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ミャンマーのつぼ~ミャンマーから西垣がお届けするブログ

1ヶ月以上が経過した被災地の村の現実

見た目には復興してきたかに見える被災地の村。
倒壊した学校の代わりに寄付されたテント内で学校が再開され、田園は雑草が生え緑色に染まり、復旧されているかに見えます。
「今では被災直後と異なり、ある程度食料支援が行き渡り、次は村人の将来のことを考えあまり食料支援は続けない方がいい」という話さえ聞こえてきます。
しかしながら、少しヒアリングすると現実は深刻な状況は変わらず、被災直後からあまり進歩していないのに驚かされます。
被災地の村の多くは水牛がほぼ全滅しているなど、復興作業のメドは立っていません。企業や政府などから各村に耕運機などが支給されていますが、1期作の村も多く、通常6月田植えで10~12月頃収穫。これから耕し田植えを行って順調に収穫できても、収入になるのはまだまだ先の話。
1ヶ月経過した今でも被災直後に政府や企業、民間から寄付された食料で何とか生きている状態。1ヵ月後はどう食べていくのか、、、被災者の方々はまだまだ絶望の日々を過ごしています。
今でも支援が入っていない村には支援が多い村が送り届けている状況ですが、日に日に自発的に行われた市民ボランティアや一般企業の支援も減り続けている状況。被災直後の支援物資により、今は米の備蓄が少しできたようですが1ヶ月持つかどうかという村も少なくないと聞きます。
収入のメドは立ったとしても数ヵ月後。村人が自立できるように・・・という支援は彼らが生き続けられたらというのが大前提であるわけで、食糧支援と同時進行でなければなりません。
被災した村人に聞けば、飲料水、服や麺類なども必要ではあるが、雨季なので雨水があり、被災した村の多くは川沿いで魚はあるので、とにかく米が欲しいと言います。
支援活動はまだまだ先は長いです。

NGOの本来の活動とは。

大企業と小企業。事業内容、戦略は自ずから異なってくる。小企業が大企業の事業、戦略を行えば自ずと姿を消していく。しかし、NGOの世界では一概にそうではないように思える。小団体も大団体と同じような事業をしても、予算と内容が伴わない活動をしていても、宣伝がさえよければお金は集まるようなのである。
今回の被災のような大規模な場合、突如として援助団体がたくさん乱立する。一般の人はどこに寄付をしたらよいか分からず、結局名前の通った大きな団体、小団体でもいかにもやってます!と大団体のように振舞っているところに寄付が集まってしまうのだろうか。小団体は政府の目があるから。と言い訳するかもしれない。しかし、団体の名前を出さなければ活動できる幅は大きく広がるし、そういった活動をするのが本来のNGOの役目ではないだろうか。そんな活動のため、大団体ではなく小団体に寄付している人が多いと思える。
自ら個人のお金を自らの団体に寄付しようと思える活動を行っているNGOはどれほどあるのだろうか?
医療NGO団体「ジャパンハート」の報告書に以下のようなものがあった。
「最近はヤンゴンからのドナーも減ってきた。あと一ヶ月後が怖いとお坊さんも言っていた。みんな一回だけで何度も来てくれるのはうちだけだ・・・」「UNICEFの先生のお話を伺ってやっぱり我々のような団体にもできることがあることは実感できた。しょうがない、やっぱり走り回るしかないか。」
このような団体には自らのお金を寄付しようと思うし、また援助が集まってほしいと願う。

サイクロン被害者数は?

