J-SATは25年間ミャンマーにて事業を行う実績と経験からミャンマー進出における

人材支援、市場調査、会社登記等、会社運営をトータルサポートします。

ミャンマーのつぼ~ミャンマーから西垣がお届けするブログ

ヤンゴン市内バス 全面路線変更

2017年に入り、突然ヤンゴン市内バスの路線が1月16日から全面的に変更されると発表されました。
これまで複数あったバス会社を公共バスの新会社Yangon Bus Service(YBS)に統一。ルートも大幅変更。渋滞の大きな要因の一つにあげられていた、二重駐車や大型バスによる追い越しなどは、各社の顧客獲得争いにあったので、会社が統一化されただけでも評価される今回の変更です。

DSC_9354

すでに中央交通センターは、ほぼ完成してきており、今後はGPSによる運航バス管理を行っていくようです。

出展:ヤンゴン市オフィス

ここまでの大幅な変更も、発表は約1週間前。
何よりすごいのは、その情報があまり出てこなかったこと。
政権が変わっても、その情報管理力はすごい!と感服します。

DSC_9343

発表後、公式サイトが立ち上がり、日々というか時間毎にサイトが更新。YBS用のアプリが複数登場し、正式サイトでその評価をアンケートで行うなど、あっという間にその日を迎えました。

DSC_9345

多くの人々は通勤でバスを利用しているので、16日当日は当然の如く大混乱。

DSC_9353

そんな中、大きなバス亭では、ボランティアスタッフが無料で路線図を配布したり、行き方の説明をしていました。見たところ、かなり訓練してきている印象でした。(いつそんな訓練をしていたのやら)

DSC_9337

といっても、バスの本数が足らないので、バス停では人であふれました。少しお金がある人はタクシーを利用。電車に切り替えた人も多くいたようです。電車で通勤してきた弊社スタッフは、実際電車を使ってみると意外に便利で、今後も電車通勤にするというスタッフが出てきています。ある地元誌は電車利用率は25%上昇すると発表しています。

各バス停では初日から大混乱が続きました。
しかし! そこからがミャンマー。
朝の仕事を終えた学生用フェリー(送迎車)の車などがボランティアでピストン輸送を至るところで開始。さらに、無料で乗客を乗車させるタクシー運転手も多数出現。社員の乗ったタクシー運転手は、無料で乗せたら客から、逆にフルーツをプレゼントしてもらって喜んでいたそうです。

急速な経済発展で人々が変わっていると言われている中、バス停で多くのボランティアスタッフが活躍し、そして人々が助け合う。ちょうど8年ほど前に起きた巨大サイクロン「ナルギス」による被災後の人々を思い出しました。

まだまだミャンマーの人々はすごい。ある人が語っていた。
「ミャンマーは援助される国ではなく、援助する側の国」

それを垣間見る今回の騒動でした。

DSC_9340

鳴り物入りで昨年始まった、Yangon Bus Rapid Transit(BRT)はYBSに名前を変えるらしく、ルートもYRTの一部の路線を走ることになるとのこと。発表は運航変更される前日でしたが・・・

BRTのサイトには、今後も状況見ながら変更する可能性がある。と記載されており、まだまだ確立するまでは時間がかかりそうな状況ですが、悲観的に見ている社員はゼロです。
皆口をそろえて、今は混乱しているが必ずよくなる。今回はいい変更。と評価しています。

DSC_9359

ただマイナス面も出てきています。乗り換えが増えたことにより、通勤費が2倍になる社員が続出。
そこで、これまで給料の中に入れていた通勤手当を別に用意することにしました。
これまでは、同じルートでもバスの種類によって料金が変わっていましたので正確な計算ができませんでした。
ところが、今回からバス会社が統一されたことにより、料金が固定されることになり、ようやくきちんとした通勤費が算出できることになりました。それだけでもかなりの前進です。

色々なミャンマーの”今”を垣間見る今回のバス路線変更。

DSC_9357

ちなみにYBSのカラーは国旗にちなんで 黄色・緑・赤。

さて次は何を変更するのかな?

