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ミャンマーのつぼ~ミャンマーから西垣がお届けするブログ

ヤンゴン日本人学校


ヤンゴン日本人学校耐震校舎竣工式が行われました。
在ミャンマー連邦日本国大使館付属ヤンゴン日本人学校は、昭和39年(1964年)に開設された、日本人学校としてはバンコク校に次いで伝統のある学校です。
中国四川大地震に端を発した校舎の耐震調査では使用中の建物の一部が全く耐震性がないことがわかり、この度多くの方々の支援により第一期工事が終了しました。
本年度4月時点で幼稚部19人、小中学部45人が学んでいます。
ヤンゴン日本人学校ホームページ(http://yjs.fc2web.com/

グエサウンビーチ(Ngwe Saung Beach)のホテル事情

久しぶりにミャンマーを代表するビーチリゾート、グエサウンビーチ(Ngwe Saung Beach)に行って来ました。
まず驚いたのは道路状態。3ヶ月程前に修復工事が終わったようで、ヤンゴンからは4~5時間(片道)で行くことができます。(2時間ぐらいで行けたらいいのですが・・・。)
利用しそうな高級ホテル5つのうちオススメの2ホテルご紹介致します。

ビーチに面したRoyal Villaのお部屋は広くてすばらしい。他の部屋とは料金の差以上に違いますので、このホテルに滞在されるなら、絶対にこのお部屋を!
外の市場で新鮮な魚介類を買って持ち込みができ、1kg5ドルで調理してくれます。シェフは日本料理が作れるので日本人には嬉しいサービスです。ちなみに我々が持ち込んだ生きたロブスターが綺麗に盛られた刺身(醤油とワサビ付き)と味噌汁に。魚は大根おろし付きの塩焼きに。2日目は大量のエビはタルタルソース付きのエビフライに、天つゆ付きのエビてんぷら。海鮮うどんに変身しました。うどんの麺や味噌など1kg5ドルの調理量に含まれていますので、対費用効果バツグンです。
他の高級ホテルのようにジムや会議室などありませんが、部屋数が多くなく部屋の設計も立地も、特に旅慣れた人が評価するホテルです。
Bay of BengalやSunny Paradise、Aureum Palaceなどとは全くコンセプトが異なる、ストランドホテルから来た総支配人という事実がホテルの特徴を端的にあらわれています。
毎月訪れるヤンゴン在住の駐在員や毎年3週間ほどヨーロッパから来る外国人など、高リピート率を実現するすばらしいサービスが体感できます。ミャンマー人の宿泊者はほとんどなく、静かで洗練されたサービスで安心できるホテルです。

正月休暇に入ります。

本日仕事納め。ミャンマー暦正月のためサネイ・ヤンゴン事務所は、4月10日から21日まで正月休暇に入ります。期間中頂いたメールのお返事は4月22日以降になりますので、あらかじめご了承くださいませ。GENKYクリニック・Sakura Tower店, Chinatown店とも4月12日から21日まで正月休暇。22日からは通常営業となります。
総選挙が行われ節目になる2010年。来年度も引き続き宜しくお願い致します。

バリ島でのエステ・マッサージビジネスにみるGENKYの経営

ツイッター経由で知ったバリ島在住の方のブログに興味深い記事がありました。
(ツイッターはすごいですねえ。)
数年前からすでに飽和状態ともみえる、バリ島でのエステ・マッサージビジネス。
実際昨年後半にスミニャックエリアにオープンした、オリジナルなコンセプト重視の外国人経営のエステ・スパ数軒、どこも大変苦戦されているようです。
ヤンゴンはまだまだ競合店が少ないためGENKYはお蔭様で善戦させて頂いていますがあっという間に競合店が乱立してきますので、今から様々な対策を講じていく必要がありますが、すべてミャンマーにも当てはまります。私の現在の住居の先住人はロシア人でした。
「【バリ島在住ブログ】 ばりじゅん@楽園 リアルライフ http://balijun.blog3.fc2.com/blog-entry-64.html
エステ・マッサージ業界に限らず、現在のバリ島でのビジネスをサクセスさせるためのキー。
1.観光客ではなく在住外国人・アッパーミドルクラスの在バリインドネシア人(華僑も含む)をターゲットにしたサービス・価格設定
今、バリではやっているお店は、先進国のミドルクラス向けのサービスやシステム・雰囲気・味をインドネシアの都会価格で提供しているところ。
2.他島からのインドネシア人観光客を誘致するためのブランディング
インドネシア人もブランド好きで結構見栄っ張り。
本国では無名のアメリカのアパレルブランドでもインドネシアでのブランディングに成功して、大人気になっているなんていうケースも。
3.高級路線でいく場合は、中国・ロシア・インド向けのマーケティング・営業活動が必須
バリ島のような国際的な観光地では、その国の世界での国力・重要度が如実に反映されます。
この3年ほどで、バリでもやはりBRICS強し!です。
語学学校でのロシア語・中国語の習得熱も非常に高まっているようです。