被害の大きかったデルタ地帯。被害者数の正確な被害者数は政府が隠しているのでは、とも言われていますが、実際はどうでしょうか。
NRCと呼ばれる国民登録証明書。これを持たない国民も未だたくさんいます。ヤンゴンなど都市部で生活するには必要になりますが、村に住み、都市部に移動もしないのであれば特に必要もありません。また、NRCを作るには費用がかかるため持っていない村人も多くいます。NRCを持っていない人が人口に含まれているかどうか正確なところは知りませんが、そもそも国民数には含まれていないのではないでしょうか。
国民投票直前まで政府は住民の把握に力を入れていたようですが、サイクロン直撃前まで村があった場所やその住民数もすべて把握していたとは思えません。今は村自体無くなっているところもあるようなので、そもそも正確な人口数、村の場所を元々把握していない状況。正確な被害者数を出すのは物理的に無理なのではないかと。。。

公立校の先生の話。

昨日、ヤンゴン郊外にある公立学校の先生にお会いしました。
6月2日から新学期が始まるのに備え、現在はその登録手続きに親や生徒が訪れているそうです。貧困層も多く住む地域の子供が通う学校で、多くの家が潰れたと聞いていたので、学校に通えない子供が増えているのかと聞いてみたところ、家は潰れても粗末な家なのですぐ直しているし、もともと物もほとんどなく、家は崩壊したがこの学校区域周辺部で死者はほとんど出ていない。授業料も年間5000チャット(500円)ぐらいあれば通え、以前からそれほど収入がない家庭が多いので、ほとんど平時の時と変わらないのではないかとの話でした。(平時の時から大変な生活が続いていますので…。)
ただ、小学校から高等学校まであるマンモス校なので、実際6月2日からの授業が始まらないと本当のところはわからないということでした。
校舎もかなりのダメージを受けたが、多くの他の場所と同様、ミャンマーのローカル企業が中心となって修復作業を行っている最中とのことでした。
そういえば、この地域で飢餓状態で、、、と叫んで義援金を募っていたNGOがあったなあ。
赤痢、コレラ患者報告も含め、平時との比較でないと正しくサイクロン被害を報告できないのではないでしょうか。

サイクロン被害の募金の行方と使われ方

人道支援を受け入れとの発表とは逆に、現場では25日から援助活動への取り締まりが一層厳しくなっているようです。
被災地へ継続的に支援を行っている団体からは、支援活動を行えば行うほど、支援の必要性が増し、厳しいところが次々出てくると聞いています。
ところがあるNGOは募金を募集し寄付して頂いているにも関わらず、緊急物資は一旦終了し学校を建設するのこと。本当に現場に入り支援を行ってきたのか疑いたくなります。
多くの学校が潰れているのは現実ですが、長期的に物資の援助が必要な状況で市民ボランティアの活動には限界があり、そこは義援金や募金を受け取ったNGOの出番だと思います。
学校建設は名前も残りますし予算も出ますので、すぐそのプロジェクトに走るのはわかりますが、、、。
建物建設は政府や大きな財団お決まりプロジェクトなのですから、NGOは大きな団体が行えない活動を目指してもらいたいものですし、そう願っている募金者も少なくないと思います。
ドナーのため、自分たちの活動を誇示するために活動するのではなく、本当に現場で求められているものに貴重な善意の募金を使ってもらいたいと切に願う次第です。

義援金の行き先は。

ミャンマーで活躍される吉岡医師のブログから。
「その後も救援活動は続いている。
何をするかはその組織のポリシーによる。
 私たちにできる支援とは何かを考えたとき、日本政府や国連とは自ずとその役割が違ってくる。
 彼らが到達できないような、あるいは大きな動きの中では零れ落ちてゆくような村や人たちに支援の手を届けることが、私たちにできることだと思う。
 そういう場所を探し、そういう人たちを見つけ、そっと支援を届ける。」
「発展途上国の子供を救え!小児外科医吉岡秀人の戦い」
http://japanheart.exblog.jp/
善意で集められる義援金はこういった団体に多く届いてほしいと願います。