新年早々のJ-SATグループ寄付活動

新年2日目はJ-SAT恒例の寄付活動。

社員らからの提案で行っているJ-SAT恒例の寄付活動。

dsc_9147

朝4時前にサクラタワーに全員集合。大型バス2台をチャーターし、ヤンゴンから片道7時間のミャンマー中部の都市、ピィを訪問。目的は二つ。

dsc_9134

ミャンマー初の世界遺産に登録されたひとつでもあるタインキッタヤー訪問。

50

そして、公益社団法人シャンティ国際ボランティア会(http://sva.or.jp/)の八木沢さんのご紹介でピィにあるYadanar Myintzuri 僧院校を訪問。

dsc_9153

Yadanar Myintzuri 僧院校は2007年設立されました。

dsc_9190

設立者で校長の尼僧、Daw Wunna Thiri はチン族で、キリスト教から仏教徒へ改宗した方で、仏僧としてお経もきちんとできない仏教徒にも教えたい、自分が光として導きたいと思い、ヤンゴンの僧侶に相談し、今の尼寺をつくりました。

dsc_9167

最初はヤシの葉で作られた尼寺で、着替えるため袈裟が3着、仏像が1つ、子供7名からスタートしました。

dsc_9170

現在は尼寺で住んでいる、乳幼児から大学生までの子供らが325名、外から通っている子は60名計386名が勉強しています。僧院校及び寮など活動費はすべて寄付金で運営されています。

dsc_9184

孤児ではなくても貧乏で学校に通えない子たちが60名。戦争で逃げた子たちは100名以上学校では片親だけいる子、孤児、捨てられた子、戦争の犠牲者の子供たちがいますが、一番多いのは内線で逃げてきた子供たち。中には幼児性的虐待経験者が10名、完全に切られてないへその緒が腐った状態など生まれてすぐ捨てられた子やエーヤワディー川に流された(捨てられた)子供らが13名など。

子供らは政府社会福祉省や、教会、病院、警察、町役場など様々なソースから送られてくるそうで、パゴ―山脈西側では子供を一番多い人数を預かっている尼寺だそうです。

ミャンマー人、カチン、カイン、パラウン、チン、ヒンドゥ、イスラム、中国人など多くの民族の子供らがいます。

dsc_9193

教育については責任が曖昧になるボランティアの教師には教えてもらわず、給料を払って講師、スタディーガイド(家庭教師)を雇っています。

我々からは、会社からのお金はなしで、毎月社員らが給料から寄付してきたお金200万チャット(約18万円)や個人的に服やお菓子を購入したものを寄付しました。

dsc_9178

盲ろう者の東大教授福島先生の本に書かれたことを思いだしました。

”豊かな先進国にしか、「自分らしさ」を求める人間は存在しない。
物質的に恵まれ日本人がゆえかもしれませんが、「自分らしさ」「自分探し」といったものに必要以上に拘っている。”

ここにたどり着いた孤児らは、衣食住があり十分と考えているのかと思います。
労盲者の方からみたら、彼らは目も見え耳も聞こえている。生きているだけで、テストで90点以上取っている。残り10点を巡って色々理由つけるよりは、もっと肩肘張らず、素直に現実を直視して生きていくことが大切だなと感じました。

dsc_9179

使命とは命を使う。次々やってくる宿題を解決することに、命を使っていきたいと思います。

 

新年明けましておめでとうございます。仕事始めは会議から!

 今年は1月2日が仕事始め。
昨年まで拡大、拡大で来たJ-SAT。
昨年は特に仕事の依頼の急増にあわせ、スタッフをどんどん採用してきました。
採用してきた理由はもう一つ。
すでにできる社員よりも、できる可能性のある社員を採用して実践で教育していくこと。人材紹介会社をやっていることもあり・・・いい人材が集まりました。
次は教育です。
そこで、今年から毎月全社会議を行うことにしました。

dsc_9097

全社会議といっても、基本的には私の想い、会社の方向性、それぞれの部署が何をやっているのかということを、数字も合わせて知ってもらおうと行いました。

第一回には、弊社MIBTI日本語センターの卒業生で、2年前から北海道の建設会社で勤務する2人の一時帰国に合わせて、話してもらいました。
多くのミャンマーの人が夢見る、日本での仕事。でもその現実を知らないミャンマーの人がほとんど。日本での仕事や働き方はミャンマーと全然違うこと。口では我々も言っていますが、彼らからの体験している言葉は説得力がありました。

