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ミャンマーのつぼ~ミャンマーから西垣がお届けするブログ

ついに遺骨収集の法律が施行されたので、写真とともに20年間を振り返ってみました。

太平洋戦争で亡くなった戦没者の遺骨収集を加速する法律が、今月1日、ついに施行されました。

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この方は40年以上前に行われた第一回日本政府による遺骨収集の実現に、当時ビルマ政府ホテル観光省の役人として尽力をつくされた故マウンテン大佐です。彼がいなければ当時遺骨収集は実現しなかったという話を聞きました。彼にヤンゴンに残される戦時中の建物や当時どのように利用されていたか、案内してもらいました。その一つが今のチミダイン国立盲学校で、それが縁でGENKY視覚障害者支援につながっていきます。彼に合わなければGENKYはありません。といことはミャンマーで視覚障害者マッサージとう職業が定着していないということになります。ほんとに不思議ですねー。

ミャンマーで生活していると、特に番組制作のリサーチなど20年近く行っていると、遺骨には度々遭遇していました。ですので、ロケハンやリサーチのときには日本の線香をいつも持参。家に戻るときは家に入る前に塩を振っていました。
実は・・・以前の事務所にもどなたかおられましたので、事務所入口には盛り塩をしていました(笑)。私が日本などに出張する時に決まって事務所内で不思議な現象が起きていたので、不在中を守っていてくれてるのだと勝手に思っていました。いつも助けて守って頂いています。ありがとうございます。といっても、私は全く霊感ありませんので見えません。

遺骨は勝手に日本に戻すことはできず、日本大使館に遺骨とともに遺骨があるだろうリストを作成し預かって頂いていました。
そんな中、ついに先月日本に戻ることができるようになりました。

この法案が通ったのを受け、ようやく帰国が叶うのと同時に、70年以上前にこの地で何が行われたのか、という歴史がこれから日本でニュースや番組になり人々の注目を浴びる。学校で教えられている社会の教科書では「インパール作戦では」と一言にまとめられてしまっている、その文脈の中の事実が再び注目を浴びる。日本の支援、企業進出が本格化する今こそ、それが大切な気がします。

ということで、残っている写真をざっとまとめようとしたら、多くの写真が紛失(涙)残っているものだけ、コメントつけてご紹介いたします。

みなさん、ついに帰国開始です!

こちらインド国境タム郊外にあるパンタ村。ここからインパール向かう場所で、40年前、第一回遺骨収集団が来られた時に案内した人が見つかり、色々話しを聞きました。

インド側で負傷した日本人用の野戦病院があったが、重症で安全な場所まで行けない負傷兵が多かったこともあり、隣に墓地を併設していたそうです。そんなこともあり、掘ればいくらでも遺骨が出てきたそうですが、途中でスコップが人々の方に勝手に動き始めてしまい危険になり、途中で断念したそうです。私が訪ねたのは2005年。この場所は当時インド側が政情不安でしたので時折銃声が聞こえる現場でした。ミャンマー兵に周囲を銃で護衛してもらいながら訪問しましたので、その第一回遺骨収集以来初めて訪ねた日本人でした。

シュエチン村にも遺骨がいくつかありました。この時は遺骨持ち帰れませんでした。

こちらコンタン村

コンタン村には日本の軍票を作る造幣局があったと地元の老人に聞きました。

 

ここも思い出に残るアッロエ村。ここでは当時、日本軍とイギリス軍が24時間ぶっ通しで戦った激戦の地と聞きました。
このときは番組リサーチで行ったのですが、その後番組ロケでも訪問予定だったのですが、理解不能な不思議なことが次々起こり、結局取材できない地となりました。当時は、多くの人が戦死した地なので、きちんと僧侶をお連れしてからの方がいいのでは、と取材班に理解して頂き諦めた覚えがあります。

この写真は2009年イラワジ川の対岸にある有名なクレ高地。

当時を知るドウ・ケンウー。ここも多くの慰霊に日本人の方が来られていたが最近はほとんど来なくなり、慰霊碑も荒れ果ててきていると嘆いていました。あれから7年もたち、当時を知る人ももういないと思いますので、忘れ去られていくのでしょうか。

ミャンマー中部の村、タウンレド村。結局、番組にはなりませんでしたが、この地で襲撃を受けたが生き残った旧日本兵の方が訪問したいということで、この地を探しました。これは銃痕の後。