今年で「ヤンゴンナウ」が始まって丸10年。

今年でホームページ「ヤンゴンナウ」が始まって丸10年。
思えば、ふと「日経ビジネス」を読んでいて「ネットでホテル予約ができる」という記事をみてネットで予約できる旅行会社のホームページを作ろうと思い立ったのが最初。
当時はまだまだ旅行手配をネットで行うのは一般的ではなかった頃だと思います。ミャンマーでもちょうどE-mailが始まった頃で、それは画期的だったのですが、値段も高く、また不調でバンコクに国際電話してメールを読み込んだこともありました。
あれから10年。ネット環境の変化によって、かなり変わったと思います。
が、
頑張ってホームページを作っていた10年前は色々エッセイなども書いてましたのでふと見てみました。(今はめっきり書いていませんが)
家内がミャンマーへやってきた時の生活奮闘記のエッセイ。(http://www.yangonow.com/jpn/magazine/essay/nishigaki_s/essay01.html)あまり今も10年前も変わっていないなあ。と。事務所も部屋は変わりましたが同じ建物内。概観も全く同じ。10年前から築30年のような概観。10年前のこのNyaungPinLayPlazaの写真は本日撮影したと言ってもわからない写真です。
何はともあれ、来週から始まる水祭りが終われば私も渡緬15年目に突入。
そういえば14年前は水祭りはこんなに長くなくもっと短かったですね。今年は最大11日間の休み。経営者の立場からみれば以前のように短い方がいいですが・・・。

ミャンマーのマンガ家

水祭り明けから本格的に販売を開始する日本のあられ。
ミャンマーではまだまだ珍しいPOPを使っての販売予定。
GENKYに続いてミャンマーの有名マンガ家に依頼して作画があがってきました。
ミャンマーではマンガ家が行うのはここまでで色は依頼者がつけるのが一般的。
この作画を原案に色をつけ配置を若干変更し完成です。
ミャンマー消費者の反応が楽しみです!

バルーチャン水力発電所と日本落日

ミャンマーの新聞でバルーチャン水力発電所の50周年記念という特集記事が2日続けて掲載されました。本日2010年4月1日が記念日とのこと。
バルーチャン水力発電所は日本の戦後賠償第1号の事業であり、1982年には第一発電所への円借款供与、1986年には第二発電所への円借款による能力増強工事を行うなど日本とミャンマーの関係を象徴する案件であり、建設コンサルティング会社と建設会社が組んでODAを実行する後のモデルになった第一号と言われる、日本にとっては象徴的な発電所です。
(1954年4月にビルマ政府と商業ベースでの契約書に調印。日本の建設業にとって戦後初となる海外工事。鹿島建設:http://www.kajima.co.jp/news/digest/dec_2006/kiseki/index-j.htm
そして2003年には施設・設備を改修するため日本の無償資金協力する予定が欧米の圧力により停止。以降、日本とミャンマーの関係が後退するようになったとも言われ、日本とミャンマーの関係には深く関わるバルーチャン発電所。
バルーチャン水力発電所の第三発電所には1年近くも前から中国人技術者が頻繁に立ち入りしており、すでに作業を行っているという話も聞きます。第三発電所は日本が調査を行ったにも関わらず・・・。
欧米は政治問題を挙げて色々発言していますが、一方でミャンマー国内への影響力を着々と強めており、そういった現場を頻繁に目撃、耳にします。
日本政府といえば、人道支援が・・・の一辺倒。他国のようにしたたかに戦略的に動いておられるのかわかりませんが、ミャンマー国内における日本の影響力低下が著しいのを肌で感じる日々です。
トングー・ロード―ビルマ賠償工事の五年間 (1963年) (岩波新書)を読みました。
日本人が命を懸けて作ったバルーチャン発電所も今や中国のバルーチャン発電所となろうとしています。
戦時中、日本軍上層部の一部は撤退寸前までメイミョ(ピンウールイン)に芸者を呼び寿司を食べていたと、元日本兵の方から聞きました。発電機が回り、エアコンが効いた事務所と自宅を往復し、ヤンゴンやネーピードだけを往復している方々が中心になって繰り出されているような日本の今の対ミャンマー戦略。
65年前の悪夢の再現にならぬよう、宜しくお願い致します。