dsc_9110

そして、「どうせ無理”をなくす。植松努さんのTEDスピーチ動画」を皆に見てもらいました。植松社長はこの二人が働く会社本社の隣町出身。

dsc_9107

昨年末にブログで宣言した通り、今年は社員の充実、会社の充実。

昨年僧侶から頂いた言葉

「人間が発達(Human Development)してから国が発展できる(Country Development)。」

人が発展してから会社が発展できる。

本年もよろしくお願いいたします。

ミャンマーに来て20回目の記念すべき仕事納めは12月31日ではない!

2016年12月28日。
ミャンマーに来て20回目の記念すべき仕事納め。
(正確には明日から一泊二日の海外出張で一件仕事がありますが、ほぼ終わり)

dsc_8697

12月31日以外の仕事納めは20年で初めて。
今年は、明日12月29日はカレン族の正月で祝日。
12月31日は土曜日で1月1日が日曜日。
12月30日を臨時休日にし本日が仕事納めとなりました。
仕事始めは1月2日になります。

昨年の仕事納めをブログで見てみました。

「そして、2015年の仕事納めは…
政権交代が実現した総選挙が終わり、2016年4月は新政権が始動。
弊社も2016年4月を目標に、ついに動き出します。
事務所はついにサクラタワーに統合され各事業部が同じ事務所内に入り、2016年1月ー3月まではシステム再構築。そして4月に突入!
新政権同様、2016年1-3月に最終チェック、そして4月から本格的にスタートできるよう最終準備に入りたいと思います。」

と書いていました。

実際本格的にスタート、9月には事務所を拡張、300m2を超える広さになりました。さすがに1年前はここまで予想していませんでした。

dsc_9035

1年を振り返り、大学セミナーも21大学を越え、ついに大学内に日本語授業も受託することになりました。本日現在、ミャンマーのトップ理系4大学で日本語講座を持つまでに成長。さらに機械CADクラスも受託。
そして、2015年7月からスタートさせた介護人材育成センターが順調に立ち上がり、法案も通過。いよいよ来年から送り出しがスタートします。

dsc_9022

ここまでは拡大、拡大、拡大で来た3年間。
その集大成として単独誘致で行った、ブラインドサッカー普及活動。

dsc_0034

しかし、ここまで拡大できたのは、競業他社がほとんどいなかっただけ、20年がんばってきたご褒美。
それを象徴して、事務所にあった幸福の木が開花。

dsc_8872

5年に一度咲くか咲かないかという珍しい花で、甘美な香りで1週間咲続けました。
その花も今日仕事納めと同時に終わりました。

dsc_9002

ご褒美は今日で終わり。
2017年からは新たな戦いとステージが待っています。
これから大手競業他社がくることが予想され、2016年までの成功体験は過去のもの。気を引き締めていかないと、アッという間に崩壊してしまいます。
「信をもって、社内充実」

dsc_8227

これをキーワードに2017年は100名を超えた社員の底上げに重点を置き、地に足つけて頑張っていきたいと思います。

今年一年本当にご支援誠にありがとうございました。
来年もご指導宜しくお願いいたします。

よいお年をお迎えくださいませ。

大成功に終わったブラインドサッカー普及活動

NPO法人日本ブラインドサッカー協会の招待で、2016年12月13日~15日までの4日間にわたり、ミャンマーでブラインドサッカーの普及活動を実施。日本選手権4連覇中のAvanzareつくばに所属し日本代表キャプテンの川村選手と福永選手にミャンマーまでお越頂きました。

dsc_0034

民政移管後、海外からの投資が入ってくるも視覚障害者を取り巻く環境はあまり変化なく、そこでチミダイン盲学校の校長やGENKYスタッフらと相談しブランドサッカーを提案。GENKY設立時からお世話になっている、筑波技術大学形井教授に相談したところ、筑波技術大学教員で日本代表でコーチをしている福永選手をご紹介頂きました。そして、福永選手から日本代表キャプテンの川村選手をつないで頂き、今回ボランティアでミャンマーにお越頂くことになりました。