2009年に訪問したタウンレド。この女性は戦時中、この地に日本軍が駐留していた時に生まれた女性で、名前は駐留していた日本人がつけた。と村人皆が知っている地元では有名な女性でした。村では、これまで多くの遺骨が出てきたそうですが、輪廻転生を信じるミャンマーの仏教徒にとっては骨は大切なものではないので、すべて捨ててしまったそうです。

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ここはメッティーラの郊外。軍施設の中ということで、一般の人は入りにくい場所でしたが、今も銃痕の後が残る建物がありました。

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その前には、今も遺骨が流れ出て着ていました。

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この遺骨は集め日本大使館に預かって頂きました。(2009年)

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メッティーラのゴルフ場にある今は使われていない井戸。ここに自ら命を絶った日本兵がおられる。と案内して頂きました。

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戦時中はマンダレー王宮が日本軍の司令部になっており、その中で日本語も教えていました。その卒業証書。とご本人。いろいろ当時の話を聞きました。

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最後は、2005年に訪問した、ピィのサンペイさん。戦時中日本軍の通訳をし、そして戦後はODAで作られたマツダや日野の工場で働く日本人の方々の様々なお世話や慰霊碑建立に尽力をされました。彼が涙を流しながら当時の日本軍の悲惨な現実を話は壮絶でした。番組はこちら(http://www.ctv.co.jp/chu/lady/2005/0421/

他にもいろいろあるのですが、写真が見つかりません。また見つかったら記録用としても、記載してみたいと思います。

日本へのミャンマー人材派遣・紹介サイトのホームページが完成しました!

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もうだいぶ前の話ですが、海外派遣用サイトがようやく完成しました。
これまで口コミだけで対応してきましたが、ミャンマー人材を送り始め実績が積みあがってきましたしお問い合わせも多いためいつも資料がなく困っていました。

ミャンマー介護人材派遣もいよいよ本格化してきそうということから、心決めて一気に作り上げました。
といっても、ネットで検索して日本の業者さんにお願いしただけ。
このサイトでかかった費用、10万円ちょっとなんです。

しかも、このサイト制作が今の時世そのままなのです。

ミャンマーでホームページ制作と検索して良さそうなサイトに依頼。
日本に滞在されていそう?な人と一度だけスカイプのやり取りして、あとはヤンゴンから文章とイメージと写真を担当になった日本人の方に送る。すると1週間後にはサンプルが出来上がってきました。
そして修正などやりとりして3週間足らずで完成。修正も翌日には必ずやってきます。
完成してからわかりましたが、この担当の方、何とオーストラリア在住の方でした。
ということは、
ミャンマーで発注、日本で受注、オーストラリアに発注。ミャンマーとオーストラリでやり取り。という流れ。しかも皆日本人。ほんと、今風です。

すごい時代になったと感動したら、実は自分が手掛けているのも同じですね。
日本で受注してミャンマーで日本語ができるミャンマーの人が制作、そして日本に戻す。
そういう時代ですなんですね。実感。

すべて納品終わり、このサイト制作担当の方からのメールで感動しました。
日本のクリエーターの方、レベル高いですねー。

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少しでもお客様のご要望にかなったサイトになったようでこちらこそとても嬉しく思っております。
修正や素材の提供等、毎回迅速にご対応頂き、こちらもスムーズに制作を進めれる事が出来ました。改めてありがとうございました。
私自身、今回の制作を通じ、それぞれの国がいま抱えてる雇用・労働者問題について改めて深く考えさせられました。そのプラスとマイナスを上手く相互で補い合う事によって、国同士の生産性や技術力も向上し、それぞれに還元される、とても素晴らしい考えだと思います。今や中小企業だけでなく、農業や漁業から離れてく若者も多く、ヒューマンリソースの問題はいま日本企業が抱えるとても難しい問題だと思います。
日本もまだまだ水面下で就職氷河期が続いているとはいえ、仕事の内容さえ選ばなければ、まだ生きていくだけの食費や生活費は稼げる仕事があるだけ恵まれているとも感じました。一概に全ての若者にあてはまるとは言えませんが、今の日本の若者は、まだ「職を選べる」立場にあるのではないかと思います。その点、ミャンマーの若者達は良い大学を出ているのにも関わらず、第二言語をもマスターして、違う文化や環境の下で働く事にひたむきに頑張る姿勢に強く感動しました。それをこのサイトで少しでも上手く分かりやすく伝えれれば良いなぁと思いながら制作させて頂いた次第です。
少し余談にはなりますしたが、今後とも御社の活動と発展に多々期待しております。

