持って終了しました。
しかしいつも思いますが、日本とミャンマーの距離がありながら電話の向こうに聞こえる放送に突然入っていく、あの妙な感覚は何ともいえないですねぇ。

ミャンマーのつぼのツボ

今年は雨季に入ってもこれまでのところミャンマー全土で雨量が少ないようです。農作物への被害が心配されると思い専門家に聞いてみました。
確かに今年は雨量が少なく各農家への影響が心配されるのですが、実はミャンマーの農家は毎年天候不順の連続なので、それらに備え雨量が多い時、雨量が少ないなどどちらにも対応できるような作物を分けて育てているそうです。従ってある程度影響は受けるが深刻な打撃は受けにくいようになっているとのことでした。
これこそ最もミャンマー的なものであり、この地で仕事、生活する上で最も重要なことであると私自身感じています。
私はいわゆる手配業を行っていますが、普通の手配は誰でもできます。しかし何が起こるかわからないミャンマー。常に様々なシミュレーションを立て、そのトラブルに即座に対応できるか否か、バックアップが事前に準備できているか否かがプロとアマの差であると思っています。
これは手配業に限らず、この地で行うすべてのビジネス、そして生活に当てはまると感じます。銀行送金ができなくなっても、海外からの経済制裁が発動されても、銀行機能がストップしても一時的な混乱は見せるものの、皆それら難問に対応しいつの間にか復旧していきます。
これこそ、ミャンマーのつぼの中のツボではないかと、農家の話を聞いて感じました。

アブスライダー

ミャンマー赴任当時は65kgぐらいだった体重が9年経つと80kgまで増えてしまい、極度の運動不足で座るのもつらくなってきました。ホテルのジムに通うにも夜わざわざ出て行くのは面倒で自宅でできる健康器具を探していたところ、友人から効果満点とお勧めをもらったのがアブスライダー。
ユザナセンターで7000チャットのアブスライダーの偽者を発見、早速購入して使用しています。
今のところ効果満点です。腹筋が気になる人、オススメです!

「フーコン戦記」

昨日、一昨日と久しぶりにゆっくりと連休を過ごしました。いつ購入したのかわからないのですが、「フーコン戦記」古山高麗雄著 文芸春秋 の本が出てきて読んでいました。
数年前、戦時中この地に来られていた方や遺族の方20名ほどの慰霊ツアーを手配した時、私も一緒にミッチーナ(ミイトキーナ)に同行した時のことを思い出しました。
日本兵としてこの地に来た父親が入院し、戦時中、ミッチーナ駅発の最終列車に乗ることができ、生死の分かれ目であったミッチーナの駅を死ぬ前にもう一度見たいとのことで、その父親の最後の願いとして、ミッチーナ駅を写真に収めるため参加された方もおられました。
ミッチーナから3時間ほど離れた村に到着し、ツアーに参加された一人の方が、村の外れの方に行くように指示され、「もう少しで大木があるのでそこを右」など80歳を越えられているにも関わらず、正確に場所を覚えてられ驚いたのを思い出します。
川に突き当たり、橋の架かるところまで来て、それ以上は当時ゲリラがいるので行くことはできなかったのですが、その橋を境に連合軍とやりやった所だった等、色々な話を聞かせて頂きました。

大熊さんと鈴木さん

戦前ともにビルマで生活されていた二人。お互い1914年大正3年生まれと同い年。大熊さんは戦争の混乱の中、日本へ帰国。鈴木さんは戦時中もビルマに残り、今現在も元気にヤンゴンで生活されています。
この時が初めてのお二人でしたが、戦前のビルマでの生活に話が盛り上がっていました。
(写真提供:島村 浩さん)

携帯用お茶

最近のお気に入りは水でも出るお茶パック。ちょうど1リットル用のお茶パックですとミャンマーのイエタン(ドリンクウォーター)に入れておけば1時間ほどでお茶に変身。特に地方出張に行くときには欠かせない必需品になっています。

ノートパソコン

先日こちらの雑誌にUse of laptop computers still low in Myanmarという見出しがありました。料金が高いのが理由などと店員の話がありましたが、確かに新品はもちろん、中古商品でも日本の販売価格よりもかなり高く設定してあるのも原因だとは思いますが、故障しやすいのも多きな原因だと思っています。
私は2週間前に一台潰しミャンマーに来て以来通算3台のノートパソコンを潰しました。
今では日本一時帰国や地方出張用のB5型ノートパソコン1台だけ残し、すべてデスクトップに切り替えました。
ノートパソコンの潰れる原因は、やはり電圧ではないでしょうか。よく言われるのはボルトではなくヘルツ。ボルトはブロックできるのですがヘルツは電源を抜かない限り守れないと聞いたことがあります。小まめに電源の抜くしかないのですが、しかしやっぱり潰れてしまいます。何はともあれ、インフラをきちっとして欲しいと切に願うミャンマーです。
そういえば、アリにノートパソコンの中を齧られて潰れたという友人もいましたが、、、。