12

ミャンマー社会福祉・救済再復興省からスポーツ省に交渉してもらいフットサル競技場の使用許可をもらいました。また、フェンスは試行錯誤を重ね、水道官をつかったもので代用。

20

ブランドサッカー用ボールを20個発注、ユニフォーム、ソックス、シューズなどすべてJ-SATグループ各社が稼いだ利益で準備、J-SATグループでの単独スポンサーで実施致しました。

2016-11-08-07-43-02-2

ミャンマー社会福祉・救済再復興省とスポーツ省からも開会式に参加。ミャンマーの経済発展とともに、視覚障害者を取り巻く環境も改善させていきたいというスピーチもありました。

15

すべて手作り、弊社スタッフが動き回り準備、開会式も手配。自画自賛ですが、J-SATチームキビキビ動きました。

16

ミャンマー地元からの注目度も高く、テレビ局は全局、雑誌も数社来られました。日本のメディアも来られ、広く告知できたこと、あらためてお礼申し上げます。

14

NHK「ブラインドサッカー日本代表 ミャンマーの若者と交流(2016年12月13日放送)」

21

mitv – Soccer Training: 1st Time For The Visually Impaired People【2016年12月15日放送】

15631444_1318994954808662_1161312852_o

Myanmar Times 誌
今回は、チミダイン国立盲学校(政府系代表)、カワイジャン盲学校(キリスト教系代表)、ゲンキーマッサージ店(マッサージ店代表)と3つ組織団体から各チーム10名づつ選抜して行いました。

13

ブラインドサッカーのルール説明から始まり、ドリブル練習、ディフェンス、攻撃練習などに続き、最終日にはミニゲームもできるほどに上達しました。

dsc_8630-2

各校長からの評価も高く、視覚障害者スポーツがほとんどないミャンマーに、ぜひ継続的にブラインドサッカーが普及できるよう指導者を定期的に誘致して欲しいというリクエストもありました。継続していくことが大切ですので、ここからが勝負です。
今回の結果を分析し、今後につなげていきたいと思います。

9

川村選手や福永選手によれば、ミャンマーの視覚障害者選手層は厚く、また視覚障害者を取り巻く環境が厳しいことが、逆に身体能力を上げているようで、10年先は日本代表も危ういという話もありました。(確かにうちのGENKYスタッフは、晴眼者でもつまづくダウンタウンを一人で歩きバスにのって移動できます・・・)

1

当初は最終日にPK戦でもできればという打ち合わせでしたが、彼らの身体能力が予想より高かったことで、ミニゲームを行うことになりました。

10

かなり激しいスポーツで、当日は頭を切り出血する選手も出ましたが、無事大きなケガなく終えることができました。

5

ミニゲームはすべて0-0に終わり、最後はPK戦に。

ミャンマー代表チームがオリンピックに出場するのは正直難しいですが、パラリンピックであれば十分可能。2020年東京パラリンピックでブランドサッカーミャンマー代表が活躍となれば、国内中が大騒ぎになることは間違いなく、視覚障害者への理解や環境が変わることは間違いありません。
これは楽しみになってきました。

11

最終日は各盲学校そして、メリーチャップマン聾学校、ヤンゴン日本人学校も訪問しました。

4

今回ご協力して頂いた関係者の方々、本当にありがとうございました。
これをぜひ継続していきたいと思いますので、引き続きご支援宜しくお願いいたします。

ミャンマーの子供らが巻き込まれる犯罪が急増、その実態レポート。

日本で報道されるミャンマー関連ニュースは、ODAや日系企業進出関連、ロヒンギャ問題などが多いですが、ミャンマー国内では最近、幼児虐待や性犯罪など、これまであまり公にならなかった(あまりなかった)記事や貧困についての記事がよく目につきます。フェイスブックでは5歳児がレイプされ肛門が潰れて便ができない子の写真なども流れて来ます。

そこで、ミャンマーの子供関連の記事があったので、社員に翻訳、まとめてもらいました。ミャンマー総人口の15%程のヤンゴンで商売、生活していると、現実はわかりにくいですが、以下ご覧頂ければ深刻さがわかるかと思います。こういった現実も理解した上でミャンマーでビジネス行わないといけないなぁと。