CHACO-WEB
WEBクリエーター/デザイナー
山下 真智子
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一番館が20年の歴史に幕を閉じました。

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私がミャンマーにやって来たのは96年4月。一番館は96年5月にオープンしました。この一番館が先月31日、20周年を持って、連日予約が入れない状況下、皆に惜しまれつつ閉店しました。
小丸夫人が、丸20年という区切りなどもあり英断されたそうで、今後の人生を楽しまれるそうです。
多くの日本食レストランがヤンゴンに出来ましたが、家賃がすぐ高騰することやパートナーの問題なので、5年以上続くのは至難の業。そんな中20年、しかも冬の時代を乗り越えて変わらず繁盛されているのは、様々な工夫と地道な努力と活動、それが大切と思ってもなかなか真似ができないことを20年間やり続けてこられたことにあるかと思います。こちら、インタビューした記事がありますのでご覧ください。
http://yangonow.com/jpn/interview/?p=113

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最後の日。話題はやはり、その引き際。その後どうします?と。
私はずっとヤンゴンで生活してることに違和感はなく、ヤンゴンで死んだ場合は骨は・・・と周囲に伝えているのですが、意外にみなさん日本に戻ることを想定されておられることに驚きました。さらに、会社をどうするのか等々。
一応考えてはいるのですが、50歳を超えたらあっという間に時が過ぎそうなので、来週からの水祭りの間、本読みながらゆっくり考えてみます。

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人材育成と健康。これに尽きるなぁ。
ということで、まずは3日間断食してみました!

20年間お世話になり、ありがとうございました!

今年も直接ご依頼頂きました。ヤンゴン外国語大学とマンダレー外国語大学から日本企業へのインターン。

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昨年に続き、今年もヤンゴン外国語大学日本語学科とマンダレー外国語大学日本語学科からインターンの依頼があり、来年卒業する希望者に説明会及び面接、登録会をヤンゴン、及びマンダレーで行いました。

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ヤンゴン外国語大学からは82人、61人が登録、マンダレー外国語大学からは50名のうち16名が登録に来られました。
昨年から大学勉強期間が4年間になったこともあり、ほとんどがN2以上、N1の子もちらほら出て、多くの日本企業が関心を持っています。
以前は大学卒業後、日本に留学する学生も多かったですが、年々就職希望者も増えてきています。
前期は12月から3月、後期は6月から9月ということで、5月の一か月間のインターンですが、ミャンマー進出済み企業さまらにお声掛けさせて頂いたところ、27社の企業様にご協力頂けれることになりました。

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今月、それぞれの希望する企業と受け入れて頂けれる企業との面接をそれぞれ個別に行い、来月1か月間にインターンに挑みます。
弊社も国内人材部門と日本語教育部門でインターン受け入れ予定です。

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うちには、日本の外国語大学ビルマ語学科の日本人インターンが2名いますので、面白い展開になればいいなと思います。

 

恐るべし!ミャンマー人材採用に威力を発揮する「内田クレペリン検査」!

4月1日から新人6名が入社しました。
ついに新年度がスタート。弊社もこの日を目標に準備をしてきました。
今季は事業をさらにミャンマー人材関連に集中。ミャンマー人材のスペシャリストをさらに深堀していきます。それに伴い、新人6名は全員人材部門に配属。さらに、別部署からも人材部門に移動。事務所のレイアウトを一部変更、人数が増えましたが逆に事務所はすっきりしました。
とはいえ、候補者が溜まると熱気はすごく、息苦しさを感じるような活気あるオフィスは健在です。

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今回の新人採用には新しい試みをしました。
弊社がミャンマー国内代理店を行う、内田クレペリン検査。
これまで内田クレペリン検査を当地で実施、ミャンマーの方々の驚愕の結果にミャンマーでの有効性に自信を持っていました。
活用頂いている、ある在ヤンゴン日系工場では、内田クレペリンの検査結果を基に配置転換。生産性が上がるという結果がすでに出ています。
弊社でも検査結果を受け、受付の子の処理能力が普通の日本人以上のものを持っているとの結果で部署移動。新しい部署でさっそく効果をあげています。