老人ホームでの近況報告(後編)

男性棟に戻ってみると、別の部屋に移動して、ミャンマーの薬草でできている、ハッカのようなにおいのするものをつけてやってくれと頼まれている様子、動きが良く取れない方、目の見えないマッサージの方、比較的元気で耳が遠い方の3人が、ああだっこうだと笑顔で助け合ってやっている姿は、実にほほえましいものがあります。
また、女性棟2階です。本日は2階の女性はかなりの方がチャペルでお祈りの儀式のようなものに出かけていました。が、もう一人、待ち構えていたかたにサービス。おわると、なにやらこれはみんなからの気持ちです、とお菓子の袋を持たせられています。
???お気持ちはうれしいのですが、ときどき腐ったものや、食べかけのものが入っていることがあるので、目の見えるあなたがチェックしてあげてね、と介助のWarさんにアドバイス。
このころ1階では、ベッドから落ちて以来腰の痛みがひどいと訴える方のマッサージ。
また、男性棟にいくと、1976年に東京大学で英語のMDをとったという、英語の上手な、
パーキンソンとアルツハイマーの男性が、うれしそうにサービスを受けていました。彼は、怒鳴ったり、さわいだりしてみんなをこもらせていましたが、ここのところ落ち着いて、我々との会話を楽しんでいます。お蔭様で、我々が、ゆっくりみなさんと接する時間が持てるようになったからではないでしょうか。

1階の女性棟では、リュウマチで節々が痛んで痛んでとおっしゃる方のサービスに入っていました。この方も時間がないから今日はマッサージできない,
などと申し上げた日にはかんしゃくを起こしたほど、このマッサージのファンです。
男性のマッサージの方をチャペルの前で座らせて、女性棟にお迎えに行っている間、チャペルから、今日はじめから順番を待って待ちきれずにチャペルに行っていたいた男性がでてきました。
今度こそは、という感じで、チャペルの前のいすでサービスを提供することになったようです。
2人の女性マッサージの方をお連れして引き上げようというとき、前回報告させていただいたあの女性が、来て来て!と呼んでいます。少しまだ表情は硬いものの、笑顔でさっさか歩いてきて、
私にマッサージしてないよ、と。
写真は撮ってくれるな!と怒りましたが、3分ほど、納得していただくまでマッサージしていただきました。
彼女は、旦那さんが暴力を振るう人で、そのために片方の耳がたたかれて聞こえないらしいんです。養子の子がいたが、逃げ出したということ。だれも、訪問しに来てくれる人はいいなくて、
この木曜日が楽しみだということです。明るくなって、話をしてくれるようになって本当に良かったです。

老人ホームでの近況報告(前編)