ミャンマーの総人口の3分の1は子供は1700万人(1993年に発布されたThe Child Lawで、16才未満を子供と定められています)。うち、60%は6管区に住んでいて、4管区では人口の割合が子供の方が多くなっています。子供の45%は10-17歳未満。
5-17歳未満のうち、120万人は週52時間の労働しており、100万人は親と別れて生活しています。60万人は訓練センターか孤児院で生活しています。
人身売買事件7件の中1件は子供の人身売買。

社会福祉省とUNICEFが共同で行った調査では、17歳未満の障害者の3人のうち1人は学校に行っていない。村に住む17歳未満子供の87%は健康診断受けていない。20%はいじめられているとのこと。

新生児の5人に1人は出生証明申請はしておらず、5歳未満の子供は毎日100~150人死亡しています。死亡するのは男の子が多く、多くが治る病気であったにも関わらず病気で死亡。5歳以下で死亡する51%は生後28日間以内。

子供の5人に1人がきれいな飲料水、トイレ使っておらず、栄養不足などの状況に陥っている。

近年は10歳までで学校を退学する率が上昇にあり、幼稚園から学校に通っている子供100人に調査したところ、30人のみだけ高校まで進学。17歳未満の子供らの半分は学校中退。
○犯罪について
2016年1~9月の間、子供が遭った事件
殺害 19件
強盗 1件
傷害罪 376件
その他 402件
レイプ 416件
合計 1236件

被害者は
男の子 449名
女の子 512名
合計  961名

人身売買
2016年1~9月の間、子供が巻き込まれた事件 241件
被害者 男の子 30名、女の子 29名
今年は近年では最も多く、9月までで昨年比24.48%増えています。

多くの犯罪は教育のレベルが低く、貧乏、家族と周りに問題が原因。
1993年に発布されたThe Child Lawでは、Children’s Rightsを守るためNational Committee を設立することが決められています。Thein Sein 大統領時代、幼児関連法については、幼稚園を作るための許可申請に関する法律1つのみ成立し、子供が犯罪された場合の刑罰についてはありませんでした。最近、虐待や性犯罪で児童が巻き込まれる犯罪が急増しているため ミャンマー社会福祉省は児童が巻き込まれるのを防ぐ法律の整備を急いでいます。

学校法人エール学園、タンリン工科大学・工科大学マンダレーとの締結の意味

4

大阪にて40年続く老舗専門学校のエール学園とタンリン工科大学・工科大学マンダレー、そして弊社J-SATの4者で、大阪商工会議所が派遣する「ミャンマー視察団」にあわせ、尾崎会頭(大阪ガス会長)立会いの下、提携調印式を行いました。

2

エール学園は就職準備コースを設置されています。このコースは、日本語だけでなくビジネスマナーも教え就職率100%で専門課程は200社以上のインターンシップ先を確保するなど画期的な取り組みをされています。

5

工科大学マンダレーでは弊社がミャンマー教育省とMOUを締結し、今年6月から日本語クラスをスタートさせており、12月には新しいクラスもスタートします。卒業までの在学中2年間でN3レベル習得を目座しています。タンリン工科大学でも同様のスキームを来月からスタートさせます。さらに、工科大学マンダレーでは来週12月1日に機械CADクラスをスタートさせます。

ミャンマーの方々は日本語に興味があるから勉強してるのではなく、就職したいから勉強しているのだと思っています。機械CADについても同様です。

今回の締結により
日本語勉強→技術習得(CAD)→就職
という一連の流れが完成することになります。

7年前に始めた視覚障害者マッサージ店のゲンキーは、まず就職の部分を作り収入を見せました。それから技術移転。まずは、モデルを作り結果を見せ。そうすれば皆やる気を出す。これが7年で50店舗まで増えた理由と思っています。日本語も同じ。

ただ単に日本語を教えるだけでもダメ。やはり最後までのスキームが必要と感じています。今回の締結はその第一歩と思っています。

我々は今年、日本に法人を作りました。これは日本にて営業するためではなく、ミャンマーから日本で働くミャンマーの人々のサポートデスクであり、初めてミャンマーの人を受け入れる企業様へのサポートデスクです。送りっぱなしではなく、日本就職後もきちんとサポートし、双方にとってよりよいシステム作りができればと考えています。