これまで弊社で人材採用する際、履歴書をみて面接が一次審査。その後内田クレペリンを使用し採用に役立てていました。が、今回は、履歴書、人物に会う前に検査を実施。
そこで驚くべき検査結果が出ました。42名の候補者のうち、何と15名がマルA。日本人大卒の人でも取れない結果で、他の東南アジアではほとんど出てこない人物が1/3もいました。しかも、2/3は男性!(弊社採用は5名男性、1名女性)
いつも最終面接には女性ばかり残るのに(弊社だけではないと思います)、驚きの結果でした。驚きはそればかりではありません。処理能力が高い人物から面接したのですが、一番高いのは、茶髪の地方大学普通の学部大学卒、英語は少ししか話せない若者。二番目に高かったのは、貧相な顔(ごめんなさい)で、見た目仕事はできない典型のような外観。三番目は、真面目そうな育ちの良さそうな子でした。
ええええ。と思いましたが、質問したら、キレキレの回答。恐るべし内田クレペリン検査

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面接には、内田クレペリン検査の内田社長らも同席という豪華な面接。
内田社長も。「あの面接の状況でテストの結果がなければ、誰を取るか、決断に苦慮しそうな実感を持てました。もちろん検査は万能ではありませんが、面接を補う情報としての価値は、日本以上に高いのかもしれません。ミャンマーの大卒は英語の文法と単語はよく知っているので○Aの子はすぐに話せるようになりますので、英語力は気にしなくてもいいかもしれません」
とお話されていました。

弊社の幹部は女性がほとんど。ほかの日系企業も多く女性が活躍していて、男性は・・・という声がよく聞こえて来ます。が、女性の方が面接は上手ですし服装もしっかりしている人が多い。一方、男性は面接苦手な人も多く、きちんとした評価を受けてこなかっただけかもしれません。

ミャンマーの男性の底力はいかに???来週から本格的に勤務が開始。内田クレペリン検査で好成績をあげた彼らの活躍は、注目に値します!!!

筑波大学JapanExpertProgram入学説明会を行いました。

3月27日に筑波大学から野村准教授をお迎えし、ヤンゴンにて筑波大学JapanExpertProgram入学説明会を行いました。
弊社がミャンマーでのコーディネートを担当。

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英語と日本語の両方で、ヤンゴン外国語大学日本語学科長や日本語学校経営者向けと日本語を勉強しているミャンマー人の2部制で説明会が行いました。

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背景には世界の学生流動があります。企業のグローバル化に伴い企業はグローバルな視点を持った人材に注目。全世界での留学生が1995年170万人だったのが2015年には440万人に、さらに2025年には770万人になるとの予想。2020年予想の600万人のうち57%はアジア人学生になるそうです。(OECD調べ)

一方日本はというと少子化に加え、海外留学する日本人学生数は2010年から急激に低下。企業はアジアや海外展開が進展するも、日本人は内向きになるという現状から優秀な外国人材を取り込みたい企業が増えていると言われています。

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日本もこれらを問題視し大学の外国人留学生の取り込みに必死ですが、残念ながら成果をあげるまでには至っていないようです。数年前からここミャンマーでも各大学がプロモーションを行っているようですが、残念ながら弊社スタッフですら知りません。昨年はミャンマーにて早稲田大学・大学院が授業料免除、月12万円の奨学金がつくという好条件で募集しましたが、募集者一桁・・・と残念な結果に終わっています。

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今でも100万円近く支払い、日本の日本語学校に留学するミャンマーの人達は多く、金銭的な問題というよりは、プロモーションのやり方の問題と感じます。
また、もっと根本的な日本における大学事情や日本語学校、専門学校の位置づけなどの情報が不足しているのではとも感じています。

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今回はJapanExpertProgramの説明だけでしたが、筑波大学では日本語を必要としないプログラムも数多くあるそうで、再度、ミャンマーで大きなイベントを予定しているそうです。ミャンマーの若者に日本の教育制度や留学の仕方などの情報を、7年前に視覚障害者マッサージを理解してもらうため、ミャンマーのマスコミで打ち上げ花火を連発したように、ミャンマー国内の幅広い人々に情報発信していければと思います。

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尚、このJapanExpertProgramは、日本で働きたい、日本語関わる仕事をしたいと思っている留学生のために、筑波大学が日本語のスキルと専門分野の教育を集中的に行うプログラムを開設しました。将来的に日本とミャンマーを結ぶスペシャリスト育成のためのプログラムです。

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企業からはミャンマーに進出したいので、ミャンマー語が話せるなどの人材オファーをするも日本人は皆無。そこでミャンマーに進出したいのでミャンマー人で日本語を話せ文化も理解できているスペシャリストの要望が多いそうです。まさに市場が求めている人材育成のプログラム。
これまで日本語検定試験N1レベルが大学入学には必要でしたが、このプログラムはN3レベルから応募できる画期的なプログラムです。
興味あるミャンマーの方、是非ご応募ください!