サイクロン被害からの復活。

ヤンゴンの我が家にも数日前電気がきました。電圧は400Vぐらい。どことも電気が最初に来てから安定するまで数時間から数日かかっているので、電気が使えるようになるのも時間の問題です。
多くの木が倒れてしまった庭ですが、ふと生き残った庭の木を見上げると、もう葉が復活していて緑色になっていました。直後はほとんどの葉が吹っ飛んで木の枝しか残っていなかったのですが、自然の力のすごさをあらためて感じました。
*私達家族はサイクロン後サービスアパートに引越し生活しています。

被災地現在の状況

ヤンゴン郊外だけでなく、実際被災地へ物資を送っている団体の情報です。
ボーガレーなど大きな街は、軍及び国から指定された大企業(ボーガレー、ララピュタはエアパガンのHtooが担当など)が連日物資を送っています。問題なのは都市間にある被災した村。ここにはヤンゴンからのボランティア、援助で米など配られていますが、厳しい状況が続いています。とはいえ、街へ軍なども少しですが、道に米など少量ですが落としていっているようです。
幹線道路から奥に入ったり、島にある村など、全く救援物資にありつけてないところもまだまだあるようです。一昨日も連日ココナツを食べてしのんできたが、厳しくなったのでと、幹線道路に近い場所に来た村人もいたとのこと。
現時点では、食べ物がないので暴動が起きたという話も聞こえてこなく、援助がない村でも村を出て移動すれば食べ物にはありつける状況にあると想像できます。
ただし、これは現在の話で、備蓄していた米、田畑がやられているので、今後数ヶ月の彼らの収入は厳しいです。現在は市民ボランティアによって届けられている食料も多いと思われますが、国民も毎日の生活があるので長期間の援助は難しく、第三者機関からの食料援助がないと厳しい状況が続くと思われます。とにかく継続的な援助が必要になってくると思います。
今は学校の問題。政府が学校を建て直し再開させる。学校の建て直しが間に合わない場合は僧院も使うとのこと。ただし、それらの多くが現在避難場所に使われているので、今後どうしていくのか住民は心配しているようです。
政府は孤児院をいくつか作ると言っていますが、孤児はもちろんのこと、両親が健在でも収入が絶たれている家族も多く、子供たちが学校に通えるような援助も大切になってくると思います。

サイクロン来襲、その後の援助活動2

国際機関、ミャンマー大手企業による救援活動とは別に、もともと現地で活躍していたNGO団体もできる範囲での援助活動を行っています。
いくつかの報告があがっていますが、その温度差を感じずにはいられます。
あるところでは、「飢餓の状態」と訴え、報道では「明日からどう生きていけばよいか?」と泣いている映像。一方で、「今すぐ危険という悲壮感は見られず、雨の中沿道に立ち、子供達はお腹を空かしながらも遊んでいる」という報告。
私が知る限り後者の方が被災地奥地へかなり入り込んで活動しています。
私の勝手な想像ではありますが、これは普段の生活・活動スタイルから、ミャンマーの貧困層の基準の違いにあるのではと感じています。後者のNGOは普段から水、電気のない場所で生活し活動をしているので、ミャンマーの貧困層の現状を普段からよく捉えているのではないでしょうか。
少なくとも、援助のお金が現地外国人スタッフの給料や、住居費、事務所費に使われていないことを祈る限りです。

サイクロン来襲、その後の援助活動

ブログのアクセスが急に増えたからか、更新ができずにいましたが、ようやく復旧いたします。
サイクロンが来襲し、もう20日が過ぎようとしてます。
様々なところで報告されている通り被害は甚大で、人々の生活そのものを変えています。国民皆で救援活動を行っているという状況で、見た目では程度は落ち着きを取り戻していると感じます。
まずは目の前の食料、避難場所の確保、健康の維持になりますが、生活根本を変えられた被災者への援助活動は、いかに継続的に続けられるかが大切だと思われます。
学校の進学を諦めた子供達、収入の見通しが立たない被災者など、短期的な救援活動ではなく、長期的視点にたった、継続した援助が求められています。