その第一歩となる今回の締結。ご準備頂いた、大阪商工会議所の方々、エール学園の方々、その他多く方々に感謝いたします。

1

ここまでミャンマーに来て20年。これらを行うための準備期間と感じています。ここからが本番スタートです!引き続き、ご指導宜しくお願い致します。

ミャンマー経済・投資センター主催 第37回 で話します。

今週のこちらのセミナーに呼ばれまして、ミャンマー人材について50分話します。翌日は、社会起業家セミナーで終日JICAひろば です。

ミャンマー経済・投資センター主催

37回 例会のご案内

日   時: 2016年11月18日(金) 14:00~16:00  (受付開始:14;30)

会   場: ホテルグランドヒル市ヶ谷 「翡翠の間」(3階)

住所:〒162-0845 東京都新宿区市谷本村町4-1

TEL:03-3268-0111     URL:http://www.ghi.gr.jp

JR、東京メトロ、都営新宿線の市ヶ谷駅から徒歩3分

注)  開始時間が、14時ですので、ご注意ください。

会   費: 当センターの会員は無料。一般は5,400円(税込)

NPO法人日本ブラインドサッカー協会が協力し ミャンマーで普及活動を実施

NPO法人日本ブラインドサッカー協会が協力し ミャンマーで普及活動を実施

「ミャンマーの視覚障害者に新たな夢と希望を」

NPO法人日本ブラインドサッカー協会(以下、JBFA)は、2016年12月13日~16日までの4日間にわたり、ミャンマーでブラインドサッカーの普及活動を実施し、日本選手権4連覇中のAvanzareつくばに所属する川村怜と福永克己を派遣いたします。ミャンマー社会福祉・救済再復興省の招致でミャンマーの中心都市ヤンゴンに来緬。日本代表の選手およびスタッフとしても活動する2人がミャンマーの視覚障害者らにブラインドサッカーの基礎技術を伝えることで、普及を目指します。

ブラインドサッカー
ブラインドサッカー

■ミャンマーにおけるブラインドサッカー普及活動実施の経緯
ミャンマーでは統計上で視覚障害者は約18万人、実際には30万~40万人いるとも言われており、家に閉じ籠もりがちの者も多く、ほとんどの者は社会的・経済的に自立していないのが現状です。
2009年から視覚障害者支援を行う株式会社ジェイサットコンサルティング社代表の西垣充が、2011年民政移管後、ミャンマーが急速に発展するも視覚障害者を取り巻く環境はあまり変わっていない現実から、視覚障害者らにも経済発展の恩恵を受ける事業をミャンマー政府側と協議しブラインドサッカー普及活動を提案。視覚障害者支援開始当時から、献身的に協力、指導頂いている、筑波技術大学形井教授及び緒方教授、そしてJBFAの協力により、今回の普及活動が実現しました。今回の日本人指導者2名の費用やヘッドギア、マスク、ゴールポスト、ボール、会場使用費及びミャンマー政府、筑波技術大学との交渉はすべて、株式会社ジェイサットコンサルティング社が単独で負担、コーディネートしています。

■ブラインドサッカーの具体的取り組み予定
ヤンゴン国立チミダイン盲学校、ヤンゴンチミダイン盲学校、ゲンキーマッサージ店の3チームから10名を選出。ブラインドサッカーのルールからパスの仕方など基本的な技術を伝え、各学校、マッサージ店にブラインドサッカーの楽しさを伝え、今後の本格的な普及活動に活かします。最終日は3チーム対抗PK戦を行う予定です。

■ミャンマーでのブラインドサッカーの現状
視覚障害者5人制サッカー(視覚障害者サッカー、通称:ブラインドサッカー)とは、視覚に障害を持った選手がプレーできるように考案されたサッカーです。
これまで、ブラインドサッカーのミャンマー代表は2年前のアセアンパラゲームズ(東南アジアパラリンピック)で、タイ代表、マレーシア代表と戦っていますが、2015年末にシンガポールで開催されたアセアンパラゲームズには不参加でした。また、IBSA(国際視覚障害者スポーツ連盟)には加盟しておらず、近年、視覚障害スポーツではパラリンピックには出場していません。
安倍総理は「ODAなどでスポーツ支援を行っていきたい」と述べ、スポーツ分野の発展途上国支援に積極的に取り組む姿勢を示しており、2020年東京パラリンピックのミャンマー出場も見据えています。