GENKYスタッフがお邪魔しているヤンゴン市内の老人ホーム。
うれしい近況報告を頂きましたので2回に分けて掲載させて頂きます。
いつものように、車で乗り付けると、すでに一人の男性で、元ボクサーだった方が、外で、男性マッサージの方を待っておられました。彼の手をとって、自分のベッドがある2階へがんがん連れて行かれました。マッサージの方も、その声ですぐいつもの方だとわかったようで、笑顔で応対。
実は、階段の下に、2階に連れて行かれる前に自分のところへ先にと、まちぶせしていた小柄の男性がいましたが、ときすでに遅し、、、彼は結局順番待ちに、、、
その間、介助のWarさんが2人の女性マッサージの方をいつものように女性棟へ.
一人は2階へ。
待っていた方が、マッサージより前に手相を見てあげましょう、となにやら運勢について2人で楽しそうに語っています。
介助のWarさんが、前回頼まれたとかで、鶏の羽を持参。何に使うかと思えば、1本の羽の先端部分の少しの毛を残してむしりとり、ココナッツの油(髪の毛にもつけるもの)をつけて耳かきにするんだそうです。ご存知でしたか?村人たちはみんなやっているが、ここでは手に入らない、ということだそうで、勉強になりました。もちろん彼女も飛び跳ねて喜んでいました。
もう一人のマッサージの女性は、はこれまたいつものように1階の女性棟へ。
順番が回ってくるのが遅くなると文句の多い常連さんから。この1か月で血の循環がよくなったので、足先の色が、ピンクになったと、大喜び。
我々のボランティアグループ(International Friendship
Group)の代表、マギー(スコットランド人)に、こんなに歩けるようになったとみせてくれました。久しぶりのうそのない笑顔です。
シスター、ドクターや私たちの誰もが少しずつ歩く練習をしてくださいとすすめても、痛いのだから無理だと怒ってばかりいたのに、今日は、’この子(マッサージしてくれている女性)が、少しずつでも歩く練習をしてください、私の後について、ゆっくり歩いてみてください、私が案内します。’
といってくれたから、がんばる、といって、笑顔で練習しているではありませんか!
もう、みんながびっくりです。
にっこり笑って、写真に写っているのがそれです。

彼女のあとは、なかなか来ないなあ、といって待っていた、車椅子の女性。腰や背中が痛くて、、、と。彼女には訪門客はまったくおらず、このマッサージの方が彼女の唯一の訪問者。大切なお友達だということです。

ミャンマーにおける視覚障害者マッサージ普及の可能性

GENKYスタッフがボランティアでヤンゴン市内老人ホームを週一回訪れています。
今回、コーディネートして頂いている担当の方から嬉しいご報告を頂きました。
ミャンマーで今後、視覚障害者マッサージが普及していく新たな可能性を教えてくれます。
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3人の方に老人ホームに来ていただいて、1か月以上経ちました。
同じ方に回っていただいたことで、みなさんも非常に落ちつついてサービスが受けられ、はじめから説明しなくていいなあ、ということです。
男性のほうは彼が来られるのを心待ちにしている4,5人の方に、集中的にやってもらっています。
女性のほうは、引っ張りだこで困りますが、10分では少ないのでなんとか、お一人に20~30分とれるよう努力してもらっています。
おかげさまで、痛みの訴えを聞いているしかなかった私たちですが、今は愚痴もきいてもらって、痛みも和らいで、非常に優しい顔つきになってきました。
また、その間に家族や友人が訪問に来てくれない方のそばにいて、ゆっくり過ごすことができ、その方たちにも感謝されています。一人一人の要望もゆっくりと聞いてあげれるようになりました。
ある、一人の女性は、数ヶ月前から急に、寂しさから食欲がなくなり、独り言が多くなり、横になってばかりいて、それがどんどんひどくなり、鬱になっていました。はじめは、Genkyの方がかかわってくださっても人が触ることが不快で、5分と続かずに、もういらない、と。
2回目は自分から来てくださいと、お願いし、この間は驚くことにニコニコ笑って部屋の入り口で彼女が来るのを待っておられました。
とても明るくなり、みていて、こちらもうれしくなります。
シスターたちも西洋の薬が一番、といっていて、あまりマッサージ好きじゃないんじゃないかしら、といっていましたが、あまりの変化に驚きを隠せないようです。
痛みをやわらげてくれるだけでなく、人からやさしく触られること、話を聞いてもらえることがいかに大切な薬か感じ始めています。
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