*詳細は以下のホームページをご覧ください。

http://jp-ex.sec.tsukuba.ac.jp/ 

12国立大学での特別セミナーを終えて感じたこと。

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全国12国立大学での特別セミナーを終えました。
延べ人数4000名の卒業を控えた学生を中心に、大学によっていは教授らも聴講頂きました。
内容は私からは「卒業後の考え方」「成功、自分の想いを実現するには」みたいなことを話しました。弊社スタッフからは、「企業が求める新卒像」「学生時代にすべきこと」などなど。そして、弊社から日本にある企業に就職した先輩からのビデオレター「日本で働いたから気付いた後輩に伝えたいこと」。
株式会社オムニサイエンス社さま、不二建設株式会社さまのご協力で実現できました。
ご協力ありがとうございました。
多くの企業は大学でのセミナーというと、会社紹介ばかりを行いますが弊社では会社案内は10分程度。残り80分は自己啓発的なセミナーで、ほとんどの学生はこういった内容は初めてということもあり、とても評価は高く、次回も是非。とお声を頂きました。次回は7月に訪問大学も増やし行う予定です。

昨年も行った流れで行ったのですが、当初は昨年同様な反応。
しかし最初はどうもしっくりしませんでした。当初は教育の問題もあり学生がついて来れないと思いこんでいました。昨年もその流れで終わってしまったところがありました。しかし、途中から話し方を試行錯誤で変え始めて反応がすごくよくなりました。
そこで初めて気づきました。
学生のレベルが低いのではなく、日本人に向けるのと同じように話たらダメ。ミャンマーの学生には同じ内容でもミャンマーの学生に伝わるような順序立てや例えなどを駆使して伝えたら、十分伝わる。逆に、日本人の学生より全然レベル高いのでは。とも思える回答をする学生も結構おられました。

ミャンマーの学生の学術レベルは低い。と言われる日本人駐在員の人も少なくありません。でもその原因がわかりました。レベルが低い訳ではなく、その伝え方に問題があったのかもしれないと感じました。
JICAの支援で学校の教育プログラムを暗記教育から考える教育に切り替えていくというニュースがありました。
インフラなどももちろん重要ですが、国の根幹は「教育」です。すばらしい支援内容で、2030年頃がやっぱり楽しみです(笑)

マンダレーの日本語学校が倍増してました。

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マンダレーコンピュータ大学やマンダレー技術大学での特別講義にあわせて、マンダレーにある日本語学校を訪問していました。

日本留学や技能実習生での日本への渡航が簡単になり、日本語学校などに紹介したら一人10万円強のコミッションが日本から出るとあって、日本語学校の設立が急増、ここ1年で2倍以上の17校まで増えてるようです。

ところが、いくつか訪問して話を聞いてみると、将来もバラ色な話でもないようで、留学生の就労時間違反での摘発(週28時間以上の就労)、難民申請中のミャンマー人不正就労での逮捕 などの情報がフェイスブックで拡散されていて、留学をキャンセルする人が相次いでるとのこと。
当たり前といえば当たり前なのですが、それらを事前きちんと説明して来なかったのと、行けば何とかなる。というのが通説になっていたのが原因のようです。

きちんと説明していないという意味では技能実習生も同じ。
額面の給料は伝えているようですが、社会保険や所得税なども説明し手元にいくら残る。ということをきちんと説明しないで日本についてから話が違うと揉めることもあるようです。ミャンマーではほとんどの人が社会保険や所得税を支払っていませんし、過少申告も当たり前の世界。
ミャンマー人は技能実習生の逃亡が多いと言われていますが、このあたりをきちんと説明するだけでもかなり違うと思います。