■プロフィール
<川村怜(かわむら・りょう)>
1989年生まれ、大阪府出身。Avanzareつくば所属。
筑波技術大学在学中よりブラインドサッカーを始め、2013年さいたま市ノーマライゼーションカップで日本代表デビューし、世界王者ブラジルから初ゴールを奪う。インチョン2014 アジアパラ競技大会、世界選手権2014、アジア選手権2015などに出場。アジア選手権では、チーム最多となる7得点をマーク。得点力と豊富な運動量でチームを牽引する。

<福永克己(ふくなが・よしき)>
1973年生まれ、大阪府出身。Avanzareつくば所属。
2007年筑波技術大学赴任後よりブラインドサッカーに関わり、2009年GKとして日本代表選出。2010年より日本代表コーチ。現在はAvanzareつくば代表を務める。

■筑波技術大学及びAMINについて
学校名:国立大学法人筑波技術大学
所在地:〒305-8521 茨城県つくば市春日4-12-7
TEL  :029-852-2890(代表)

筑波技術大学とは、聴覚または視覚に障害を持つ人が学ぶ4年制国立大学。筑波技術大学が中心となり、アジア医療マッサージ指導者ネットワークAMIN:Asia Medical Massage Instructors Network.の活動も行っています。主にアジア太平洋地域の途上国に、視覚障害者が、医療マッサージの専門家として就業できる体制を整備することを目的としており、2009年からミャンマーにも定期的にセミナーを行い、普及活動を行っています。

視覚障害者マラソンと孤児院への寄付

11月15日は白杖の日。ここミャンマーでは視覚障害者マラソン大会の日です。ヤンゴンとマンダレーで行われましたが、ヤンゴンは第25回目を数えています。

dsc_7453

朝5時半YCDC(ヤンゴン市開発委員会)をスタート。

沿道では市民や市の職員がお菓子やジュースなど視覚障害者らに寄付をしています。

dsc_7462

今回はうちのゲンキー視覚障害者スタッフが、市民らからの寄付されたお菓子などと社員らからの寄付を合わせ孤児院に寄付したいと発案。
これをYCDC(ヤンゴン市役所)に伝えたところ、バスを無償で提供するとの申し出を受けました。

dsc_7489

マラソンはサクラタワー事務所のスタッフらも参加し、ゲンキースタッフだけでなく、サポートのいない視覚障害者らもサポートしながら完走。

dsc_7509

マラソン後、シャワーを浴びて、YCDCのバスで約3時間、孤児院へいきました。
dsc_7525

孤児院はまだ設立されて1年8ヶ月。村から寄付された土地1エーカーの上に立てられ、周辺の人々の寄付で運営されています。
ここから村の学校へ通っている子は、約70名、小僧は40名ほど。

現在の110名から将来は200名ぐらいまで受け入れる予定。孤児院ではヤンゴンからとミャンマー国境地帯からの孤児らが生活していて、孤児院内の塾講師5名。1人当たり1ヶ月に80000チャットを払っています。

この孤児院を始めた僧正はまだ30代。
2008年、10万人以上死者を出したと言われるサイクロン・ナルギスで彼の村も被害にあい、村人128名が亡くなり、村で生き残ったのは彼を含め2名のみ。僧正の親戚25名とほとんど身内は亡くなり孤児になりました。それ以来ミャンマーの国境などの村へ行き、勉強できない子供らに勉強を教えていたそうです。国境では軍隊に入れられる子が多く、ビルマ語が話せない子が多かったそうで、その後、自身で孤児院を作ろうと寄付金を募り設立されました。

現在は男の子だけ受け入れていますが、今後は女の子も受け入れる予定とのこと。
孤児院をもっと大きくして女性寮も作り、信頼できる尼さんに管理してもらうのが僧正の希望です。

僧正から視覚障害者の方から寄付を受けて、お言葉頂きました。

「生きている限り希望がある。人間が発達(Human Development)してから国が発展できる(Country Development)。子どもたちを支援しましょう。」