先日、東京のミャンマー大使館の公式フェイスブックで技能実習生の監視団体JITCOがミャンマー大使館を訪問したという記事がありました。

35%残業代払うといって実際は25%。なので逃げるのは当たり前。聞いていたのと(給料が実際もらえる金額など)現実が違う。いろいろ切られて(所得税や住宅手当など支払わされて)疲れただけで手元になにも残ってない。日本行くため借金になって、それも返せない。そんなコメントがあふれていました。

大学では、「10年後何をしたいか想像してから卒業後の進路を決めましょう」という話をしていました。海外に行っても手元に残るお金はよくてもUSD800(10万円)。ミャンマーでの給料が高騰してきていますので、日本に行かなくても数年すればその給料に到達できる可能性は高く、逆に日本に行き日本語だけ上手くなって経験はアルバイトだけだと、ミャンマーに戻ってきても仕事に就くのは難しいというのが現状です。

日本への大学留学や語学留学も高校卒業と同時に行けばロスがなくいいのになぁと思います。日本の大学や日本語語学学校はミャンマーの大卒に求人をかけていますが、それですと日本の大学を卒業したら25-26歳もしくはそれ以上。大学院ならいいのですが。日本の大学を4年出てさらに、外国の大学に4年間行く人は少ないので・・・はと感じています。

せっかく頑張ってきたミャンマーの方々が無駄な時間を過ごさないよう、きちんとした情報を提供していく仕組み作りが必要だなと感じています。

日本人正社員募集【勤務地:ミャンマー・ヤンゴン】

日本人正社員募集【勤務地:ミャンマー・ヤンゴン】

ヤンゴンに常駐できる日本人スタッフを募集しています。(弊社ではないです)

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①日本国内での建設現場経験または施工図作図経験が3年以上優遇
②JW-CADによる建設施工図作成に興味がある新卒も可能。
③39歳以下出来れば20歳代を希望。40歳以上でも可能。
④資格取得は不問
⑤宿舎支給
⑥一年一度の帰国費用負担
⑦勤務日数はミャンマー事務所に合わせる
⑧給料は能力に応じて相談
⑨英語力不問

ご興味のある方は info@j-sat.jp (担当:西垣)までご連絡ください。

 

バンコクで社員教育やってきました。

弊社スタッフ社員育成の一環で、バンコクに研修へ行きました。

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J-SATの強いところはミャンマー人スタッフ。
市場にはいない、社内で育ったミャンマー人幹部が弊社の一番の強みです。

今回長年タイで勤務されていた方にセミナーして頂きました。
日本から持ってきただけの研修ではダメで、タイの人達の背景などがわかった上でのアレンジで伝えるということの大切さを感じました。
セミナーでは「あなたたちの両親はサラリーマンではないので・・・」という前提から入っています。
今、ミャンマーの大学でセミナーをやっていますが、ここミャンマーでもアレンジしないと伝わらないというのを実感しています。
ミャンマー用にアレンジした社員教育キャリキュラム。作りたいですねー。

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今回は幹部候補生育成ということで、半数が海外初めて。
主な目的は5つ

1.国内人材派遣で提携しているパーソネルコンサルタントで研修
2.日本人からの幹部になるためのセミナー受講
3.弊社の中心事業になる介護業界でのバンコクでの状況視察
4.考える力を身につける
5.世界をみてミャンマーを見る癖づけと方法

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これまで、プノンペンやハノイ、ダッカ、マニラなど出張するときは、なるべく幹部社員らを連れていっていました。

弊社では、(社長の能力がしれてますので)ミャンマー人社員がレベルアップしないと弊社はレベルアップしない。日本人はミャンマー人スタッフのサポート役というのを徹底しています。
ノンストップで走ってきた弊社ミャンマー人幹部らですが、さすがに休み無しで5年も走り続けると厳しいものがあります。
海外研修もスピード早すぎて、ついて来れないスタッフも出て来ました。

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ということで、海外研修もマニュアル化しないと と強く実感した社員研修でした。

そんな中でも、

「日本人は全体主義、タイ人は個人主義、ミャンマー人は?」
の問いに対して
「ミャンマー人は全体主義の日本でも活躍してるし、個人主義のシンガポールでも活躍している。両方を持ち合わせているかもしれません」
と回答したスタッフがいました。

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今後が楽しみです。

今回もお世話になった、小田原社長、佐藤社長、山下様 ありがとうございました。